第5話 生きる呪い

「キミはすまない事をしたな。だが、ワタシは……キミの気持ちに応える事ができないんだ。上手く言えないが、キミに……いや、キミでなくても、そうした類いの想いを抱いた事がなくて……他人から向けられるのも、非常に困るんだ。とにかく、その気持ちを返す事ができない。だからキミとはここでお別れだ。少し離れた場所にはなるが、ワタシが世話になった教授の家を訪ねるといい。ワタシの名前を出せば、何か力になってくれるだろう」


 私は住所を書いた紙を無理矢理彼女に握らせた。


「これくらいの事しかしてやれなくて、すまない。……あと、これも持っていくといい」


 懐から金の入った袋を取り出した。ニヶ月は寝食に困らない程度の額が入っている。これも彼女に渡そうとしたが、受け取りを拒否するように彼女は首を振った。


「それは受け取れません。坊ちゃまがお持ちになってください」


「いや、受け取ってくれ。必要になるだろう」


 私には必要なくなるものだ。私が持っていても意味が無い。


「坊ちゃま……自害なさるおつもりですか」


「……」


「お嬢様程ではありませんが、私だってそばで坊ちゃまを見ていたんです。そのくらいの考えは想像できます。言ったではありませんか。お嬢様を亡くされた坊ちゃまが自ら命を絶つのではないかと思うと怖い、と」


「……そうだったな」


「それは、坊ちゃまが生きる為にお使いください。お嬢様を亡くして、その上坊ちゃままでいなくなってしまったら、私は生きる気力を無くしてしまいます。……坊ちゃまは、生きてください。お嬢様もそれを望んでいるはずです」


「……」


 スティルは、私が後を追って死のうと考えている事を知ったらどう思うだろうか。私には生きていてほしいのだろうか。それとも存在すればの話だが、共に死後の世界にいてほしいと思うだろうか。


 ――一人で行く。兄さんはここにいて。私を見守っていてほしい。


 ――兄さんには、ここにいてほしいから。


 ――私は大丈夫。一人で……行ってくるね。


「っ……」


 ふと脳裏に浮かんだ、スティルの最後の言葉。あの時スティルは、自分が死ぬ事を知っていたのだろうか。知っていて、あんな事を言ったのだろうか。だとしたら……。


「ああ……」


 いつか妹が言っていた。この世界に生まれた事も、呪いみたいなものだと。最後の日、スティルは私に呪いを掛けた。“生きる”呪いを。


「ああ……!」


 きっと妹は知っていた。私の作った武器で己も死ぬ事を。だから私にあの言葉を、呪いを送った。生きてここにいて、と。そして愚かな兄の自惚れを咎める事無く、全てを受け入れ死んでいった。


「うっ……スティル……すまない……! ワタシは、なんて愚かな事を……!」


 とめどなく涙が溢れ出した。取り返しのつかない愚行。戻ってこない命。しかして妹は理解した上で自らその選択をした。そこにはどんな想いがあったのか。いつから分かっていたのか……。


(……ムル)


 いくら資料を漁っても出てこない、謎の神。原初の神とかいう聞いた事も無い神話の、死を司る神。妹の夢に出てきたというその神が知らせたのか? 一体何者なんだ。何処を探せば手掛かりが見つかるんだ。


(……そうだ)


 それを調べる為にも、生きねば。それにムルの話によれば、女神スティルもその原初の神の一柱で、破壊と月を司るという。カタ神話で語られる彼女の姿とは全く別物だ。


 生きて、彼女達の事を調べねば。


「ああ……ワタシは、生きる。生きて、調べたい事が山ほどある」


「……ええ。その方が、坊ちゃまらしいです」


 ヴァンセートは泣きはらした顔で笑顔を作ってみせた。彼女には彼女の思惑があって私についてきたが、それでもやはり彼女を連れてきたのは正解だったようだ。彼女がいなければ、私は今ここにいないだろう。


「ありがとう、ヴァンセート。ワタシは生きる。だが……ロクィル・シュツラウドリーは死ぬ。この街と共に」


「……どういう意味でございますか?」


「ワタシにはもうロクィル・シュツラウドリーの名を名乗る資格は無い。シュツラウドリーの名を名乗る事を禁じられたし、何よりスティルを守れなかった」


「では、これから何と名乗るのですか?」


「……ロクドトだ」


 スティルと共に出掛けた日、男装したスティルはその姿に合う名前をつけた。ロクドト。女神スティルを守って死んだ神話の英雄ロクィルの、元々の名前。妹がどんな想いでその名前にしたのかは分からないが、“スティル”を守れなかった今の私にはお似合いの名前だろう。


(借りるぞ、お前の名前)


 私は祈るように服の上から妹の遺骨を握りしめた。今度は、お前が私を見守っていてくれ。


「これからのワタシの名前は、ロクドトだ。苗字は、まぁ……後々考える。今後ワタシに会う機会があれば、ワタシの事は坊ちゃまでもロクィルでもなく、ロクドトと呼んでくれ」


「かしこまりました。……ロクドト様」


 彼女が微笑んでお辞儀をした。彼女は私より余程できた人間だ。これからの彼女の人生が善きものである事を祈る。


「さあ、キミはもう行ってくれ。心配しなくても、ワタシはもう自ら命を断とうなどと思わない。それよりもワタシには、キミが逃げ遅れてしまう事の方が心配だ。これは……そう、最後の命令だ。キミは今からその教授の元まで行ってくれ。あの人ならきっとキミの助けになる。……ワタシはもう、大丈夫だ」


「……はい。かしこまりました。ロクドト様、必ず生きてくださいね」


「ああ」


 最後に彼女は深く、長く一礼して、彼女の道を歩いていった。


(……よし)


 さあ、私も“ロクィル・シュツラウドリー”の人生に結末を付けに行こう。

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