第24話 魔獣退治②

失せろツォテグ


 鋭い一声が頭上から響いた。と思うと私の身体は地面に着く直前で抱き留められた。一瞬の事すぎて、すぐには何が起きたのか理解できなかった。目を白黒させていると、心配しているようで、叱ってもいるような声を掛けられた。


「危ない真似をするな」


「ごめん、兄さん……」


(顔、近い……)


 醜態を晒した後で恥ずかしく、真剣な顔の兄さんを見ていると胸が締め付けられそうになるので、私は私の顔を覗き込む兄さんから目を逸らした。


「相手が人造魔獣だからと気を抜くな。一瞬の油断が命取りになるんだぞ」


「うん……痛っ」


 胸部に激痛が走り、私は胸を押さえるように蹲った。兄さんは私の胸元を一瞥し、「少し待ってろ」と冷たく言い放った。


 兄さんは魔獣がぶつかった際に脱げた私の帽子を脇に寄せてから私を地面に寝かせ、兄さんが放った古代呪文により遠くへ飛ばされた魔獣の元へと歩いていった。遠ざかる足音を聞きながら呼吸を整えていると、何かを地面に叩きつけるような鈍い音が何度も聞こえてきた。その音が止むと、足音が近付いてきた。戻ってきた兄さんの手には、大人しくなった魔獣がぶら下がっていた。


「服、脱げるか?」


「え? でも……」


「血が滲んでいる。早く手当てをするべきだ。そのままでは立って歩くのも辛いだろう。大丈夫だ。ここにはワタシしかいない」


「う、ん……」


(クルールィも、いるんだけどな)


 とは言えクルールィは馬だから、気にはなるがそこまで心配する必要もない。私は血が滲み、所々裂け目の付いた上着を脱ぎ、シャツを脱ぎ、上半身は下着のみとなった。


(は、恥ずかしい……)


 いくら相手が兄さんとは言え、そして上半身のみとは言え、下着姿を見られるのは恥ずかしい。私は顔を真っ赤にさせた。


 私が服を脱いでいる間に、兄さんは魔法で出した籠に魔獣を詰め込んで、それをクルールィの背に乗せていた。それが終わると私の前に来てしゃがみ込んだ。


「少し捲っても、大丈夫か?」


「……うん」


 私は消え入りそうな声で返事をした。私の了承を得た兄さんは、下着の裾を掴み、胸の下辺りまで捲った。露わになった私の肌には、魔獣の爪痕が刻まれていた。


「今は生憎応急処置しかできないが、見たところ毒性は無さそうだから安心しろ。これからそれを消す為に傷口に触るから、痛くても我慢しろ。恨むなら不用意な真似をした自分を恨め」


「……うん」


 再度小さな声で返事をすると、兄さんは治療に取り掛かった。


 兄さんは傷口に指を触れ、ゆっくりとなぞりながら治癒魔法を掛けていく。すると少しずつ傷口は塞がれていくが、これが焼けるように痛い。本来は時間を掛けて治していくものを魔法の力で無理矢理塞いでいくのだから、痛みを伴う副作用があるのも仕方のない事だ、といつだったか兄さんが言っていた。あれも確か私が怪我をした時だったと記憶している。


 私が呻き声を上げても兄さんは無視して治癒魔法を施し続けた。全ての傷が塞がれる頃には、私は全身に嫌な汗を掻き、兄さんの手には私の血がべっとりと付いていた。


「よし。よく耐えたな。偉いぞ」


 と言うと兄さんは私の下着を放し、比較的血の付いていないその手で私を抱き締めた。緊張感が解れどっと疲れの出た私は、そのまま兄さんに身体を預けた。


「うん……。ありがとう、兄さん」


「痛みも取れているはずだが……疲れているなら、暫くここで休んでいるか?」


「……そうする」


「分かった。ワタシは手を洗って、お前の服を綺麗にしたいから少し離れているが、いいな」


「うん」


 兄さんは私から手を離して立ち上がると、少し離れた場所で、魔法で出した水で自分の手や私の服を洗い始めた。私はその光景を、身体が土で汚れるのも厭わずに地面に寝転がりながら見ていた。そのくらい疲れていたのだ。


