第49話 さいごの日

 その日も、朝から雨が降っていた。


 兄さんはドスコ宛に手紙を書き、暗がり森に必ず来いと命令した。あの時の取り巻き達も連れて、と。


 約束の日の夜。私と兄さんは、以前訪れた時のように二人でクルールィに乗って暗がり森へ来た。ただでさえ暗い森は、更に暗く、どこまで進んでも闇が続いていた。雨は上がっていたが、地面はぬかるんでいる。


 暫く進むと灯りが見えた。いる。奴らがいる。私は全身を強張らせた。胸が苦しい。呼吸が早まる。嫌だ。怖い。見たくない。会いたくない。涙が出てくる。悪いのはあいつらなのに、何で私がこんなに苦しい思いをしなきゃいけないの。


「大丈夫か、スティル。お前が無理をする必要は無い。ワタシがやるから、お前はここで待っていろ」


 兄さんが後ろから抱き締めながら、何度も大丈夫だと囁く。私は兄さんの声を聞きながら呼吸を落ち着かせた。


「ううん。これは、私が決着をつけなきゃいけないから、私がやる」


「……分かった」


 兄さんは私の覚悟を読み取り、それ以上は何も言わなかった。


 二人でクルールィから降りると、私は兄さんから木箱を受け取った。


「発動方法は前に言った通りだ。できるな?」


「うん」


 この木箱の魔法を使えば、あいつらは死ぬ。そしてきっと、私も死ぬ。これで終わる。全てが終わる。それでいい。それでいいんだ。もう、苦しみながら生きるのに疲れてしまった。


「……⁉」


 ふと、視界の端に、現実には姿を現さないはずのムルの姿が見えた。


「どうした。誰かいるのか?」


 私が視線を向けた先に、兄さんも目を向けた。


「……何か見えたのか?」


 兄さんには見えないらしい。ムルの姿が。眉間に皺を寄せながら首を傾げている。


「ううん。たぶん、気のせい。緊張して、敏感になりすぎてるだけかも」


 私は意識してムルから目を逸らした。ここで兄さんに心配を掛けてはいけない。兄さんに……ああ、駄目だ。それ以上考えてはいけない。また涙が溢れそうになってくる。私は誤魔化すように笑顔を取り繕った。


「大丈夫だよ、兄さん。私はできる。私はやる」


 私は、死ぬ。


「ああ。お前ならできる」


 兄さんは、生きる。


「うん。行ってくるね」


 それでも、私はやる。


「……兄さん」


 私は、兄さんを愛してる。


「何だ?」


 兄さんも、私を愛してる。


「私を愛してくれて、ありがとう」


 私は、一人の人間として、兄さんを愛してる。


「ああ。お前はワタシの大切な妹だ。愛さない訳がないだろう」


 兄さんは、兄として、妹である私を愛してる。


「……うん。大好きだよ、兄さん」


 その違いも、とても苦しいものだった。


「ワタシもだ、スティル」


 けれども私は、兄さんだけを愛してる。


 幼い頃から、私を私として見てくれたのは、兄さんだけだった。


 私が知りたいと思った事を何でも教えてくれたのは、兄さんだけだった。


 兄さんは私の為に、本当に沢山の事をしてくれた。


 兄さんは私に沢山の愛をくれた。


 だから私が好きなのは、兄さんだけだ。


 でも、ごめんね。私は先に死んじゃうみたい。


 私は兄さんに愛を返せていただろうか。


 私は兄さんの為になる事ができていたであろうか。


 私は兄さんに迷惑ばかり掛けてはいなかっただろうか。


 私は……私は……。


「うっ……兄さん……ぐすっ……」


 気付けば涙が溢れていた。今ここで泣いては、また兄さんを心配させてしまうのに。それでも涙は止まってくれない。


「ほら、やっぱり無理をしているじゃないか。一人で行くのが怖いなら、ワタシも隣にいる。大丈夫だ。お前は一人じゃない」


「ううん……一人で行く。兄さんはここにいて。私を見守っていてほしい」


 嗚呼、なんて残酷な願いだろう。兄さんに私の死を見届けさせるなんて。


「本当にそれでいいのか?」


「うん。兄さんには、ここにいてほしいから」


 兄さんには、まだ生きていてほしい。生きて、私の事を愛し続けてほしい。


「私は大丈夫。一人で……行ってくるね」


 最後に兄さんをきつく抱き締めて「愛してる」と言い、兄さんから離れ、私は歩き出した。その先に待つ、死へ向かって。

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