第10話 イズヴェラードの屋敷へ
私は外出用のドレスに着替え、玄関へ行く前に兄さんの部屋に寄った。
「兄さん、もう大丈夫? 出掛ける準備が出来たの」
扉を叩いてからそう告げると、少し間を開けてから兄さんが扉を開けた。表情から険しさは無くなっている。
「さっきはすまなかったな。もう大丈夫だ。お前が奴の家に行く時に持たせようと思って作った物があるんだ。誕生日に渡す事になるとは思わなかったが、受け取ってくれ」
兄さんはそう言うと、細長い棒状の何かを取り出した。片方の先端には柊を模した様な飾りが付いている。髪飾りだろうか。
「これは、お前が危険を感じた時に武器としての役割を発する。奴に何か嫌な事をされそうになったら、飾りの付いていない方を奴に向けろ。先端から火が出る。何ならそのまま刺してもいい」
「そんな事にならなければいいけど……うん。分かった。ありがとう兄さん」
「ああ。それじゃあこれをお前の髪に飾るから、後ろを向いてくれ」
編み込んだ私の髪に、兄さんはぎこちない手つきで髪飾りを差した。
「お前の頭に刺さってないか? 大丈夫か?」
「大丈夫だよ兄さん。痛かったら痛いって言ってる」
「……それもそうだな。よし。できたぞ」
「ありがとう」
振り返ると、兄さんは少し寂しそうな笑顔を浮かべていた。
「奴の事が嫌なら嫌でいいんだが、それでも、奴がどんな人間なのかを見極めるんだぞ」
「うん」
そうだ。それを忘れてはいけない。できる事ならずっと兄さんと一緒にいたいが、医者になりたいという兄さんの夢を邪魔するのは気が引ける。だからウェルグ・イズヴェラードがどんな人間なのか調べて、悪い人間ではないのであれば共にいる事に慣れて、兄さんを安心させないといけない。
(私も働く事ができればいいのに……)
働く事ができれば、私が働いた分の報酬だって貰える。兄さんが貰った報酬と合わせれば、ヴァンスを雇う分のお金だって捻出できるかもしれない。そうすれば三人で暮らせる。でも私に何ができるだろう。家に閉じ込められ、せいぜいが裁縫や料理や花の手入れくらいしかできる事が無い私に。兄さん相手に練習しているのだから魔法の腕だってそれなりのものだが、騎士団や警備隊に入れるのは男だけだ。
兄さんはそんな私の不安を読み取ったのか、軽く頭を撫でた。
「ほら、いつまでも突っ立ってないで行ってこい。今日はこれ以上父さんに叱られたくはないだろう」
「……うん、そうだね。行ってきます」
私は兄さんの部屋を後にし、ヴァンスと共に玄関へ行き馬車に乗った。
長閑な田園風景を眺めながら馬車に揺られる事一時間。赤茶けた外壁の屋敷が見えてきた。あれがイズヴェラードの屋敷だろう。薔薇園も見える。そして……ウェルグの魔力も感じる。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
隣に座るヴァンスが私の顔を覗き込みながら訊いてきた。
「大丈夫じゃないよ……。折角の誕生日なのに、兄さんと過ごせずに勝手に決められた婚約者と過ごすなんて。でも、ヴァンスがいてくれてよかった」
「お嬢様をお支えするのが、私の役目でございますから。さあ、イズヴェラード様のお屋敷に着きましたよ。不安な気持ちを気取られないよう、胸を張って堂々としてくださいませ」
「うん……ええ。そうね。私は兄さんの……お兄様の妹だもの。お兄様の様に堂々とした態度でウェルグに対峙するわ」
「その調子でございます、お嬢様!」
屋敷の玄関の前に到着し、馬車が止まる。御者が扉を開けると先にヴァンスが降り立ち、私はヴァンスに手を引かれながら馬車を降りた。
魔力の気配を感じていたのだから分かり切っていた事だが、玄関前にはウェルグが笑顔を浮かべながら立っていた。手には花束を携えている。
「やあ、いらっしゃいスティル。今日は君の誕生日なんだってね。おめでとう。これは君への贈り物だよ」
そう言ってウェルグは花束を差し出してきた。赤、黄色、ピンク、オレンジ。明るい色の可愛らしい花を集めたようだ。彼から贈られても別に嬉しくはないのだが、花に罪は無い。私はそれを受け取って礼を述べた。
