第42話 『茨の王』
暫くは日差しと同じくらい穏やかな日々を過ごした。けれども心の中には常にいつ死ぬのだろうという不安があった。今日か、明日か、それとももう少し先か。私は兄さんと離れ離れになる前に死ぬのか、それともその後か。どちらにせよ、死んでしまえば結局は兄さんと離れ離れになってしまう。
不安がある中でも私は気丈に振舞った。兄さんに不安を悟られまいとした。兄さんに心配を掛けたくない。兄さんの前ではできるだけ笑顔でいたい。私が笑顔でいれば、兄さんも笑顔になってくれるから。
兄さんは最近、家を出る準備を少しずつ進めているらしい。屋敷から遠く離れた場所にある病院と、父さんにバレないように密かに手紙のやり取りをしているそうだ。
「学校での成績は申し分ないようだから一度腕前を見てみたい、だそうだ。中退させられたせいで学習できなかった分は、実践を交えながら教えるとも言ってくれた」
「そうなんだ。よかったね、兄さん」
「ああ。ただ、日帰りできる距離ではないからな。父さんに怪しまれずに数日間出掛ける言い訳を考える必要がある。いっそアウリハリアの時にでも行こうかと考えたが、ワタシが祭りに行くと言う時点で怪しさしかない」
「ふふっ。兄さんてば、お祭りあんまり好きじゃないもんね」
「お前を一緒に連れていけば、とも思ったが……お前は、奴の誕生日を祝いに行くんだろう?」
「……うん」
「ならば、それの邪魔はできない。お前の楽しみを奪う訳にはいかないからな」
兄さんはもうウェルグの事を必要以上に警戒しなくなった。彼が私の友人となったからだ。兄さんの前で、彼となら結婚してもいいと宣言した事もあり、兄さんも彼を認めるようになった。兄さんの中でも、ひとまずは私が彼と結婚するものとして考えているようだ。結婚生活が嫌になったらいつでも言え、とも言ってくる。
父さんと母さんの前では、ウェルグと結婚してもいいとは言っていない。初めから私の意思とは関係無しに結婚するものとして話が進められているのだから、言う意味が無い。それに言ってしまえば、まだ決められていない結婚する日がすぐにでも来てしまうような気がして言う気にならない。私は少しでも長く、兄さんと一緒にいたい。
月が替わると、ウェルグから観劇のお誘いが来た。『茨の王』という舞台で彼の友人が出演しているそうだ。『茨の王』は最近作られたばかりで私もまだ観ていないから、快くその誘いを受けた。
「気をつけて行ってこいよ。人が多い場所に行くんだから、護身用の道具も忘れるな」
「もう。心配しすぎだよ、兄さん」
「人混みや暗がりに紛れて悪事を働く奴もいるんだ。心配もするだろう」
「兄さんがくれた髪飾りや指輪とかつけていくから、大丈夫だよ」
兄さんは彼についての心配はあまりしなくなったが、それでも彼と二人で出掛けるとなると何かと不安なようだ。私はそんな兄さんを安心させるように、兄さんが作ってくれた護身用魔法道具を身に付けて出掛けた。
この日は朝から雨が降っていたので、私はドレスを汚さないように気を付けながらウェルグの乗ってきた馬車に乗り込んだ。劇場までの道中、彼は舞台に出演する友人がどんな人なのかを聞かせてくれた。
「とても面白い奴で、いつも誰かを笑わせていたんだ。落ち込んでいる人がいれば放っておけない性格で、僕も何度も彼に救われたよ。とにかく明るくて、大胆で、それでいて親切なんだから、学校では皆の人気者だったんだ。親の反対を押し切ってまで劇団に入ったと聞いた時は驚いたけど、ちゃんと舞台で活躍しているようで安心したよ。彼がどんな役を演じるのか楽しみだ」
雨が降る中で、彼は太陽の様に明るい笑顔を見せた。
前回とは別の劇場に到着した。劇場も最近新しく建てられたものらしく、晴れていれば真っ白な壁を眩しく感じただろう。幸いここは石畳の為、ドレスの裾が泥で汚れる心配は無い。足を滑らせないよう気をつけながら馬車から降りた。
既に一度彼と観劇しているから、男女二人で来ている他の観客達や、そこに紛れる私も男性と一緒にいる、という状況には慣れた。……だからと言って、彼と腕は組まなかったが。席に着くと、まもなく劇が始まった。
『茨の王』は、とある小国の王様が、隣国との戦の指揮を執り、勝利へと導く物語だった。戦は思い通りに進まず、裏切り者も出る中、王様は何としても戦に勝とうとあらゆる策を講じる。王様が選んだのは茨の道だった。裏切り者を炙り出し、周囲の人物を――家族さえも――信じないようになり、どれだけの被害が出ようが自軍を敵地へと進ませた。戦には勝ったが、その時には王様は誰の事も信じられなくなり、人々からも茨の王と呼ばれ恐れられるようになってしまった。その事に王様は耐えられず、ナイフで己の心臓を突き刺した。
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