第9話 スティル

 その後の話を簡単にしよう。


 翌朝目覚めた私は、まだ燃えくすぶる街を背に、クルールィに跨り走り去った。


 二日後、手紙でやり取りをしていた病院を訪れると、よく無事だったなと院長に涙をこらえながら言われた。どうやらあの街は自然災害に見舞われた事になっているらしい。犠牲者も多数出たようだ。私はその時勘当された為に既に街を出ていたと答えた。シュツラウドリーの名を名乗る事を禁じられた話もし、ロクドトと呼んでほしいと言うと、事情を察して了承してくれた。


 それからは病院であくせく働いた。まずは見習いとして。様々な事を教えてもらいながら自分の腕も磨き、暫くしてから医師として患者を診るようになった。暇な時間には魔法薬の開発も行った。私の魔力と合わなくて器具を壊してしまう事もあったから、自分で使う分は自分で作った。その方がよく手にも魔力にも馴染んだ。


 数年が経つと、すこぶる腕の良い医者がこの病院にいると噂されるようになった。大抵の怪我や病気を治してくれるし、呪いも解いてくれる。その上その医者が調合した魔法薬は他の魔法薬よりも飲みやすい、と。


 その噂を何処から聞きつけたのか、カタ神話最高神カルバス直属の騎士団ディカニスに入団を誘われた。断ろうとも思ったが、ディカニスに入れば様々な世界に行き、その土地の神話を調べる事ができると思い当たり、私はディカニスに入団した。


 私はディカニスでも医者として働き、様々な世界へ行く中で、原初の神に関する資料がないか出来得る限り調べた。それは簡単な事ではなく、大変骨の折れる作業だった。資料も無ければ、原初の神を知っている人も見つからない。それでも幾つもの図書館やその土地の歴史的建造物を訪ねたり、何人もの人に原初の神、もしくはその土地に伝わる古い神話について訊ねてみれば、少しずつではあるが資料が増えてきた。


 それからまた数年後——スティルが死んでから約二十年が経った頃、私は再びスティルという名の少女に出会った。


 その少女は髪も肌も白く、それでいて両の瞳は血の様に赤く染まっていた。


 本物の、女神——いや、破壊と月を司る神、スティルだった。




          ○




「久し振りに故郷を訪れた感想は?」


「……特にこれといって何も思い浮かばないな」


「ええ~。二十年振りなのに、何もナシ? つまんな~い」


 ある日、私はスティルと(ついでに彼女の姉のディサエルとも)共に生まれ故郷を訪れていた。彼女の言う通り二十年振りの訪問ではあるが、あの頃とは違い見知った建物が一つも無い。別の街にでも来た気分だ。


(建物は全て壊れたと聞いているから、当たり前か)


 故郷と言えば故郷なのだが、ずっと出ていきたいと思っていた場所でもある。自分で壊したからと言って、後ろめたさも何も無い。


「ねぇ、いい加減に教えてくれない? ここにあなたを連れてこさせられた理由。聞かなくても分かるんだけど」


「……では聞く必要無いだろう」


「あなたの口から聞きたいの」


「原初の神を便利屋扱いしてんだから、それくらいちゃんと口で言えよな」


 スティルだけでなく、ディサエルからも言われてしまった。どうにもこの双子の神からの圧には勝てないので、私は仕方なく理由を話した。


「……妹に、色々と報告をしたいと思ったのだ。この二十年間、妹を一人でここにいさせてしまったから、その詫びもしたい」


「遺骨をペンダントにして頭蓋骨も隠し持ってるのに、妹を一人でいさせたって言っちゃうあなたの神経本当に凄いよね~」


「おい。何故それを知っている」


 真っ白な少女を睨むと、悪戯っぽい笑みを返された。


「だって、わたし神様だもん」


「ついでに言えば、オレも知ってるぜ。頭蓋骨を抱いて夜な夜な」


「おい! やめろ! それ以上言うな!」


 何故私が一人でいる時の事まで知っているのだこの魔王は⁉


「ほらほら落ち着いて、ロクドト。確か、遺体の殆どはここに埋めたんだっけ? 掘り返されてなければいいね」


「う……。まぁ、その可能性も考えたから、埋めた場所ではなくここに来たのだ」


 私達が今いるのは、妹と二人で出掛けた時に訪れた湖だ。あの日の夜と同じ様に、星々が煌めき、それを映す鏡の様に湖も輝いている。あの日と違うのは、共にいる人物と、何処も欠けずに輝く満月くらいなものだ。


