第39話 解剖
こうして日々を過ごしているうちに、風は冷たくなり、木々は裸になり、雪が舞い、ある朝起きると窓の外が一面の銀世界になっていた。
「お嬢様、おはようございます。お布団から出る時間ですよ」
「……寒いから嫌」
「もう。起きてくださらないのであれば、仕方がありません。窓を開け放ってさしあげましょう」
「ごめん、ヴァンス。おはよう」
私はヴァンスが窓を開ける前にベッドから起き上がった。
これだけ寒く、雪が降り積もっているのならきっと……と予想しながら食堂へ行くと、案の定朝食の席に兄さんはいなかった。今頃大喜びで雪の日にしか咲かない花を摘みに出かけているのだろう。ああいうのは貴重な魔法薬の材料になるのだそうだ。
予想通り花を摘みに出掛けていた兄さんは、昼前に鼻先を赤くして帰ってきた。お目当てのものが沢山採れたのか、上機嫌な様子だ。そんな兄さんが昼食の後、私を屋敷の一番隅にある部屋――兄さんが解剖をする時に使用している部屋へと呼びこんだ。
「二人で出掛けた時に捕まえた魔獣の事は覚えているな? あれを魔獣にしたのが誰なのか、やっと分かった」
寒い室内で兄さんが白い息を吐きだしながら言った。この部屋に暖炉は無いし、室温を上げたくても上げられない理由が山ほどある。
「兄さんにしては時間が掛ったね。それで、誰がやったの?」
「バラゴレア家の奴らだ。普通の動物を魔獣にする実験をしている、という噂は聞いていたが、本当だったようだな。誰がやったのか分からなくする為か、一人ではできなかったからなのかは知らんが、複数人の魔力が混ざり合っていた。そのせいで解明するのに時間が掛った」
机の上に、魔獣だったものの皮や骨、爪等が綺麗に並べられている。だが一番目を引くのは、透明な瓶の中に液体と共に詰められた心臓だ。人造魔獣らしく、禍々しい青紫色に変色している。
「奴らが造った魔獣はこの一体だけではないはずだ。バラゴレア家の敷地内にもいるだろうし、この子犬のような失敗作や、手懐けられずに逃げ出した人造魔獣が徘徊している可能性もある。街中に現れる事は無いだろうから、あの時のような森や、草原や、湖や……まぁ人里から離れた所を探せば見つかるだろう」
「……失敗作?」
「ああ。この子犬は元々の体力が倍増されたくらいで、魔獣としての能力は無いに等しい。だから恐らくは捨てられたんだろう」
「そう……」
勝手に改造された挙句、能力が無いからと捨てられただなんて。この子犬には、犬として生きる権利があったというのに……。
「もう何体か見つけて捕らえて警備隊にでも差し出せば面白い事になるだろうが、この寒さではさしもの魔獣でも大人しくしているだろう。雪が降っては住処を見つけるのも一苦労だ。今朝も探したが一体しか見つけられなかった」
「え⁉ 兄さん、今朝は魔獣を探しに出掛けてたの?」
帰ってきた時に「良い収穫があった」と言っていたが、それは花の事ではなく、魔獣を捕まえたという意味だったの?
