第43話 交わらない想い

「今日は観に来てくれてありがとう。舞台はどうだった?」


「胸が苦しくなるような話だったね。どうすればあんな悲劇が起きずに済んだのか、考えずにはいられないよ」


 終演後、私達は舞台裏に来ていた。彼の友人に会う為だ。衣装を着たままの彼の友人が――裏切り者の一人を演じていたようだ。処刑される時の真に迫った演技が印象的だった――私達を出迎え、感想を訊いてきた。


「君がウェルグの婚約者なんだってね。初めまして。君みたいな子にはこの話は合わなかったかな。もっと情熱的な恋の話の方がよかった?」


「いえ、私はこのような話の方が好きですわ。とても人間味に溢れていますもの」


「俺が役者だからって、無理に肯定しなくていいよ。女の子向きの話じゃない事くらい分かってるから」


 無理も何も、私は本音を言っているのだ。しかし初対面の、しかも勝手な印象を押し付けてくる人が相手では取り合ってもらえそうにない。


「いや、彼女は本当の事を言っているよ。だって、一番好きな戯曲は『花鳥の一生』だって言うんだ。主人公が男を――もしくは女をとっかえひっかえするような話は彼女の好みじゃない。だろ?」


「え、ええ」


「そうか。それはすまない事を言ったね」


(……助かった)


 彼が割って入ってくれたおかげで、彼の友人も納得してくれた。私はほっと胸をなでおろす。


「なあ、ウェルグ。この後何も予定が入ってないなら、一緒に食事でもどうだ?」


「いいね、と言いたいところだけど……ごめん。遅い時間になる前に、彼女を家に送らないといけないんだ。じゃないときっと彼女の父上に殺される」


「……君のお父さん、そんなに怖い人なの?」


「い、いえ……。怖いというより、ちょっと厳しいだけですわ……」


「ああ。そういう訳だから、食事はまた今度行こう。今日は良い芝居を見させてくれてありがとう」


「こちらこそ、観に来てくれてありがとうな。ああ、ウェルグ。ちょっといいか」


 何だ? とウェルグが言って友人の近くに寄ると、友人は彼の耳元で何かを囁いた。それに対して彼は小声で何か言い返した。友人がちらちらとこちらを見ているが、友人同士二人だけで話したい事なのだろうと思い、私は少し距離を置いた。少しすると彼らは会話を終えたのか、頷き合って別れの言葉を述べた。


「さあ、帰ろうかスティル」


「ええ。本日はありがとうございましたわ」


 私も彼の友人に礼と別れの言葉を述べ、外で待っている馬車の元へ向かった。


 馬車の中でも感想を言い合ったが、彼の態度がどこかよそよそしいのが気になった。


「ウェルグ様、どうかなさいましたか? 先程から少し様子がおかしいようですが……」


「え? それは、その……」


 わざとらしく目を逸らしながら彼は口ごもった。かと思うと突然私の肩を掴み、顔を近付けてきた。私は驚いて身を引いた。少し……怖い。


「君は、もう僕の事をもう認めているよね」


「え、ええ……」


 言葉の意味がよく分からないまま、私は曖昧に頷いた。だがそれがいけなかった。彼はさらに顔を近付け、互いの唇を重ねようとしてきた。私は咄嗟に顔を背け、事なきを得た。


「どうしたんだい。これくらいいいだろう。誰も見ていないし」


「ど……どうして、そんな、急に……」


 訳が分からなくて混乱した頭では冷静に物事を考えられず、私は疑問を口にする事しかできなかった。


「どうしてって……今までの方がどうかしていたんだよ。さっきあいつに言われたんだ。何で婚約者なのに腕も組まないんだって。彼女が恥ずかしがるからだって答えたら、お前はもっと大胆になった方がいいとも言われた。その通りだよ。君が僕の事を認めているのなら、こういう事をしたって構わないだろう? 今は二人きりなんだから、恥ずかしがる必要も無い。ほら、こっちを向いて」


「っ……」


 彼が私の顎を掴み、無理矢理彼の方に顔を向けさせる。


(嫌……)


 私は彼を“友人”として認めた。だが“恋人”として認めてはいない。それは恐らく一生無い。だから、口付けだとか、夫婦の営みだとか、そういう事はしなくない。


(怖い……)


 そういう事をするのはもっと先で――ひょっとすると来ないかとも思っていた。だが、今その時が来ようとしている。


(したくない……!)


