第29話 気まずい食事
「客間を通りかかった使用人の話では、笑い声が絶えなかったそうじゃないか」
「ええ、楽しい時間を過ごさせていただきました」
私がイズヴェラード家で昼食を食べた時のように、ウェルグが父さんの隣に座り、父さんが彼にあれこれと質問をする。彼は先程の客間での会話を、それはそれは愉快そうに父さんに話して聞かせた。
「うちの娘は引っ込み思案な所もあるが、君と上手くいっているようで安心したよ」
「いえ、まだ彼女からは婚約者と認めてもらえていないので、まだまだこれからです」
「まったく。一体誰に似てそんな頑固な娘に育ったのかしらね」
母さんまで会話に参加しだした。
「それは私が頑固だと言いたいのか?」
「あら。あなたが頑固じゃない時があったかしら。あなたなんて私達が結婚した時、私の花嫁衣装の飾りが気に入らないとか言って仕立屋を困らせていたじゃない」
「それを今言う必要はないだろう」
兄さんはこの会話をどういう気持ちで聞いているのだろうと兄さんを見たら、兄さんは何も聞こえていないかのようにステーキを切り分け、口に運んでいた。私もそれに倣って、黙って備え付けの野菜を一口大に切って食べた。
「ウェルグ君。妻が言うには娘は私に似て頑固者のようだが、その分他の男に現を抜かす事は無いだろう。どうか娘の事を大切にしてほしい」
「ええ、勿論です」
舌打ちが聞こえたような気がした。……勿論、兄さんから。
「何故スティル本人の意思を確認せずに話を進めるんだ」
今まで兄さんの存在を無視するように会話をしていた三人が、一斉に兄さんの方を向く。溜息をついて、初めに口を開いたのは父さんだった。
「お前はまたその話か。いつまで経っても自分好みの婚約者が見つからないからと、醜い嫉妬をしているのではないだろうな」
「馬鹿を言え。ワタシは誰とも結婚するつもりが無いだけだ。嫉妬などするものか」
「馬鹿を言っているのはどっちだ。お前にも結婚してもらうぞ。跡継ぎを残してもらわねばならないからな」
「ふん。ワタシの意思も無視か」
兄さんはそれだけ言い残して席を立ち、食堂から出ていった。
「……ああ、すまない、ウェルグ君。見苦しい所を見せてしまったね」
父さんがわざとらしく嘆息して肩を落とした。
「いえ、お気になさらず。僕も父と喧嘩する事はありますから。それに、ロクィルとは学年は違えど学校は同じだったので、色々と噂は聞いています。彼は本当に物怖じせずにものを言う人なんですね」
「全くもって困った息子だよ。だがスティルの婿となる人間が、あれとは正反対の君でよかった。スティル、お前もそう思うだろう」
こんな時にだけ私に話を振ってきた。仕方がないので、少し考えてから答えた。
「お兄様は、他の方とは違うから良いのです。何人もいては困ります。お兄様は、唯一無二だからお兄様ですもの。なので……ウェルグ様がお兄様とは全然違う人間なのは、当たり前の事ですわ」
「ええっと、それは……僕がこういう人間でよかった、という意味でいいのかな」
ウェルグが困ったような笑顔を浮かべながら訊いてきた。
「ええ。そう申しました」
私が素っ気ない態度を取るので、すかさず母さんが割って入った。
「ごめんなさいね、ウェルグ君。この子ったら、時々回りくどい言い方をするのよ」
「ええ、何度かやられましたよ。ですが、きっと彼女も恥じらいを隠す為だったり、本心を隠す為にこうした言い方をしているのだと僕は思っています。誰だって隠しておきたい事の一つや二つ、あるものですから」
「あら。本当にあなたは優しい人ね。でもスティル、あまり彼を困らせちゃ駄目よ」
「……困らせようとはしていません」
困らせているのは、どちらかと言えば彼の方なのに……。しかし反論しても無駄だろう。そう思っていたら――。
「いえ、むしろ僕の方こそ彼女を困らせています」
と、ウェルグが言った。
「彼女を婚約者にしたいと言ったのは僕です。僕のその我が儘で、彼女を無理に婚約者にさせたんですから、僕のせいで彼女を困らせているようなものです。なので彼女がこうした態度を取るのも無理もありません。まだ僕達はお互いの事をよく知らない訳ですから、初めの内は警戒しても当然です」
(……かばってくれた?)
