第4話 翌朝
翌朝私が起きた頃には、兄さんも既に起きていた。私がいるからか、まだ夜着のままだ。
「おはよう、スティル。お前が部屋にいない事をヴァンセートが心配する前に、自分の部屋に戻るといい」
「おはよう、兄さん。うん。そうする」
まだ少し眠い目を擦って、私はベッドから起き上がった。
「顔だけ洗ってもいい?」
「ああ、いいぞ。そこにある」
兄さんが指を差した場所には水の入った盆が置かれていた。私は室内履きを履いて立ち上がり、そこまで歩いた。盆を覗き込むと、眠そうな顔の私が見返してきた。それをかき乱すように手を突っ込み、水を掬い上げて顔にかけた。冷たい水が顔にかかると、段々と目が冴えてくるように感じるのは何故だろう。そんな事を思いながら横に置いてあるタオルで顔を拭いた。
私は兄さんに礼を言って、兄さんの部屋を後にした。廊下を歩いて、あともう少しで私の部屋に着く、という所で反対側からヴァンスがやってきた。
「あら、お嬢様、おはようございます。私が来る前に起きて部屋を出るとは珍しいですね。どうかなさいましたか?」
「おはよう、ヴァンス。実は、昨夜は兄さんの部屋で寝ていたの。昨日飲んだ回復薬の影響でなかなか眠れなくて……」
「だからお兄様のお部屋でって……⁉ 話の続きは着替えながら聞きますから、まずはお部屋に入りましょう」
急に慌てた様子を見せたヴァンスによって、私は部屋の中に押し込まれた。
「ど、どうしたのヴァンス」
部屋の外に誰もいない事を確認してからヴァンスが扉を閉め、私に向き直った。
「お嬢様がお兄様の事を尊敬されているのは重々承知しております。お嬢様がウェルグ様との婚約の話をよく思われていない事も理解しております。ですが、いくら兄妹とはいえ、結婚前の身で夜中に男性の部屋に女性が入り込むというのは」
「ちょっとヴァンス。兄さんが私に何かよからぬ事をしたんじゃないかって疑っているの? 兄さんはそんな人じゃない」
「そ、それは分かっておりますが……お嬢様がお兄様の寝室でお眠りになった、という話が私以外の誰かの耳に入れば、お嬢様とお兄様によからぬ噂がつきまとう事になりかねません。そうした話は慎んだ方が、ご自分の為にも、お兄様の為にもなります」
「……確かに、そうかも。今後は気をつける」
「ええ、お気をつけください。お兄様はいずれこの家の当主になられるお方ですから、よくない噂は無いに越したことはございません」
「……うん」
でも、その兄さんは家を出ると言う。もし私と兄さんの間に、昨日兄さんが言ったような“それ以上の事”をした、という噂が流れたら、責任を感じた兄さんは私も連れていってくれるだろうか。……いや、駄目だ。兄弟姉妹でそうした事をするのは重罪だ。噂の真偽がどうあれ離れ離れにさせられてしまうだろう。それは嫌だ。だったら猶更噂が立たないように気をつけなければならない。
「お分かりになられたようですので、服を着替えましょうか、お嬢様。本日はどのドレスになさいますか?」
「それじゃあ……青色のやつ」
「かしこまりました、お嬢様」
にっこりと笑いながらお辞儀をして、ヴァンスは私の着替えに取り掛かった。
朝食を食べた後、私は庭に出て家庭教師と共に魔法のレッスンをしていた。レッスンと言っても教わるのは“淑女が身に付けるべき”魔法ばかりだ。枯れそうになっている花を綺麗に見せるだとか、魔法でお茶をカップに綺麗に注ぐだとか、自分の姿を綺麗に見せるだとか、そういったつまらないものだ。兄さんと魔法で攻撃し合う方がスリルもあって楽しい。おまけにこの家庭教師は兄さんよりも魔法が下手だ。魔力が見えていないから魔力の流れも全然分かっていない。
「お嬢様、聞きましたわよ。ウェルグ・イズヴェラード様と婚約なさったって。ウェルグ様により綺麗なご自身を見ていただく為に、もっと気合を入れましょうね!」
こんな事に気合を入れて何になるというのだろう。何故好きでもない相手に自分を綺麗に見てもらわなければならないのだろう。訳が分からない。しかし彼女は私の心境などお構いなしに下手な魔法を見せてくる。
「本日はドレスをより華やかにさせる魔法の最終段階といきましょう。お嬢様ったらまた地味なドレスを着ていますわねぇ。ですがその方が華やかにさせ甲斐があるというものですわ」
彼女は地味だと言うが、私はこのくらいのシンプルなドレスの方が好きだ。装飾が多いと動く時に邪魔になる。きっと彼女は、私を大人しくさせておく為に無駄な装飾を増やしたいのだろう。大人しくじっとして、殿方に笑顔を振りまく。それが“淑女が身に付けるべき”マナーだから。
彼女は庭に生えている花を使って、まずは自分が着ているドレスを装飾し始めた。彼女の魔法も大した事はないが、それはセンスも同じ。大ぶりな花を幾つも、何色も使ってドレスに飾り付けていく。そうすれば華やかに見えるとでも思っているのだろうが、ゴテゴテとしていて寧ろみっともない。
「いいですか。花を使う場合は、花が枯れてしまわないように十分注意しなければなりません。つまり花を綺麗に見せる魔法も同時に使うのです。さあ、お嬢様もやってみてください」
「はい分かりました」
私はおざなりに返事をして、同じ様に花を使って自分のドレスを装飾し始めた。こんな事やりたくはないけど、やらずにいて怒られるのも面倒だ。青色のドレスに合うように、白色の小さな花を選んでドレスに装飾していく。綺麗に咲いているダリアが目に入ったから、それを一輪だけつんで胸元に飾り付けた。目立つものは一つだけあればいい。
「あら、お嬢様、とても素敵ですわ」
これは彼女の決まり文句だ。大方、褒めないとこの仕事を辞めさせられるとでも思っているのだろう。この家庭教師は家に来た当初は兄さんにも教えていたが、兄さんの方が魔法の技術が上で弁も立ち、彼女は口と魔法で兄さんに負けた。それ以来兄さんの家庭教師の任を解かれ、私にだけ魔法とマナーを教えるようになった。涙目になる程散々言われていたのにまだ家にいる事に関してだけは尊敬する。父さんから五年分の報酬を前払いでもされているのだろうか。
「ですが、もっと色を足してみると……あら?」
彼女がけばけばしい化粧を施した顔を門に向ける前から、私は気付いていた。馬の足音と車輪の回る音。それから来てほしくない人の魔力に。
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