第5話 婚約者の来訪

 門が開くと二頭の栗毛の馬が引く馬車が入ってきた。馬車には権威でも示すようにイズヴェラード家の紋章が刻まれている。私達の近くまでやってきて馬車が止まり、御者が扉を開けると、中からはにかんだような笑顔を見せながらウェルグが出てきた。……出てこなくてもいいのに。


「やあ、こんにちはスティル。君のお父上からいつでも好きな時に遊びに来てもいいと言われたから、来てみたんだ。隣のあなたは……」


「ご機嫌麗しゅう、ウェルグ・イズヴェラード様。わたくしはお嬢様の家庭教師をしております、セランと申します」


「ああ、そう。……もしかして、お邪魔しちゃったかな」


「いいえ、とんでもございません。お嬢様の婚約者様がいらっしゃったのであれば、お邪魔なのはわたくしの方でございますわ」


 失礼致します、とか言ってセランは去ってしまった。ウェルグと二人きりになるくらいなら、退屈なレッスンを受けている方が百倍はマシだったのに。


 それでも私は昨夜の兄さんの言葉を思い出し、これは調査の為、と自分に言い聞かせて目の前の人物に挨拶した。


「ごきげんよう、ウェルグ様。今日は何をしにいらっしゃいましたの?」


 ごきげんよう、だなんて笑える。まるでしとやかな淑女の様な挨拶だ。しかし今ここで素の自分を見せてしまえば調査が立ち行かなくなる。それでは兄さんに迷惑を掛けてしまう。兄さんに迷惑は掛けたくない。


「もしよければ君にこの家を案内してもらおうと思ってね。君がどんな所で生まれ育ったのか知りたいんだ。この庭は色とりどりの花が咲いていて素敵だね。そのドレスについている花はここの花を使ったのかい? 白色はスティル様の色だ。スティル様と同じ名前の君にもよく似合っている」


「ありがとうございます。花が気になるのであれば、まずはここの庭園からご案内致しましょうか?」


 笑顔を貼り付けて答えると、彼は機嫌よく「よろしく頼むよ」と返し、僕の腕を掴んで一緒に歩こう、とでも言うように肘を出してきた。だが私はそれに気がつかないフリをして一人で歩き出した。それを恥じらいからくる行動だとでも思ったのか、背後からふっと笑うような声が聞こえてきた。


「待ってよ」


 と言って彼は私の隣まで来て、並んで歩き始めた。どうも私の腕を掴む機会を伺っているようで、私に突き刺さる視線と視界の中で目障りな動きをする彼の手が鬱陶しい。魔法で蔓を伸ばして縛り付けてやろうかとも考えたが、それでは蔓が可哀想だ。しかし他の手を考える前に、私に隙が無いと気がついたのか彼の動きは大人しくなった。


 暫くの間は私が庭園に咲いている花を紹介したり、彼のどうでもいい質問に答えたりして過ごした。花を見るのは好きなのに、邪魔者がいるせいで今日はあまり楽しめない。不服でしかないが二人で並んで歩いていると、目の前にガラス張りの建物が現れた。彼は感心した様な声を上げてその建物に近づいた。


「ここは温室かい? 入ってもいいかな」


「駄目!」


 私が声を上げると、温室の扉の把手に手を伸ばしていた彼が驚いた顔でこちらを見た。


(あ……)


 思わず大きな声を出してしまった事に、今更後悔した。素の自分を隠し、貴族の令嬢然とした態度で相手を調査する計画だったのに、早くも失敗してしまうなんて。しかしこの場はなんとかして取り繕わなければ。


「も、申し訳ございません。その温室はにぃ……お兄様がご自分で育てている植物が植えられているので、部外者が勝手に立ち入る事は禁止されているんですの」


 淑女らしく、伏し目がちに謝罪をすると、彼は「ああ……」と言って伸ばしていた手を戻した。困惑した様な笑みを浮かべてはいるが、一瞬だけ嫌悪感を露わにしたのを私は見逃さなかった。


「彼の事はよく知っているよ。学校が同じだったからね。学年は僕の方が二つ上だからあまり交流はなかったけど、物凄い天才がいるって話は何度も聞いたし、実際、魔法闘技大会で彼と当たった時は手も足も出なかった」


 それはそうだろう。温室の扉に仕掛けられた魔法に気がつかない程度の人間が、兄さんに勝てる訳がない。


「彼の温室なら無暗に手を出さない方がいいね。ここには彼しか入れないのかい?」


「いいえ。お兄様と、私だけですわ」


「……ああ、そう」


 私が笑顔で答えると、彼は唇の端を引き攣らせながら曖昧に頷いた。この男は駄目だ。温室に入るのを止めずに、兄さんが仕掛けた対不法侵入者用の罠に嵌めさせた方がよかったかもしれない。

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