第44話 森の中で
どれくらい歩いただろう。雨が降っていたからもとより薄暗くはあったが、より暗くなってきた。流石にもう彼も追ってこないだろう。そろそろ家に向かった方がいい。雨に濡れた身体はすでに凍えている。何度かくしゃみもした。このままでは本格的に風邪を引いてしまう。家に帰り、風呂で身体を清め、温かい布団で眠ろう。いや、食事もしたい。お腹が空いた。空腹の状態で、家まで無事に辿り着けるだろうか。
「っ……」
不意に、魔力の気配を感じた。こちらに近付いてくる。こんな所に私以外にも人がいる……? いや、違う。これは魔獣のものだ。兄さんと見つけたあの子犬の魔力と似ている。バラゴレア家の奴らが造り出した人造魔獣だ。でもどうしてこんな所に? この魔獣も逃げたか捨てられたかしたのだろうか。
(いや……違う)
魔獣より少し離れた所に、別の魔力を感じた。こちらは恐らく人間だ。一人、二人……五人分の魔力を感じる。魔獣を連れて、ここまで来た? 何の為に? いや、考えるのは後だ。今は見つからないようにしなければ。でも向こうには魔獣がいる。魔獣の嗅覚で私の居所を探り当てられる可能性が高い。気配を遮断する魔法を使っても、私が歩いた道に付いた匂いを消す事はできない。今この時も、犬が鼻をひくつかせるような音と、男達が「探せ」と言っているような声が聞こえてくる。
(だったら……)
私はそっと首飾りを外した。木の陰に隠れ、魔獣が近付いてくるのを待つ。相手が人間じゃなくても“これ”は使えるだろう。
魔獣との距離が縮まってくる。今回は兄さんがいないけど、大丈夫。兄さんが作ってくれた道具がついている。
(こんな風に使う事になるなんてね)
人造魔獣――今回は大型犬だ――が私の隠れている木まで来た瞬間、私は首飾りを魔獣目掛けて振るった。首飾りは鞭に姿を変え、魔獣の足を絡めとる。素早く腕を引くと、魔獣は鳴き声を上げる暇もなく遠くへ飛ばされた。
(……流石兄さん)
予想以上の威力に驚いたが、これで終わりじゃない。気を引き締めなきゃ。
突然の出来事に男達も驚いた様子だが、その中の一人が声を張り上げたので騒ぎはすぐに収まった。
「おおい、スティル・シュツラウドリー。そこにいるのは分かってんだぜ? 隠れてないで出てこいよ」
耳障りな声で私の名前を口に出さないでほしい。文句を言う為に、元に戻った首飾りを握りしめながら木の陰から出た。
「汚らしい声で私の名前を呼ばないでくださいませんか、ドスコ・バラゴレア」
「ああん? 俺の声のどこが汚らしいって言うんだ? なあ、お前ら」
ドスコが取り巻き達に声を掛けると、彼らは下卑た笑みを浮かべながらドスコに同意した。
(ああ、そう言えばこんな奴だった)
ドスコも貴族だから、一応面識はある。片手で数えられる程度しか会った事が無いが、そのどれも嫌な奴だと感じた記憶しかない。図体と態度ばかり大きく、人間の醜悪さを詰め込んだような顔をしている。いつも数人の取り巻きを連れていて、そいつらと大声で喋っている。初めて彼らを見た時には、怖くて兄さんの後ろに隠れた事を思い出した。
今この状況も怖い事に変わりはないが、だからと言って兄さんの後ろに隠れる事はできない。ここに兄さんはいない。私一人で切り抜けないと。
「こんな所で、何をしているんですか」
「おいおい、それはこっちの台詞だろ。シュツラウドリー家のお嬢さんが、こんな森の中で泥だらけになって何してるんだ? 妹の方はまともだと思っていたが、ついにお前も兄貴みたいに頭がイカれて獣とでも抱き合ってたのか?」
「……」
私を、そして何より兄さんの事も侮辱されて腹が立つが、ここで逆上しては相手の思うつぼ。あれはああいうものだと自分に言い聞かせる。
「おお、怖い。そんなに睨んでちゃ、せっかくの可愛い顔が台無しだぜ? 女は笑顔でいなくちゃ、なあ」
またも彼は取り巻き達に同意を促すと、彼らは口々にそうだそうだと囃し立てる。
「あなた達に見せる笑顔はありません。私は家に帰る途中なので、これで失礼します」
そう言って私はこの場から離れようとしたが、取り巻きの一人が私の進行方向に立ち塞がってきた。
「まあまあ、そう言わずに。ここで会ったのも何かの縁なんだしよぉ、お喋りしようぜ? 暗い雨の中、女が一人で歩いて帰るのは危ないだろ? 俺達がついててやるよ」
ドスコが後ろから、じっとりとした気色の悪い声を掛けてきた。
「……結構です」
私は目の前にいる取り巻きに向けて首飾りを振るった。すると鞭になったそれは彼の足を絡めとり転ばせたが、それと同時に私は後ろから羽交い絞めにされた。
「っ! 放して‼」
「おいおい、スティルちゃんよぉ。俺の仲間を酷い目に合わせたんだから、そんな危ない奴を放っておく訳ないだろ? これはお仕置きが必要だなぁ」
ドスコが私の目の前に立ち、私の顎を掴んで無理矢理目線を合わさせた。
「お前の家と、お前の兄貴の事は特に嫌いだが……お前のこの綺麗な顔まで嫌うのは惜しいんだよなぁ」
彼がいやらしい顔をしながら舌なめずりする。
「お前、ウェルグ・イズヴェラードと婚約したんだってな」
「……それが何」
こいつがそれを知っているとは驚いたが、その婚約の話が何だと言うのだろう。
「結婚前に何をしたら婚約破棄になるのか、勿論知ってるよなぁ?」
「っ⁉」
「自分の娘がそんな事で婚約破棄になったとしたら、ご両親にとってはさぞ迷惑な話だろうな。いや、それ以上に兄貴に迷惑が掛かるか? あいつ医者を目指してるらしいが、妹がそんな奴だと知られたら医者になるのも難しくなるんじゃねぇのか? 可哀想になぁ」
彼が無理矢理唇を重ねてきた。私は無我夢中で彼を殴ろうとしたが、別の誰かに腕を取り押さえられた。
「ちょっと俺達の遊びに付き合ってくれよ。お前も雨に濡れて身体が冷え切ってるだろ? 俺が温めてやるよ」
「……マルぐっ‼」
魔法で炎を出してやろうとしたら、お腹を蹴られた。
「ほらほら、濡れた服を着てちゃ余計に身体が冷えるだろ? 一人で脱げるか? 脱げない? なら俺が脱がしてやる」
「触らないっ⁉」
今度は顔を叩かれた。
「女は黙ってた方がいいって教わらなかったのか? 教育がなってねぇなぁ。でも安心しろ? これから俺がたっぷり教えてやるからよ」
「あぐっ!」
私は地面に投げ倒された。その上にドスコが跨る。
「や、やめ……」
「だぁいじょうぶだ。すぐに気持ちよくさせてやるからよぉ」
彼が私のドレスに手を掛け、そして――
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