第2話 兄さん

 週末になると、兄さんが学校から戻ってきた。何か良い事でもあったのか、帰ってすぐは上機嫌な様子で私の頭を撫でた。でも父さんに呼ばれて父さんの執務室に行った後、怒りの感情を隠す気も無く私の部屋に乗り込んできた。


「お前はそれで納得しているのか」


 部屋の扉を開いてすぐ兄さんはそう言った。いきなりで驚いたが、私の婚約の事を言っているのだと思い至り私は首を横に振った。


「ああ、そうだろう。そうだろうとも。クソッ。ワタシが家にいなかったばかりに……」


 ぶつくさと文句を言いながら私の部屋を行ったり来たりする兄さんに、ヴァンスが声を掛けた。


「坊ちゃまのせいではございません。旦那様はいつも勝手にお決めなさいます」


「ああ、そうだ。スティルの婚約だけではない。先程ワタシにも、当主になる為に教えるべき事が山ほどあるのだから学校を辞めるよう言ってきた。しかも決定事項だと! 何がもう学校には連絡してあるだあの老いぼれめ」


 そこまで言って兄さんは私の方を向いた。


「相手はウェルグ・イズヴェラードだったな。イズヴェラード家か……。厄介な奴が相手だな。あそこの当主は相当な頑固者だと聞いている。婚約解消しようとしても、一筋縄ではいかないだろう」


 兄さんが跪いて私の手を取った。兄さんの大きな手が私の手を包み込む。


「不服ではあるが暫くはワタシも家にいる。一緒に解決策を探っていこう。大丈夫だ。お前にはワタシがいる」


「うん……。ありがとう兄さん」


 兄さんは立ち上がると私を優しく抱きしめた。


(兄さんの匂いがする……)


 何よりも落ち着く匂いに包まれて、私の心は安らいだ。兄さんがいれば、大丈夫だ。


「ああ、そうだ!」


 何かを思い出した様な声を出して。ぱっと兄さんは私から離れた。


「お前とヴァンセートに土産があるんだ! 今すぐ取りに行くから待っていてくれ!」


 来た時と同じように、兄さんは勢いよく部屋を出ていった。ただ、来た時とは違い、出ていく時の顔は晴れやかなものだった。


「ようございましたね、お嬢様。お兄様が味方になってくださって」


「うん。だって兄さんはいつだって私の味方だもん。もちろんヴァンスもね」


「ありがとうございます、お嬢様」


 そう言ってヴァンスはにっこりと微笑んだ。ヴァンスは今や、私にとって姉の様な存在だ。兄さんが信頼に足る人物であるように、姉であるヴァンスも信頼できる。唐突すぎる婚約の話をヴァンスにしたら、ヴァンスも一緒に怒ってくれた。どうやら他の女性は婚約や結婚というものに夢を抱いているようだが、私はそうじゃない。ヴァンスはそれを分かってくれている。家に縛られ、兄さんのいない生活を送るなんてごめんだ。私はずっと兄さんと一緒にいたい。もし誰かと結婚しないといけないなら兄さんと結婚したい。それなのにこの世界はそれを許してくれない……。


「ねぇ、ヴァンス。兄さんのお土産って何だと思う?」


 問いかけると、ヴァンスはう~んと言いながら首を捻った。ヴァンスの方が年上だが、こうした仕草が妙に可愛らしい。


「そうですねぇ……前回は新たに開発した魔法薬でしたが、とんでもなく不味かったのでその改良版、でしょうか」


「ああ、あれ見た目と味が全然合ってなかったよね。改良版かぁ……ありえそうかも」


 兄さんのお土産予想を二人でしていると、程なくして兄さんが戻ってきた。


「待たせたな、二人共。これが土産だ」


 兄さんは手に持った小瓶を私とヴァンスに渡してきた。小瓶の中には、ほんのりとピンク色に染まった透明な液体が入っている。


「前回作った魔法薬の味が不評だったからな。これはその改良版だ」


 私とヴァンスは顔を見合わせ同時に笑った。


「ふふっ」


「うふふ」


「どうした。何がおかしい」


 何も知らない兄さんが少し怒った様に眉根を寄せた。


「さっきね、ヴァンスと一緒に兄さんのお土産が何か予想していたの。それでヴァンスが前回持ってきた魔法薬の改良版じゃないかって予想したから、本当にそうなったのが面白くって」


「まさか当たるとは思いませんでした」


「そんなに分かりやすかったか……」


 どうやら兄さんは、私達に改良版を作った事を驚いてほしかったようだ。不服そうに唇を歪めた。


「まぁいい。さあ、ほら、飲んでみてくれ。改良版だから当たり前だが、前回と同じく体力が回復する薬だ。どの程度回復するかは飲む量や元々の体力値にもよるが、上手くいけば病人もすぐ元気になる。お前達は見るからに元気そうだから体力の回復具合は分からないだろうが、味の批評くらいはできるだろう」


 さあ飲め、と兄さんが促してくる。私とヴァンスは小瓶の栓を抜き、その中身を一気に飲み込んだ。


「ん……! 美味しい!」


「ええ、これは美味しゅうございます!」


 前回飲まされた魔法薬は、腐った魚の様な、体力が回復するどころかむしろ半減しそうな味がしたが、これは全然違う。オレンジの様にさっぱりとした味わいがする。


「そうか! 美味いか!」


 私達の反応を見て、兄さんは嬉しそうに笑った。


「では今後はこのレシピで作っていくか。二人共ありがとう」


 最後に兄さんは私の頭を軽く撫でてから部屋を出ていった。

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