第46話 治療
「お嬢様、お部屋に着きましたよ」
ヴァンスが私の部屋の扉を開けると、そこには治療の準備をした兄さんがいた。兄さんは私に、椅子に座り、兄さんが準備したお茶を飲むように言ってきた。恐らくは兄さんが調合した魔法薬の類いだろう。私はそれを少しずつ飲んだ。
「ん……」
私の予想は当たった。口内の傷が癒えていくのを感じる。
「ありがとう」
「ああ」
ただの魔法薬を出すのではなく、温かいお茶を出してくれたお陰で、身体の内側も温まっていく。温かさを感じる事で、気分も少しばかり和らいだ。
「さあ、スティル。怪我の治療をしよう。怪我の数が多いようだから時間は掛かるが」
「待って、兄さん」
「ん? どうした?」
私は隣に立つヴァンスを見上げた。
「ごめん、ヴァンス。兄さんと二人だけにしてほしいの」
「お嬢様……大丈夫でございますか? 私、お嬢様の事が心配ですので、できればおそばにいたいのですが……」
ヴァンスが心配そうな顔で私の顔を覗き込んできた。ヴァンスが心配してくれるのも嬉しいが、でも……この話を、何人もの人に聞かれたくはない。ヴァンスには申し訳ないが、今だけは兄さんと二人きりでこの話をしたい。
「ごめん……。でも、私は、兄さんがいれば大丈夫だから……」
彼女は尚も心配な顔を私に向けたが、私が考えを曲げる気が無い事を悟り「失礼します」と言って部屋を出た。
「いいのか? ヴァンセートもついてなくて」
「……うん。今は……聞かれたくない。……兄さん、始めて」
「……ああ」
兄さんも何か聞きたそうな顔をしているが、黙って私に治癒魔法を掛け始めた。
顔、腕、足……至る所に傷がある。兄さんが私に触れる度に、私の身体は恐怖で震えた。簡単に治せる傷ばかりでも、それもあって余計に治療に時間が掛った。だがこれで傷は全てではない。服の下にも、傷はある。
「……」
私は、覚悟を決めた。
「ねぇ、兄さん」
「何だ?」
「私、あいつらに……バラゴレア家の奴らに……」
数時間前の恐怖を思い出し、私はまた嗚咽を漏らした。やっぱり、言うのが怖い。
「あいつらに何をされたんだ?」
兄さんが優しい声で言う。大丈夫。相手は兄さんだ。私に怖い事はしない。
「あいつ……あのドスコが、知ってたの。私の……婚約の事」
「婚約の事で、何か言われたのか?」
その先を言おうとして、でも怖くて、言いたくなくて、兄さんに嫌われたくなくて、言葉にならない声が出た。大丈夫。兄さんなら大丈夫。私は何とか呼吸を整えて、次の言葉を喋った。
「婚約前に……したら……婚約、破棄……」
そこまで言うと、兄さんは怒りの表情を浮かべて勢いよく立ち上がった。
「あいつに……されたのか……」
あの時の光景を思い出し、私は堰を切ったように泣き出した。怖い。怖い。怖い。泣きじゃくる私を兄さんが抱き締めた。
「うっ……怖かった……。私、抵抗……したのに……ぐすっ……何人もいて、勝てなかった……」
「そうだな。怖かったな……」
兄さんが私を安心させるように、慰めるように、頭や背中を撫でる。
(ごめん……兄さん……)
兄さんと一緒にいる為に、私は綺麗な身体でいたかった。それなのに汚されてしまった。この事が原因で、兄さんに迷惑を掛けてしまうかもしれない。兄さんに迷惑を掛けたら、綺麗な身体でなかったら、兄さんに嫌われてしまうかもしれない。嫌だ。怖い。兄さんの愛が欲しい。兄さんの愛だけが欲しい。私には兄さんが必要だ。兄さんにも私を必要としてほしい。兄さんに捨てられたくない。私を兄さんのそばにいさせてほしい。
不意に兄さんが口を開いた。
「思い出させるようで悪いが……あいつらに、どこを触られた? あいつらが触れた物を何か持っているか?」
「……?」
兄さんの言いたい事が分からず、私は首を傾げた。すると兄さんは私の目を見つめ、真剣な表情で言った。
「あいつらを……もっと酷い目に合わせてやる」
「……!」
ああ、やっぱり。兄さんは私の兄さんだ。
兄さんは、私の身体や服や装飾品に付いていた奴らの魔力を採取した。服の下に隠れていた傷や痣も治癒魔法で治してくれた。その時にまた恐怖が蘇りはしたが、兄さんはとても優しくしてくれた。
「よし。このくらいでいいだろう。よく頑張ったな、スティル。疲れただろう? ゆっくり休め」
兄さんは私の頭を優しく撫でてから、この場を立ち去ろうとした。だが私は縋るように兄さんの腕に抱きついた。
「待って、兄さん。……一人に、しないで」
泣きはらした目で兄さんを見上げると、兄さんは驚きと悲しみと戸惑いが複雑に絡み合ったような顔で見返してきた。
「スティル……」
「お願い、兄さん……。怖いの……。一緒にいて……一緒に……寝てほしい……」
「っ……」
兄さんの顔に戸惑いの色が広がった。
「お願い……一人で、いたくない……。兄さんとなら、安心できるから……」
今、暗い中で一人きりでいるのは怖い。兄さんと二人きりでいたい。兄さんの腕の中にいたい。
「……分かった」
兄さんは長い溜息をつくと、私を抱え上げてベッドまで運んだ。そうして自分もベッドに入る。
「これでいいか?」
「……うん」
私がもぞもぞと動いて兄さんの身体にぴたりと自分の身体を寄せ付けると、兄さんは私の背中に腕を回した。
「灯り、消すぞ」
「うん」
兄さんの手の一振りで、室内で灯っていた蝋燭の火が全て消えた。辺りが闇に包まれた。でも大丈夫だ。私は兄さんに包まれている。ここなら安全だ。何の心配もいらない。兄さんが守ってくれる。
「おやすみ、スティル」
「……おやすみなさい、兄さん」
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