第3話 壊れた心

 私は簡単に身なりを整えてから必要最低限の荷物を纏め、彼女が来るのを待った。彼女は馬に乗れるだろうか。馬車を出す事はできない。馬に乗れないのであれば歩いていくしかないだろう。彼女と二人乗りはできない。妹とならまだしも、年頃の男女二人で馬に乗っていれば勘違いされる。彼女にそんな迷惑を掛けては失礼だ。


「お待たせ致しました、坊ちゃま」


 暫くすると、鞄を重たそうに抱えたヴァンセートがやってきた。


「キミ、馬には乗れるか」


「え? いえ、全く……」


「では歩いていくぞ。荷物はクルールィの背に載せる」


「それなら、馬車をお出しすれば」


「家を追い出されたのに、この家の紋章入りの馬車なんて乗れるか」


「も、申し訳ございません……。私のせいで、ご迷惑をお掛けしてしまい……」


「キミが気にする事ではない。行くぞ」


 こうして私達は厩舎へ赴き、クルールィを連れて屋敷を出た。殆どの荷物はクルールィの背に載せたが、スティルを入れた鞄だけは肌身離さず持っていた。


 歩いていては時間が掛るから野宿も覚悟していたが、運良く日が暮れる頃には一軒の廃屋を見つけた。天井は崩れ、壁は隙間だらけではあるが、修繕魔法を使えばなんとか風雨をしのげるようにはなった。


「スティルの解剖を終えるまではここに留まる。別の場所を探すのも面倒だ。今日は疲れただろう。キミはもう休め」


「はい……。坊ちゃまも、お休みになられますよね?」


「……何故そんな事を聞く?」


「お疲れになっているのは坊ちゃまも同じでございます。坊ちゃまがお休みになられないと、私も眠ってはいられません。使用人として、坊ちゃまよりも先に休むだなんて」


「分かった。分かったからそんなに詰め寄らないでくれ」


「あっ……。も、申し訳ございません……」


 彼女はさっと身を引くと、しずしずと頭を下げた。彼女の大胆さには驚かされる時がある。


「ワタシはこの奥にある部屋を使うから、キミは他の部屋を適当に使え。ワタシももう寝る。キミも寝ろ」


「かしこまりました」


 私は奥の部屋に入って荷物を置くと、すぐには寝ずに、暫く月を眺めていた。半分欠けた月。スティルと共に出掛けた日も、昇っていたのは半分欠けた月だった。私の心も今、半分欠けている。だがこの心は月とは違い、満ちる事は無いだろう。


 翌朝。屋敷を出る時に幾らか食糧を持ってきていたので、ヴァンセートがそれを使って簡単な朝食を作ってくれた。自分一人であれば調理する手間を惜しんでそのまま食べていたので、彼女を連れてきたのは正解だった。私がスティルを解剖している間、外に出て食糧になりそうな木の実や山菜を採ってきてくれると言う。作業に集中できるようにしてくれるのは、ありがたい事だった。


 私はスティルの解剖を始めた。腐敗を遅らせる為に魔法を何重にも掛けていたお陰で、死体の美しさが保たれていた。妹の頭を撫でてから、服を脱がせる。あの日全身に傷を負った為に私が治療した身体は、千切れた手足の断面以外には特にこれといった傷は無かった。それがまた美しさを醸し出していた。胴体と頭部のみの、血にまみれた肢体。倒錯的な美しさに酔いながら、私は妹の身体を調べ始めた。


 原因を探るのには時間が掛った。何しろ複雑な魔法だったし、時間が経てば痕跡も段々と消えていく。おまけに解明しても、それは私を満足させるような結果ではなかった。


「ああ……ワタシはなんて愚かなんだ……!」


 あの日、私は妹の服や身体から、奴らの魔力の痕跡のみを採取したと思っていた。そこから特定の魔力に反応して攻撃を仕掛ける武器を作った。だから死ぬのは奴らだけだと勘違いしていた。しかし“妹の服や身体”から採取したのだ。採取した中には、妹の魔力も僅かながら混ざっていた。


「クソッ! 何故細心の注意を払わなかった! あの時スティルに任せなければ……いや、もっと別のものを作っていれば……いや、違う! 違う! スティルをあんな奴と一緒にさせなければ……クソッ……」


 己や、己以外の人物への憎しみだけが募っていった。


(クソッ……どいつもこいつものうのうと生きやがって……)


 妹が死んで、自分も含めた他の愚か者共が生きながらえているのが気に食わない。特に奴だ。スティルがあんな目に合ったというのに、詫びの一つも入れずに生きている。


(あんな奴、生きている価値は無い……)


 いや、それよりも……。


(ワタシが一番、死ぬべきだ)


 手元にはメスがある。人間の急所くらい心得ている。これを、そのどこにでも突き立てれば……。


「……」


 いや、今はその時ではない。今ここで私が死んでも、愚か共は生きたままだ。それならいっそ……。




 この街ごと壊してしまおうか。




「……ふっ」


 大規模な破壊魔法には幾つか心当たりがある。それらを組み合わせれば、街一つ焼き尽くすくらい造作もない。おまけに幸か不幸か私は……創る事よりも、壊す事の方が相性がいい。どんな魔法と相性がいいのかくらい、幼い頃から身に染みて分かっている。それでもスティルの喜ぶ顔が見たい一心で、創る事も上手くなろうと努力を積み重ねてきた。だが今回、最悪の形で己の特性を思い知る事となった。


 私の大切なものを、スティルを、愛する妹を、壊してしまった。


 壊れた妹を、更に壊した。元の姿が分からない程に。


 こんな結末、望んでなどいなかった。


 こんな結末、スティルだって望んでいないはずだ。


 こんな世界、存在する価値も無い。


 ならばこんな世界を、壊してしまえ。


(ああ、何だ)


 初めから、こうしていればよかったのか。


「ふっ……ははっ……」


 私は妹の頭蓋骨を撫でた。……骨だけでは、物足りない。あの柔らかな髪が恋しい。ほのかに香る香油の匂いが恋しい。私にだけ見せるはにかんだ笑顔が恋しい。


「もうすぐ……行くからな」


 もうすぐアウリハリアだ。この辺りに居を構える貴族達は、アウリハリアの時には近隣の庶民を招いてご馳走やお菓子でもてなす風習がある。それぞれの屋敷の位置は把握しているから、後は簡単だ。


「一緒に見ような」


 頭蓋骨の額に口付けをした。……嗚呼、妹の体温も恋しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る