第48話 憂鬱な日々

 この日から数日間は、殆どの時間を自分の部屋で過ごした。食事も自分の部屋で摂った。ヴァンスは私が寂しい思いをしないように、と彼女の分の食事も持ってきて二人で食べた。ヴァンスはもしかしたら兄さんから話を聞いたかもしれないが、私には何があったのか聞いてこなかった。それはありがたかったし、申し訳なくもあった。兄さんも時折訪れては、調子はどうだと訊いてきた。兄さんの姿を見れば幾ばくか心も晴れるが、それでも身体は不調を訴えてきた。何もやる気が起こらないのだ。訳もなく涙が出てくる時もある。兄さんはそれを治す術を知らなかった。兄さんは申し訳なさそうな顔をしながら私を抱き締めた。


 何日目かにウェルグから手紙が届いた。謝罪をしようとしているのかもしれないが、読む気が起こらなくて灰にした。


 やる気が出ないのに加えて、外に出るのも恐れるようになっていた。兄さんやヴァンスが庭を散歩しようと誘ってきても断った。だが一度だけ、温室で珍しい花が咲いたから一緒に見ようと兄さんが言うので、兄さんと一緒に庭に出て、温室までの短い距離を歩いた。温室なら他の誰かが入ってくる心配は無い。温室なら安全だ。温室で咲いていたのは、兄さんが外国から取り寄せたネスジアムという白い花だった。十年に一度しか咲かないと言われているこの花の蜜は、グステマグラ・グラガーメントという飲んだものに幸福をもたらす魔法薬を調合する際に使われる。


「あの魔法薬を調合するのは容易ではないと言われているが、必ず成功してみせるからな」


 兄さんは柔らかな笑みを浮かべながらそう言った。兄さんは私の為に幸福薬を調合しようとしてくれている。その優しさが嬉しくて、でもきっと徒労に終わるのが悲しくて、私は涙を流した。泣きじゃくる私を兄さんはそっと抱き締めた。


 あの日から何日経ったろう。あれから数日おきに――もしかしたら毎日かもしれない――兄さんと父さんが言い争う声や、庭で争う音が聞こえる。兄さんが放つ魔法は怒りの感情がむき出しになっている。いつも以上に荒々しい。反対に父さんの放つ魔法は冷静そのものだ。無駄が無い。父さんは私に何があったのか、もう全て理解しているのだろうか。バラゴレア家に対して何か行動を起こしただろうか。婚約の事で、イズヴェラード家に何か言っただろうか。何も分からない。父さんは必要な時にしか私と話そうとしない。いや、父さんは私と会話なんかしていない。父さんが一方的に言いたい事を言ってくるだけだ。それは会話ではない。母さんは時折私の部屋を訪れて会話をしてくるが、それは私を心配しての事ではない。母さんが心配しているのは自分の体面だ。母さんの態度は、気づけばどこかよそよそしいものになっていた。母さんは私に起きた事を兄さんから聞いたのか、それとも私や兄さんの行動から察したのだろう。その事を他の貴族連中に知られたらおしまいだとでも思っているに違いない。せっかく娘に“スティル”という名前をつけたのに、その娘が汚されたのだ。耐えがたい屈辱だろう。


 一番屈辱を感じているのは、私なのに。


 気が付けば三月に入っていた。緑が生い茂り、日差しは徐々に熱を帯びていく。いつもの私であれば外に出て太陽の輝きを一身に受けながら散歩するところだが、まだ外出するのを躊躇っていた。せいぜいが兄さんかヴァンスと一緒に庭を少し歩く程度だ。その少しの時間でも訳も分からず泣いてしまう時があるから、迷惑を掛けるのが嫌で部屋に籠ってしまう。


 それでも遂に、屋敷の外に、門の外に出る日がやってきた。


「スティル、ついに出来たぞ! これでやっと、あいつらに報いを与える事ができる!」


 私の部屋に訪れた兄さんが、危険な笑みをたたえながら言った。


「待たせてすまなかったな。だがこれでもう大丈夫だ」


 兄さんは手に持った何かを掲げた。見た目こそは何の変哲もない小さな木箱だが、幾つもの魔法と魔力が複雑に絡み合っている。


「兄さん、それ、何?」


 私が問うと、兄さんは得意気に説明し始めた。


「お前を酷い目に合わせた奴らを倒す為の武器だ。見て分かる通り幾つもの魔法が組み合わされているが、発動方法自体は簡単だ。奴らの死を願えばいい」


「じゃあ、それを使えば……あいつらが、死ぬの?」


「ああ。死ぬ。死の呪文を唱えるよりも、無残に死ぬ」


「……そう」


 私も、兄さんが作ったこの武器で死ぬのだろうか。私もその場にいれば、死ぬ可能性は高いかもしれない。


 私が顔を伏せると、兄さんが心配そうな声を掛けてきた。


「流石に、あんな奴らといえども殺すのは怖いか?」


“あんな奴ら”がどんな無残な死に方をしたところで、ちっとも胸は痛まない。私は首を横に振った。あいつらが死ぬ事よりも、兄さんが殺人を犯す事になってしまう方が心配だ。


「ねえ、それは……兄さんが使うの?」


「ああ、そのつもりだが……それとも、お前が使うか?」


 兄さんが作った、あいつらを殺す武器を、私が使う。それは私が外に出て、またあいつらに会わなければならない事を意味している。兄さんも私に使うかとは聞いたが、いい顔をしていない。兄さんは一人であいつらに会ってこれを使うつもりだったはずだ。だが兄さんの手を汚したくない。これからも生きていく兄さんが罪を犯す必要は無い。これは私が決着をつけるべきた。


 私が奴らを殺して、私も死ぬ。


「うん……私が、やる」

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