 私の想いに呼応する様に、私と彼の間で魔力が弾けた。


「うわっ⁉」


 彼は呻き声を上げながら顔を押さえた。一瞬の出来事だったので何が起きたのか正確には分からないが、どうも血が出たらしく、ぽたぽたと赤いものが隙間から滴り落ちる。


「あ、も、申し訳ございません。こんなつもりじゃ……」


「じゃあどういうつもりだよ。僕は今まで君の要求に応えてきたのに、僕の要求に君は攻撃で応えた。一体どういうつもりだよ!」


「そ、それは……」


 攻撃するつもりは一切無かった。彼の血を流そうだなんて思っていない。私はただ口付けを交わしたくなかっただけだ。一体何故こんな事に……。


(……兄さんだ)


 魔力の残滓を注意深く観察すると、それが兄さんの魔力である事が分かった。兄さんがくれた魔法道具の中に、私が拒絶反応を示した時に発動するものがあったのかもしれない。そう考えれば納得がいく。だがそれを説明しても、彼は納得しないだろう。


「と、突然だったので、驚いて、少し怖くなってしまって……。で、ですが、攻撃するつもりでは……」


「君、治癒魔法は使える?」


「え? ええ、簡単なものでしたら」


「じゃあ顔にできた傷を治してくれたら許してあげるよ。君を驚かせてしまった僕が悪いようだからね」


 無理もない話だが、普段の彼とは違い、とげとげしい言い方だった。


「……かしこまりましたわ」


 彼は顔中血だらけだった。一番の原因は鼻血で、その次に額に出来た傷。頭の傷は小さくても血は沢山出るものだと兄さんが言っていた。だからきっと慌てるような傷ではない。私は布で血を拭き取り、彼の顔のあちこちに出来た傷を治していった。その間、彼は私をじっと見ていた。


「……これで、全部治せましたわ」


 傷を全て治し、彼の顔から手を放そうとしたら手首を掴まれた。握る力が強く、私は驚いて身を震わせた。


「あ、あの……」


「君は、僕と結婚するよね?」


「……ええ」


 私としては、結婚“させられる”と言った方が正しい。それは私の意思の介在しない決定事項だから。


「だったら、いずれは僕と口付けとか、それ以上の事をするって分かっているよね?」


「…………ええ」


 だがそれを“理解している、していない”と“したいか、したくないか”という問題は別の事だ。ただしこれも、私にとっては、の話だが。


「結婚前に性行為したら婚約破棄、なんて決まりもあるけど、それは婚約者以外の人としたら、の話だ。僕達は婚約者同士なんだから、男である僕がしたいと言ったら、女である君はそれを黙って受け入れるのが普通だろう? 君はもっとこういう事に慣れた方がいい。優しく教えてあげるから、そんなに怯えなくて――」


 パシンッ!


 乾いた音が響いた。彼が呆然と私を見つめる。私はそんな彼を睨み返す。彼の頬を叩いた掌がじんわりと痛む。


「……私を、馬鹿にしないで」


「馬鹿にって……君だって、僕の事を馬鹿にして」


「もう一人で帰ります」


「……は?」


 幸い扉は私が座っている側にある。私は扉を開け、走っている馬車から身を投げ、魔法で衝撃を和らげながら地面に転がり落ちた。今ここで彼に抱かれるくらいなら、泥にまみれるほうがよっぽどマシだ。


「おい、待っ――」


 彼の驚いた声が聞こえたが、段々遠ざかっていく。彼には馬車から飛び降りる勇気は無いようだ。雨が降り、地面はぬかるんでいる。遠くの方で彼は馬車を止めさせ、何か喚いているように見える。馬車が向きを変える前に、私はこの場から走り去った。


 幸いにも近くに雑木林があった為、私はそこに逃げ込んだ。雨に濡れて重くなったドレスが煩わしい。いちいち葉や小枝に引っ掛かる。ドレスの裾を膝までたくし上げて私は進んだ。彼に見つからない方へと。

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