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勉強部屋のソファに座りピザを摘まみつつ、マリリが持ってきたタブレットPCでアンジェのデビュー配信を眺める。若干ぎこちないながらも、オモチャの天使の羽をつけた2Dモデルがにこやかに自己紹介をしている。
「天使見習いのアン・パーシヴァルって名前はアンジェがつけたの?」
「そうだよ」
「ふーん」
世界史の授業で学んだイギリスを思い出せば。
アンとはイギリスの女王に多く見られる名前で、パーシヴァルとはアーサー王伝説において聖杯を探索した騎士の一人。
そんな名前をイギリス生活の長いアンジェが自分で名付けたとは。特にパーシヴァルの方は明確に意味がありそうだ。
「ちなみにあやのん、マリリのフルネーム憶えてる?」
「マリリ……。そりゃ憶えてるよ。スーパーマリオ・り、リオネット、リード」
「お髭の配管工とおたくの妹混ざってるから。マリス・リリス・リード、略してマリリなの」
「直訳したら悪意導く悪霊。教会で名乗っていい名前じゃないよそれ」
「茉莉花からマとリを取って、そっから可愛い響きだけで何となくで決めちゃったからなー。知ってる? マリリの配信見てる海外ニキ、最初にマリリのフルネーム知った瞬間ジーザスとかオーノーとか言って天を仰ぐんだから。それだけの切り抜き動画とかあってけっこう面白いから見てみ」
「日本人だってあらためて意味確認したら頭抱えるよ」
「しかもわたしの本名がキリエってね。アンジェちゃんに教えてもらったけどさ、わたしちゃんもしかして二重に罪深い名前してない?」
「罪深いって、いやいやマリリに罪はないよ。悪いのは世間と法律だからね」
「え、ようやくわたしは悪くないってわかってくれたの!?」
「なわけないだろバカ悪魔。せいぜい示談金を稼いでおくんだな」
「…………」
何か言いたげなマリリをよそに、タブレットPCの中ではアンジェのデビュー配信を見に来た人が二万人を超えていた。
こうして初回から見に来てくれる人が多いのが、いわゆる『箱』と呼ばれる企業ブイチューバーの強いところなのだろ……ん?
どっと、視聴者が一気に二万人ほど増えた。
「あー。たぶん、これだ。おたくの妹ちゃんがリスウィートしたから。仲良いんだっけ?」
マリリが見せつけて来たスマートフォンにはSNSが開かれており、エリオットが他社の新人デビューの呟きをコメント付きでリスウィートしていた。ちなみにマリリが使用しているアカウントはかつて僕が使っていたアカウントだった。
「二人が何を話してるのかは知らないけど、まあまあ気は合うみたいだよ」
「わたしからすれば、他社の宣伝ありがとうございますって感じかな。これでアンジェちゃんの初動は十分だ。あとは本人次第かな」
マリリはスマートフォンをスッスと操作すると、どこかにメッセージを送った。
「しっかし、やっぱりシスターさまは流暢に喋って可愛げがないわ。半年後あたりに最初の配信を振り返るみたいな合同企画やろうと思ってたのに。これはやっぱり来週の女に期待かな」
「来週?」
「ユニット組んで連続デビュー。一番安定しててしっかりきゃわいいアン・パーシヴァルちゃんがトップバッターで次が育成枠。んで、最後がセーレン」
「……ああ、ん?」
一週間ごとにあの三人がデビューするらしい。
来週は二十四日。その更に一週間後ということは……。
「せーれん、三十一日デビュー?」
「んだ」
あの、三十一日って……。
うちの歌姫さん、顔出してステージの上に立つ予定なんですけど。
僕がソレについて話すかどうか判断に迷う間もマリリはスマートフォンをスワイプしている。仕事関連の連絡だろう。こうして真面目な顔をしているのを見るのはここ数か月の付き合いで初めてかもしれない。
普段よりも随分と冷静でつまらなそうな表情だ。
「……ちなみに、せーれんのデビューってしっかり決まってるの?」
「それ聞いちゃうー?」
なんとなーく嫌な予感がして聞いてみれば。
マリリにしては珍しく眉間にしわを寄せながら笑みを浮かべた。
「選択権は、あのお嬢様が持っておりまーす。セレンちゃんとしてデビューするのかmiuの新たな活動スタイルとしてバーチャル受肉するのかも未定」
「せーれん、まだ何も言ってこないの?」
「こないねー。優先順位、低いんじゃない?」
優先順位か。清廉が音楽以外に興味が薄いのは確かだ。この夏休み、毎日のように清廉と喋っているからこそ余計に分かる。あのお嬢様、夏休みの宿題は後回しどころか『やらない』タイプだ。
ペイントパレットのスタッフ達は清廉のご機嫌に振り回されているのは継続中らしい。
マリリは片肘つきながらストローを口に入れ、コーラをすする。
「ま、相談する気にならない気持ちは少しわかるよ。あの子はしっかり努力していて。全て結果で応えてるから。あたし達に何も求めてないんだと思う。あの子、何を求めてここに来たんだろうね。なんでそのまま復帰しないんだろうって。どうしてブイチューバーを選んだのか……わからないのだ。たはは」
