第6話 兄さんVS婚約者
それから私は屋敷の中を案内した。玄関ホール、先日彼も訪れた客間、食堂、書斎、遊戯室。玄関ホールに戻り階段を上って二階へ行きベランダへ通すと、彼はここから見える光景に感嘆の声を漏らした。
「凄いな。さっき僕達がいた庭園が、ここから一望できるのか。上から見ても素敵な庭園だね」
「ああ。ここからキミの行動を観察していたが、スティルが止めたせいでキミが罠に掛かる所を見られなくて残念だ」
「は?」
突然背後から話し掛けられ驚いたウェルグが振り返ると、そこには兄さんがいた。不機嫌さを隠そうともせずに、兄さんは彼を睨みつけた。
「尤も、キミにとってはスティルのお陰で命拾いをした様なものだ。妹に感謝するがいい」
そう言いながら兄さんは私に近づき、私の頭にぽんと手を乗せた。それを見てウェルグは顔を顰めた。嫌悪感を隠そうとしているが、感情を隠すのが下手でどうしても顔に滲み出てしまっている。まぁ、兄さんに好意的な人物の方が少ないから、大抵の人はこういう顔をするものだ。
「君、何を言って……いや、それよりも、ずっとここで僕の事を観察していたのか? 何の為に?」
「可愛い妹に婚約者が出来たんだ。相手がどんな奴か見極めるのは兄としての務めだろう。妹を危険に晒したり、危害を加えたりするような奴の所へは行かせられないからな。だがキミは危機察知能力に欠けているようだ。スティル。あの温室の扉にはどんな魔法が仕掛けられているのか教えてやれ」
「ええ。分かりましたわ、お兄様」
私は兄さんと顔を見合わせ、お互いに一瞬だけ唇の端を吊り上げた。二人でいる時にはこんな喋り方はしないし、馬鹿を遣り込めるのは楽しいからだ。
「あの温室の扉には、不法侵入を防ぐ為の魔法が掛かっていますの。お兄様と私以外の者があの扉を開けようとすると、地中から蔓が出てきて侵入者の足首を掴み、そのまま地中に引きずり込んで一時間程土の中を連れ回される羽目になりますわ。温室内では貴重な植物を幾つも育てているので、盗難被害を防ぐ為にこうした魔法を掛けていますの。あの時は声を荒げてしまって申し訳ございませんが、ウェルグ様のお身体が汚れずにすんで良かったですわ」
私は最後に安堵した様な笑顔と軽いお辞儀を付け加えた。こうすれば流石のウェルグも、自分の身を案じてくれているからあの行動を取ったのだ、と思うはず。実際に彼がどう感じたかはさておき「そうだったんだね……。ありがとう」と言ったから一先ずは大丈夫だろう。
「ワタシとしてはキミの奇声をまた拝聴できる事を期待していたんだが、ワタシと違って妹は優しいから、未来の婿殿の奇声など聞きたくはなかったんだろうな。己の醜態を晒す羽目にならずに済んだのはスティルのお陰だという事を忘れるなよ。さぁスティル。婚約者殿を玄関まで案内してやれ。このまま昼食までここにいられる程、奴の神経は図太くないだろう」
「もう、お兄様ったら、そんな事を言っては失礼ですわ」
「ああそうだな。すまないウェルグ。ワタシの顔を見ながら食事をしたくはないだろう。自分の家で昼食を摂るがいい。それともこの辺りにある食事処を紹介しようか」
誠意の欠片もない謝罪に、ウェルグは眉間に皺を寄せた。
「いいや、結構だ。僕はこのまま家に帰らせてもらうよ。スティル。玄関まで案内してもらえるかい」
「ええ。かしこまりましたわ」
私がそう言ってお辞儀をすると、兄さんは私の頭をひと撫でしてから手を離した。その仕草が「よくやった」と言っているようで、私は心の中でほくそ笑んだ。
ウェルグを伴って玄関まで向かう途中、彼が話し掛けてきた。
「君はあのお兄さんとは仲が良いのかい?」
「ええ。生まれた時から一緒にいますもの。大切な兄ですわ」
「でも、何か……君が嫌がる様な事をしてこないかい?」
なるほど。ウェルグは兄さんにとってはその他大勢の一人だから、その類いの人間に対する態度しか見た事が無いのだ。だからそうじゃない人――話ができる相手に対する態度を知らない。そして、話ができる相手として兄さんが育て上げたのが私だ。
「いいえ。その様な事はありませんわ。女だからというだけで男と同じだけの事を学べないのはおかしいと言って、お兄様は私に沢山の事を教えてくれていますもの。むしろ、私が喜ぶ事しか致しませんわ」
「そ、そう……」
彼はそれ以上何も言えなくなったのか、黙りこくってしまった。
玄関扉を開けると、そこでは既に馬車が待っていた。兄さんが呼んだのだろうか。
「今日は案内してくれてありがとう。次は……そうだな。是非僕の家においでよ。僕が案内してあげる」
あの後では流石に「また来てもいいかな」とは言えないのだろう。しかし、だからと言って“私”という婚約者を簡単に手放す気も無いと見える。一番美しい女神と同じ名前を持つ、美しい婚約者を手に入れたのだから……。
「ええ、楽しみにしていますわ」
私は笑顔を貼り付け、彼を見送った。
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