「ん? ああ、パスノルーチェも大量に摘んできたが、その時に妙な気配がすると思ったら近くで魔獣が泡を吹いて倒れていたんだ。強くなりすぎた自分の力についていけなかったんだろう。放っておいても苦痛が長引くだけだから、とどめを刺して持って帰ってきた」
何でもない事のようにとんでもない事を言う兄さん。パスノルーチェは雪の様に真っ白でふわふわとした花弁が特徴的な、見た目はとても綺麗な花だが、その正体は毒草だ。素手で触れるとかぶれる恐れがある為、雪遊びをする時はパスノルーチェに気をつけろと子供の頃によく言われた。大量に摘んで、何を作る気だろう……。
(あ、私にたまにくれる、護身用の魔法道具を作る為かな)
心配してくれるのはありがたいけど、物騒なものを幾つも身に付けたい訳ではない。ウェルグの事ならもう悪い人ではないと分かっているから大丈夫だし、誤作動を起こして自分に発動してしまったら、とふと考えて怖くなる時もある。
「一緒に連れていってやれなくてすまない。だがお前は寒い日の朝は特に苦手だろう? 無理に起こすのも悪いと思ったんだ」
私が連れていかれなかった事に不満を抱いていると思ったのか、兄さんはそんな事を言って私の頭を撫でた。
(そうじゃないんだけどな……)
そうではないのだが、兄さんに撫でられて嫌な気はしないのでそのまま撫でられ続けた。
「冬の間、奴の家に行く予定はあるか?」
唐突な質問で一瞬誰の事を聞いているのか分からなかったが、ウェルグの事だと思い当たり私は無いと答えた。
「そうか。なら、今朝捕まえた魔獣の解剖や調べものを手伝ってくれると助かるんだが、いいか?」
「……うん。いいよ」
調べものというのは、もしかしたらムルの事だろうか。暫くの間ムルやあの夢について考えないようにしていたが、死に対する恐怖が無くなった訳ではない。
(やっぱり、一人で抱え込まずに兄さんに相談した方がよかったのかな……)
私が一人で悩んでいると気づいて、兄さんはこの提案をしたのだろうか。
(兄さんには、敵わないな)
「ありがとう。それじゃあ早速解剖を始めよう」
兄さんが捕まえてきた魔獣は、丸々と太った猪だった。これを一人で解剖するのは骨が折れそうだ。
血は既に抜かれていたので、腹を切って内臓を取り出した。やはりこちらも心臓が青紫色に変色している。兄さんはそれを素早く瓶の中に詰めて液体を注ぎ込んだ。この液体は心臓を腐らせないようにする為の特殊な液体なんだそうだ。それから皮を剥ぎ、頭を切り落とすと、兄さんはうっとりした顔で眼球を抉り出した。
「この目で何を見てきたのか、後で教えてくれ」
眼球に話し掛けて、トレイの上に載せる。眼球に見てきたものを再現する魔法を掛けるのは、獲物を捕らえた時の兄さんの楽しみの一つでもある。ただし相手が魔獣だと成功率は低い。今回はどうなるだろう。
次に骨と肉を分けようとしたが、今のうちに綺麗にしておけと言われて私は部屋から追い出された。夕食前に汚れや臭いを落としておけ、という意味だ。私は誰にも出くわさないよう気をつけながら自分の部屋に戻った。服を汚して変な臭いを纏っている所をヴァンス以外の使用人に見られると、必ず後で父さんか母さんから小言を言われる羽目になる。
それから数日は、時間のある時に兄さんと魔獣の解剖を進めた。兄さんが眼球に何度も再現魔法を掛けている間、私は骨を綺麗に洗って骨格標本のように並べていった。再現魔法は上手くいかなかったようで、兄さんは悪態をつきながら心臓の入った瓶を持って別室へと移っていった。この猪を魔獣にした人物(推定バラゴレア家の誰か)を特定して、文句でも言う腹づもりだろう。
解析の結果、猪を魔獣にしたのは子犬を魔獣にしたのと同じ人達だと判明した。
「この魔力には見覚えがある。あそこの長男のドスコのものだ。他の魔力は奴の取り巻きか何かのものだろう」
数世代前にシュツラウドリー家とバラゴレア家は領地に関する問題でひと悶着起こし、今に至るまでバラゴレア家からは因縁をつけられている。今回の人造魔獣問題も、それが原因ではないかと兄さんは言う。
「この屋敷に向けて魔獣を放つ計画でも立てているのか? そんな事をしても自分の領地が広がる訳でもなかろうに」
兄さんが呆れた声を出した。
「だが、いくら人造とは言え魔獣は魔獣だ。危険である事に変わりはない。お前も外に出る時は気をつけるんだぞ」
「うん」
魔獣に関しては、現状ではこれ以上調べられる事がなくなった。翌日からは兄さんの調べものを手伝う事になった。
兄さんの調べもの、というのはやはりムルの事だった。ムルの言っていた“原初の神”や、スティル様が破壊と月の神だという話、それからカタ神話の成り立ちに、実話を基にした戯曲まで、大量の本を毎日少しずつ読んでは手掛かりを探った。だが目ぼしい成果は得られなかった。
「すまない。お前に手伝ってもらったのに、無駄な時間ばかり過ごさせてしまったな」
「ううん。気にしてないから大丈夫だよ。だって、私の夢に出てくるまでムルとか原初の神とか、一度も聞いた事が無かったんだもん。本当は、私の頭が作り出した、ただの幻想なのかも……」
それに私にとっては、兄さんと同じ時間を過ごせるだけで成果はあるのだから。
大量にあった本の殆どを読み終える頃には、雪が解け、新芽が芽吹き、新たな年を迎えた。
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