だがそう思ったのも束の間、父さんと母さんは感心するような目を彼に向けた。
「君は本当に立派な人だ」
「あなたがスティルの婚約者になってくれて、本当によかったわ」
(ああ……)
どうせ、好印象を植え付ける為の演出か。
「そんな事ありません。彼女はまだ僕を婚約者だと認めていないので、僕はまだまだ半端者ですよ。彼女を困らせている間は、一人前とは言えません」
「いや、それだけでも立派な心掛けだ。あんな不出来な息子よりも、君の方がよほど出来た人間だ。息子に見習わせたいものだね」
その後も暫くは両親がウェルグを褒めそやすような会話が続いた。父さんも母さんも、きっと彼のような息子が欲しかったのだろう。自分達に楯突いたり、縁談を台無しにしたり、自分勝手な行動をしたりしない、誰にでも自慢できるような息子が。
(兄さんだって、立派な人なのに……)
「ん? スティル、今何か言ったかい?」
「えっ?」
自分でも気がつかない内に、心の声が漏れていたらしい。隣に座るウェルグが私の顔を覗き込んできた。それに釣られるように、父さんと母さんもこちらを向く。こうも注目されては、はっきりと言うしかない。私は顔を上げた。
「お兄様も、立派な方です。勤勉で、努力家で、何度失敗しても諦めず挑戦し、必ず成功へと辿り着く。誰にでもできる事ではありません。お兄様は不出来な人間ではありません」
言い終わると、食堂がしんと静まり返った。父さんは眉間に皺を寄せ、母さんは困惑した表情を浮かべた。最初に沈黙を破ったのはウェルグだった。
「そうか。それで彼はあんなにも魔法が上手なんだね。学校でも成績は常に上位だったと聞いているよ。そうか。それは努力の賜物だったのか。僕も見習わないとな」
「……ええ、見習ってくださいまし」
彼がそんな事を言うとは思いもよらず、私は目を丸くしながら答えた。
「シュツラウドリーさん、美味しい昼食をご馳走していただきありがとうございます。お話も楽しかったです。スティル、食後の散歩に付き合ってもらってもいいかな。庭園を見て回りたいんだ」
(……ああ、やっぱり、この人は)
「ええ。よろしいですわ」
「ありがとう。それじゃあ行こうか」
彼が立ち上がって「失礼します」と言うので、私もそそくさと立ち上がり、食堂を出ていく彼の後に続いた。
屋敷を出て庭園に着くと、彼は「ごめんね」と言い出した。
「ロクィルの事を悪く言う気は全然無かったんだ。でも、君の両親が、その……」
「両親がお兄様を嫌っている事くらい、知っていますわ。お兄様を落として、ウェルグ様を持ち上げるのも不思議ではありません」
「そうなのか……ごめん」
「あなたが謝る事ではございません。……私を、助けてくれたんですもの」
「ええっ⁉ 僕、何か助けるような事したかな」
彼の目が泳いでいる。嘘が下手な人だ。
「あのまま会話を続けていても、私が嫌な思いをするだけだから連れ出したものだと思いましたが……違いましたか?」
「あ、いや、それは……うん。その通りだよ」
恥ずかしそうに目を背けながら、彼は続けた。
「君の前で言うべき事ではないけど……ロクィルは、学校でも陰口を言われていたんだ。でもまさか家でもそうだとは思わなくって……。君がお兄さんの事を大切に想っているのは知っているから、君をあのままあそこにいさせたくなかったんだ」
「……ありがとうございます。やっぱり、あなたには優しい所もあるんですのね」
「そんなに大した事はしていないけど……どういたしまして。ちょっとは僕の事、見直してくれたかな」
「その一言が無ければ見直していました」
「これは失敬」
あはは、と彼が笑う。呑気な人だ。
「あ、君も笑ったね」
「えっ?」
いきなり指摘され、私は思わず口元を隠した。今、私は本当に笑っていたの……?
「ほんのちょこっとだけどね。笑っていたよ。素の笑顔だった。別にそうやって隠して恥ずかしがる事じゃないよ。誰だって、面白い事があれば笑うのが普通さ」
こうやってね、と言って彼は笑顔を見せる。兄さんとは違う、誰からも好かれそうな笑みだ。
「ですが、今私が笑ったのであれば、ウェルグ様は私に笑われたようなものかと思いますが……それでもよろしいのですか?」
「君の笑顔が見られるなら、君に笑われたって構わないさ。ああ、でもあんまり酷く笑われるのは嫌だけどね」
と言って彼はまた笑う。本当に、この人は。
「おかしな人ですね」
ふ、と自分の口元が緩むのを感じた。それを見た彼が「また笑ってくれた」と言って笑う。
たまにはこうして笑い合うのも、悪くないかもしれない。
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