第45話 ボロボロの身体

「はっ……はあ……うっ……」


 木の根っこに躓いて、まともに前に倒れた。痛みと悔しさで涙が出るが、なんとか立ち上がり、ふらつきながらも歩を進める。


(兄さん……)


 破れたドレスは修繕魔法を掛けて着た。流れ出た血も魔法で止めた。それでも傷が多すぎる。心の傷が、深すぎる。


(兄さん……!)


 自分でも何処を歩いているのか分からない。探知魔法で自分の屋敷を探り、示された方向へひたすらに進む。だが直線でしか示してくれないから、道とも言えない道を進んでいる。


(兄さん、助けて……!)


 何度もよろめき、躓き、倒れ、身体の何処かを打ち、新たな傷を作り、雨が染みて痛みが増し、涙が溢れ、嗚咽を漏らし、それでも前に進んだ。


(兄さん、早く……)


「あっ!」


 何度目かの転倒。膝を強かに地面に打ち付けた。


「うう……」


 もう嫌だ。痛い。辛い。苦しい。寂しい。こんな思いをするくらいなら、いっそ……死んでしまいたい。


「何処かで見てるなら……早く殺したすけてよ……ムル……」


 それでも神は、助けてくれなかった。


 もうどれだけ歩いたか分からない。今が何時なのかも分からない。ここが何処なのか分からない。本当に家に向かって歩いているのか分からない。何処が痛むのかすら分からない。どうしてこんな事になってしまったのか分からない。自分のせいなのか、別の誰かのせいなのか分からない。


(兄、さん……)


 兄さんに会いたい事しか分からない。だから、兄さんに会う為に、私は進んだ。


 ふいに、開けた場所に出た。大きな屋敷がそびえ立っている。


「あ……」


 着いた。やっと着いた。やっと家に着いた。屋敷の裏手に着いた。我が家の事をこれ程までにありがたく感じたのは初めてだ。


「うっ……」


 安心すると、また涙が出てきた。同時に、また怖くなってきた。兄さんに会いたい。でも会うのが怖い。今のこの姿を見られるのが怖い。何があったか知られるのが怖い。玄関は反対側にある。そこまで行って家の中に入らなきゃと思うと足が竦む。でもここにいれば一先ずは安全だ。幸い、角になっている所では壁のお陰で多少雨を防いでくれる。もう疲れた。今はここにいよう。


 暫くの間は膝を抱えながら泣いていたように思う。感覚が麻痺してよく覚えていない。だから、


「スティル……?」


 と急に話し掛けられた時は、驚き、声の主が男である為恐怖が蘇り、びくりと身を震わせた。


(誰……?)


 恐る恐る声のした方を見ると、そこにいるのは心配そうな顔をした兄さんだった。


「にぃ……さ、ん……」


 兄さんの姿を認めると、様々な感情が涙として溢れだした。安心、絶望、安堵、恐怖、兄さんに会えた、兄さんに見られたくない……。言葉にし尽せない程の感情が綯い交ぜになった。


 兄さんが慌てたように駆け寄ってきた。


「スティル、大丈夫か? 立てるか? こんな所にいては風邪を引いてしまう。さあ、家の中に入ろう」


「う、ん……」


 私は兄さんに抱きかかえられながら立ち上がり、ゆっくりと玄関へ歩き出した。


 中に入ると、ヴァンスが出迎えてくれた。


「お嬢様……! 帰りが遅いので心配致しましたよ。まぁ、こんなに汚れて……」


「ヴァンセート、スティルを風呂に入れてやってくれないか。その後はスティルの部屋まで来てくれ。そこで怪我の治療をする」


「かしこまりましたわ。お嬢様、お身体が冷えていらっしゃいますでしょう? お風呂で温まって、お身体を綺麗にしましょう」


「うん……」


 兄さんに変わってヴァンスが私の身体を支え、私は彼女と共に風呂場へ行った。


 ヴァンスは私に何があったのか聞きたそうにしていたが、私がそれを話す気分ではない事を感じ取ってくれた。代わりに、服を脱ぐ時も、風呂場で彼女が私の身体を洗っている時も、綺麗な服に着替える時も、私を労わるような言葉を掛けてくれた。それが嬉しくて、申し訳なくて、私はまた涙を流した。

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