(迷惑、掛けちゃったな……)


 兄さんなら「迷惑だなんて思っていない」なんて言いそうだけど、だからといって私の心が晴れる訳でも無い。兄さんは私には優しいから、本当は迷惑だと思っているのに、私の前では否定している可能性だってある。その事を考えると、段々自分の事が惨めに思えてきた。


 私は兄さんの様に、何でもかんでもはできない。魔法の腕は兄さんに遠く及ばない。今回だって、油断したせいで怪我を負い、兄さんがいなければこのまま死んでいたかもしれない。兄さんだったら油断せず魔獣を退治しただろう。現に兄さんは魔獣の子犬を倒し、その魔獣は今、籠に入れられている。


(籠に入れて……どうするんだろう)


 粗方予想はつくが、私は兄さんに聞いてみる事にした。


「ねぇ、兄さん。その魔獣、どうするの」


 服に修繕魔法を掛けていた兄さんは、私を見て、クルールィの背に括りつけられた籠を見て、こう言った。


「お前が解剖するか? こいつはお前に怪我を負わせた。お前がこいつの腹を開く権利は十分にある」


 私に解剖させる、という話が来るのは予想外だった。


「私、は……見てるだけでいい。何か調べたい事があるから、兄さんはその魔獣を捕まえたんじゃないの?」


「ああ、その通りだ。誰があの子犬を魔獣にしたのかが気になるからな。調べれば必ずあれを魔獣にした奴の痕跡が出てくる。それをお前は自分の手で突き止めたいとは思わないのか?」


 兄さんは服の修繕を終え、綺麗になった服を私に差し出した。私は起き上がって身体についた土を払い、下着姿で汗も掻いていたから寒気を感じていた為、それを受け取って素早く袖を通した。


「私は、別に……無理矢理魔獣にされて、可哀想だと思っただけだから……」


「……お前は、優しいな」


 呆れたように溜息をつき、兄さんは私の隣に腰掛けた。


「だから助けようとしたのか?」


「……うん」


 着替え終えた私は、兄さんに寄りかかった。今は兄さんに甘えたい気分なのだ。……いつも甘えている気はするが。でも兄さんは今回は意地悪で、頭を撫でてはくれなかった。


「だとしても、自分の安全は確保しろ。近付くなら、相手の動きを完全に封じ込めてからにしろ。自分がやられては、無駄死にが増えるだけだ。あれだけ小さく、魔獣としての力も弱い方であれば、お前一人でも大丈夫なのではないかと思ったが……まだ早かったようだな。怪我をさせてすまない」


「そんな……! 兄さんが謝る事じゃないよ」


「いや、お前を一人にさせたワタシのせいだ。ワタシが判断を誤った。お前は何も悪くない」


「そんな事ない! 私が怪我をしたのは、私のせいだよ。私が油断したせいで……っ⁉」


 いきなり兄さんが抱き付いてきた。抱き締める力が強くて痛いくらいだ。


「兄、さん……?」


「謝らないでくれ、スティル。お前がどう言おうが、ワタシはワタシが許せないんだ。お前に怪我をさせるまで、お前を放っておいた自分が許せない。あの程度の魔獣ならお前一人でも大丈夫だと油断していた自分が憎い。お前の優しさを計算に入れていなかった自分が恥ずかしい。一歩間違えれば、お前を失っていたかもしれないのに……」


「……」


 兄さんの声が、腕が、震えている。兄さんが泣いている。泣いている所を見せまいとして、私を抱く力を弱めない。だから、私は……。


「大丈夫だよ、兄さん。兄さんが教えてくれた古代呪文のお陰で魔獣を怯ませる事ができたし、兄さんがいてくれたお陰で魔獣を倒せたし、兄さんが治してくれたお陰で爪痕も綺麗さっぱり無くなった。兄さんも、優しいよ。それに、ちゃんと私はここにいるから……大丈夫だよ、兄さん」


 そう言って、兄さんを抱き締め返した。兄さんの温もりに包まれる中で、私は出来る限り自分の温もりを兄さんに伝えたかった。


「……ありがとう、スティル」


 こうして私達は暫くの間――兄さんの涙が落ち着くまでの間――抱き締め合っていた。

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