「ありがとうございます、ウェルグ様。家に帰ったら食卓に飾らせていただきますわ」
「食卓にかい? 君の部屋に飾ってくれた方が嬉しいけど……でも、沢山の人に見てもらった方が花も喜ぶよね」
ウェルグは勝手に納得して頷いた。
「この前は君の家を君に案内してもらったから、今日はこの屋敷を僕が案内するよ。でもその前に、お腹が空いてないかい? そろそろ昼食の準備ができる頃合いなんだ。君の分も用意させているから、まずは腹ごしらえといこうじゃないか。……ああ、君の分もちゃんとあるよ」
最後にちらりとヴァンスを見て言うと、彼は私の腰に手を回した。それに驚いた私はあっと声を上げた。
「ごめん。驚かせちゃったかな。それとも、まだこういうのは恥ずかしいかい?」
「ええ、その……慣れていないものですから……」
兄さんの様に堂々と対峙するとは言ったが、やっぱり慣れていない相手にはっきりとものを言うのは難しい。兄さんだったらこういう時、相手を睨み付けながら「不愉快だ」と言ったりするのだろう。
(兄さんの様に、毅然とした態度で……)
大丈夫。私ならできる。なんたって兄さんの妹なんだから。
私は一度深呼吸をして、ウェルグに向き直った。
「いくら婚約者といえども、私はまだあなたの事を何も知りません。ですので、あなたがどんな人間か理解するまで過度な接触は控えていただけますか」
「……」
こんな事を言われるとは露ほども考えていなかったウェルグは、目と口を丸くさせた。
「本当に、君は……その、何て言うか、彼の妹なんだね」
乾いた笑い声を上げながら彼が言った。
「どういう意味ですか?」
「いや、その……よく似てるって意味だよ。似ているのはその灰色の髪と金色の瞳だけだと思っていたけど、それだけじゃなかったみたいだ。今の言葉、君のお兄さんも言いそうだよ。……うん。君の言う通りだ。君の事を少しは知っていたつもりだけど、全然そうじゃなかった。君と同じで、僕も君の事を何も知らない。これから少しずつ、お互いの事を知っていこうじゃないか。だから、そうだな……まずは友達から始めよう。という事で、改めまして、僕はウェルグ・イズヴェラードです。どうぞよろしく」
勝手に話を進めて彼は手を差し出してきた。握手をしよう、という訳か。過度な接触を控えるよう言った後なのに。友達なら握手をして当然、という考えが彼の頭にはあるのだろう。しかしここで折れては示しがつかない。私はまだ彼の事を何も知らないのだから。
「私はスティル・シュツラウドリーです。以後お見知りおきを」
ウェルグの手を取らず、私は深々と丁寧にお辞儀をした。
「ああ……うん。まぁ、ゆっくり親交を深めていこうか。それじゃあまずは食堂に案内するよ。お付きの君は、うちの使用人達と一緒に食事を取ってもらってもいいかな。そこにいる彼が案内するよ」
彼は玄関扉の横で先程から微動だにせず立っている男性を顎で示した。ヴァンスは「かしこまりました」と言って頭を下げた。
「じゃあ、スティル。食堂に行こうか」
「ええ。その前に、少し失礼します」
私はヴァンスに近寄り、花束を差し出しながら小声で話し掛けた。
「ヴァンス、これはあなたが持ってて。後でここの使用人がどんな人達だったか教えてね。彼に慣れたとしても、変な使用人がいるような家には嫁ぎたくない」
「はい、かしこまりました。お嬢様も、知らない方々に囲まれてのお食事は窮屈な思いをなさるかと存じますが、堂々とした態度を忘れないよう、くれぐれもお気をつけくださいね」
「うん。分かった。行ってくる」
ヴァンスと目を合わせて軽く頷き合う。さあ、ここから暫くの間ヴァンスと離れてしまうが、馬車の中で兄さんの様に堂々とした態度で接すると宣言したのだ。ヴァンスもそれを期待している。婚約者の屋敷という戦場で、堂々と戦ってやろうじゃないか。
「お待たせしました。では、食堂までの案内、お願いしますわ」
「ああ。こっちだよ」
ウェルグはまた私に手を伸ばそうとしたが、過度な接触は控えて、という私の言葉を思い出したのか、その手を彷徨わせてから扉に向けて「こちらへどうぞ」と言った。
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