「わざわざここに来て報告する必要も無いと思うけどな」


「キミにつべこべ言われる筋合いは無い」


「は~い。それじゃあ暫くあなた一人にしてあげるね。ディサエル、あっち行こ~」


「ああ」


 双子の神は仲良く手を繋いで離れた場所へと歩いていった。時々、あの二人の事が羨ましくなる。信仰心が得られる限りは息絶える事の無い神。死ぬ心配が殆ど無い為に、あの二人はずっと一緒にいられる。


(一緒にいてやれなくて、すまなかった……スティル)


 私は湖を覗き込んだ。暗くて分かり辛いが、湖に映った自分の姿がこちらを見つめ返す。……ああ。あの日と違う部分はまだあった。私は二十年分歳を取ったし、何より髪が伸びた。妹の事を忘れない為に、同じ過ちを繰り返さない為に、戒めとして妹と同じくらいの髪の長さにした。まぁ、あの頃と同じく大して手入れはしていないが。


「お前が見たらどう思うだろうな。お前が似合わないと言うのであれば切るが……」


 ——似合ってるよ、兄さん。


「え……」


 一瞬、妹の、スティルの声が聴こえた気がした。だが周囲には誰もいない。双子の姿も見えない。似合っていると言われたいが為の幻聴か。


「……気のせいだろう」


 スティルはもうこの世界にはいない。生きていない。私が殺した。だから声が聴こえるはずが


 ——兄さん、私の声が聴こえてるの?


「⁉」


 今度ははっきりと聴こえた。何処だ? 何処にいる? この何処かにいるのか?


 ——兄さん、もう一度湖を覗いてみて。


 私は妹の声に導かれるがままに湖を覗き込んだ。するとそこには……スティルの姿も写っていた。私の愛する妹の姿が。


「スティル……! ああ、すまない。すまない、スティル……! お前をこんな所に一人ぼっちにさせてしまって……」


 ——もう、何言ってるの兄さん。私はずっと兄さんの傍にいるよ。


 湖に映る妹の姿が、同じく湖に映る私の姿に寄り添った。そんな妹を抱き締めるように私は腕を動かした。抱き締められた妹ははにかんだ笑顔を見せた。私にしか見せない、私だけの笑顔。その笑顔を見て私も頬を緩ませた。


「ありがとう、スティル。例えこれが神の見せた幻覚だとしても、お前といられる夢なら構わない」


 ——ううん。現実だよ。兄さんがここにいて、私もここにいる。……ちょっとだけ、神様に手伝ってもらったけどね。


「そうか。何を手伝ってもらったんだ?」


 ——兄さんに私の姿が見えて、声も聴こえてもらえるように。ふふっ。スティル様に相談したら、すぐに了承してくださったの。面白そうだからいいよ、って。


 スティル様に相談……?


「それは……一体いつの話だ?」


 ——兄さんがここに来たいってスティル様に言った日の夜だよ。兄さんが寝ている間に相談したの。


「……」


 さっき、妹は何と言っていた? 件の“スティル様”は何と言っていた?


 私はずっと兄さんの傍にいる。わざわざここに来て報告する必要も無い。


「……お前は、本当に、ずっと、ワタシの傍にいたのか」


 ——たまにムルと遊んだりしていたけど……殆どずっと、傍にいたよ。だって私は兄さんが好きだから、兄さんの傍にいたいの。


「……そうか」


 何だかもう泣けばいいのか笑えばいいのか己の鈍感さを恨めばいいのか分からなくなってきた。遠くへ行ってしまったと思っていた妹は、私には見えないだけで、ずっと傍にいたのか。


「……それなら、今まで気が付かなくてすまない」


 ——そんな、兄さんが謝る事じゃないよ。だって私はもう生者の世界の人間じゃないし、ムルにも言われたの。私が兄さんの傍にいる事はできても、兄さんに私の姿は見えないし声も聴こえないって。だから、ね。私、兄さんの傍にいられるのは嬉しかったけど、兄さんが苦しんでいる時に何もしてあげられなかったのが、凄く、辛かった……。


 そう言って妹は涙を流し始めた。湖に映る自分の目にも、涙が浮かんでいる。


 ——兄さんが私にしてくれたように、兄さんを抱き締めて、頭を撫でて、大丈夫だよって言ってあげたかった。でも、何をしても兄さんには届かないから、私まで辛くなる時もあった。……それでも私は、兄さんの傍にいた。だって、私……私は、兄さんを誰よりも愛してるから。私は兄さんが大好きだから。


「ああ。ワタシもだ。ワタシもお前を誰よりも愛している。今までワタシの傍で、ワタシを支えて、見守ってくれて……ありがとう」


 私はいつもそうしていたように、湖に映る自分がスティルの額に口付けできるように頭を動かした。湖面の私の唇がスティルに触れた時、何だか自分もスティルに触れた気がした。


 愛する妹は、確かにここにいる。

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令嬢(わたし)が好きなのは兄さんだけです! みーこ @mi_kof

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