苦笑するマリリを見ると、心がざわついた。
どうやら僕はこういうマリリを心底見たくないようだ。……そっか。
「ブイチューバー選んだ理由、本人に直接聞かないの?」
「何度かあれこれ聞いたよ? そしたら、何となくよ、だってさ。ま、セーレンが全然連絡してこない理由はこれまで信頼関係を築けてこなかったペイントパレットの落ち度なんだけどさ。きっと、歌えばどうにかなるって結論、出させちゃったんじゃない?」
「それだけで、マリ……会社はどうでもいいの?」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど。実際、デビュー当日ふらっと現れてmiuです、ブイチューバーとしてデビューします、って言って歌えばそれで全部オッケーだもん。2Ⅾモデル、なんならセーレンには3Ⅾモデルもすでに用意してあるからね」
「全部オッケーなのに……マリリは、それじゃあイヤなんだ」
結果的には上手くいくと踏んでいるにも関わらずマリリの表情は優れない。
「ああいう感じ、良くない。態度のことじゃないよ? あれはあれでカリスマのある歌姫の特権だ。でもさ、せっかく仲間になるのに。何かを求めて寄って来てくれたのに――。きっとこのままじゃ活動休止した時と変わらない。歌だけしか求めてあげられない。心、開いてくれないとその道しか、用意してあげられない。もー、スタッフ一同気苦労が絶えないよ」
「…………」
最後はマリリらしく笑みを浮かべたけれど、……寂しそうで悲しそうな顔だった。
僕は清廉はあるがままに振舞えば良いと思っているし、あの性格も好きだし、ふらっと現れてデビューしますと言って成功する光景も目に浮かんでカッコいいなと思うのに。
あの歌声を聞けるのならば、あらゆるマイナスを帳消しにして良いと思っていたのに……。
今、心をざわつかす気持ちは――怒りだ。
「そっか。今回はマリリの出番は無かったか」
内心の苛立ちは一切出さずにテーブルの上のポテトをマリリの前にズラす。
「なに。このポテト。もしかして、かの夏目漱石が提唱した『ポテトを異性に勧めるとは恋慕の暗喩である』ってやつ?」
「無いよそんな定説」
「じゃあ、なに?」
わざわざピザパーティーセットを持ってきたのもアンジェを見るついでに、なにかここで気晴らしする気だったのかもしれない。まったく、僕としては迷惑な事この上ないな。困った僕を助けるのがマリリの役目だというのに……。
「選手交代するよ、マリリ」
「へ?」
「僕がせーれんと話をしてくる」
例え清廉の機嫌を損ねてしまうとしても、マリリがこんな顔をしてしまうくらいなら僕が貧乏くじを代わりに引こう。たまには恩返しだ。
「それでいい?」
「…………な、なに急にそんなこと言い出して」
マリリは虚を突かれたという様子で僕を見て、冗談を言っているのではない事を察すると――。
「ふ、ふんっ、お好きにどうぞっ?」
マリリは腕を組んで目を瞑り背もたれに背中を預け、フンと鼻息を鳴らした。
表情は心なしか明るくなった。どうやら通常モードに戻ったらしい。
やれやれやれ仲魔の面倒をみるのも一苦労だ。
「と……ところでさ、この天使見習いちゃん。事前募集したリスナーの恋のお悩み相談で悦に入っていきなり自分の癖さらけ出してるんだけど。やさしい声に寄ってきたリスナーが『あ、察し』みたいになってるんだけど。あやのんの周りってさ、わたし以外まともな女いないの?」
「わたしちゃん含めていないね」
「……ふっ、やっぱり吉野が言った通りだ」
「なんて言ってたの」
「『綾野くんはさ、もうあれだね。あつまれへんじんの森の村長だ』って」
「……」
「ちなみにこれ、最上級に褒めてると思う」
「そんな褒め言葉この世に無いんだよ」
そんな事を言いつつアンジェの配信を眺める。
緊張をしているのかもしれないけれど、生き生きとした様子だ。やっぱりアンジェはこうして配信して人と話すのが好きなのだろう。
……さて。
心配事が一つ無くなったのは喜ばしいが、胃の痛くなるようなクエスト『清廉を問い詰めよ』を自ら請け負ってしまった事実を改めて胸に留める。藪蛇を踏んで清廉の機嫌を損ねてしまえばバンド崩壊の可能性だってある危険なクエストだ。
清廉がなぜバーチャルアイドルを選び、なぜ、miuとしての活動を止めているのか。
――踏み込まないようにしていた領域。きっと清廉は良い顔をしないだろう。
今にも憂鬱でため息をつきたくなるが、でも、いくら清廉とはいえ……。さんざんドラムを叩いてバンドを楽しんでおいてなんだが。亡き母がどうとかメッセージがどうとかあの歌声は特別だとか考えておいてなんだが――。
僕にも、優先順位というものがある。
===
水、金は18:01ごろに投稿します。
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