そして扉は開かれる

 見るからに古ぼけた教会の門がギギギと開く。


「こちらです」


 柔和な笑みを浮かべるシスターの後に続き、雑草の伸びた敷地に足を踏み入れる。

 なぜ彼女について来てしまったのかと言えば可愛らしい外見に惹かれてとか、つい流れでとか。せっかくここまで来たのだから悪魔祓いを紹介して貰えると非常に助かるのだけど。


「足元、段差がありますのでお気を付けくださいね」


 何はともあれシスターの顔色は明るく、先日の葬儀の時よりは元気そうで良かったとは思う。


 シスターが教会の大きな木製の扉を開けば、長椅子やパイプオルガンそれにステンドグラスが目に映り、母とこの教会へ通った古い夏の記憶が蘇る。

 当時は怖く思えた堂内も、こうして見ると古さを感じて趣深い。

 歌も祈りもない空間は寂しいほど静かで落ち着く。


「どうぞ、こちらにお越しください」


 言われるがまま長椅子の最前列で待つ彼女の元へ向かい、促されるままに座ると彼女もすぐ隣に腰を下ろし――ほんのりと石鹸の良い香りがした。


「実は、前にお見かけした時から話してみたいと思っていたのです」

「最初に言っておくけど、うちは一応仏教徒というか。墓持ってるからね」


 柔らかな声色に気を許しそうになるが念のため釘を刺しておく。お盆にはナスに割りばしを何本か刺したりしているのでスカウトはちょっと困る。


「ですから勧誘ではないのです。先ほどは、抑えきれなかったと言いますか。今は改宗を求めたりなどしません」

「僕の元にも黒船来ちゃったか」

「ペリー提督でもありません」


 ほんのりムッとした表情のシスターはなんだか可愛らしい。


「まぁ、喋るくらいなら良いけどさ。自己紹介でもしようか?」


 別にシスターが可愛いからという理由ではないけれど、少しくらいはお喋りしても良いかも知れない。


「すみません、私ったら気が急いてしまって」

「僕は綾野礼、高校二年。綾野は説明し辛い字だけど、礼は礼拝の礼って言えば分かる?」

「レイ。光さすような良いお名前ですね」

「あ、うん、ありがとう」


 真正面から名前を褒められると少し恥ずかしい。


「私はアンジェリカ・スコラスティカ・コーネルと申します。色々と血が混ざっているのですが、しばらくすると日本国籍となる予定です」

「しばらく?」


 日本語も流暢で、てっきり日本育ちかと思っていたけれど違うらしい。


「制度だとかで、少し時間がかかるらしいのです。生活自体は三月からこの教会で暮らしております。私も高校二年生なので、どうぞ気軽にアンジェとお呼びください」

「よろしくコーネルさん」


 自ら血が混じっているというだけあり国籍不明の雰囲気だけど可憐な顔立ちだ。

ある意味アニメっぽい顔というか、日本人好みの顔かもしれない。

 長い名前は確かミドルネームって言うのがあるんだっけ。


「アンジェ、で結構ですよ?」

「スコラスティカさん」

「それは洗礼名ですので。アン、ジェで、大丈夫です」


 柔らかな雰囲気に反して意志は固いらしい。海外の人は名前で呼び合うのが普通なのかな。


「それじゃあ……アンジェ?」

「はい、けっこうです。これでようやくお友達ですね」


 あっという間にお友達になってしまった。

 ここで暮らしているって、あの老神父の孫だったりするのかな。


「ちなみに私、シスターと呼ばれるほどのものではありません。ミッションスクールに通ってはおりますが、今のところはただの女子高生です」

「女子高生がお悩み聞いてくれる教会ってこと?」

「そうなります」

「テストで五十六点取ったとは知られたく無いしなぁ」

「口から出ておりますよ、ふふっ」


 お悩み相談というのであれば相手はシスターであって欲しかった。立場って大事だ。


「私、人の苦しみが好……いえ、悩みの蒐集が趣……。いえいえ、共に苦しみを分かち合い傷を舐め合い、心の安寧を得たいと考えております。ですのでクロテッドクリームたっぷりのスコーンのように、甘美な話題を提供していただけると嬉しいのですが、駄目ですか?」


 長い睫毛に縁どられた暗緑色の綺麗な瞳が至近距離に近づく。


「貴方の苦しみ、私にだけそっと教えてくださいませんか?」


 こそばゆくなるような声に隠れて、アンジェの趣味の悪さが垣間見える。

 僕は、変な女を引き寄せる呪いにでもかかっているのだろうか……。

 脳裏に妖精と悪魔が舞う。


「あ、面と向かって話すのが恥ずかしいのでしたら、そちらの告解室も空いておりますよ?」


 パチンと手を合わせるとアンジェは立ち上がった。

 こっかい。国会?


「自らの罪を告白する場所と言っては仰々しいですけれど。顔を合わせず、こっそりと悩みを告白する場所と思って頂ければよろしいかと」


 アンジェの視線を追うと堂内の左側に木造の小さな小屋があった。駅にあるリモートワーク用の個室みたいな大きさで、歌うシスターが登場する映画で見た気もする。


「日本の方ですと懺悔室、といった方が伝わりやすいみたいですね」

「あー、それならわかるかも」

「ではこちらへどうぞ」


 両手を掴まれ渋々立ちあがり、柔らかな手に導かれるまま仕方なく進み、手狭な個室に押し込まれる。

まさかアイアンメイデンみたいに扉が閉まると同時に針が飛び出したりしないよな。


「では、私は隣の部屋に入りまして」


 パタンと扉が閉まると。


『迷える子羊よ。今日は如何なる用でいらしたのですか?』

「押し込まれただけなんですけど」


 聞こえてくるのは籠ったアンジェの声。

 先ほどよりも、何と言えばいいのか『それっぽい』喋り方だ。

 小部屋の正面には小窓があり、小窓には分厚いカーテンがかかっている。

 アンジェさんこれって、顔が割れているのだからさっきの状況とあまり変わらないのではないでしょうか。

 狭い室内は意外と現代的で、暖色のライトと小型の扇風機がついていた。


『私は、アナタの全てを受け入れましょう……。話したくなるまで、この狭く暑い個室の中で待ちましょう。ようやく出会えたアナタという光を決して手放しはしません』


 話すまで出しませんって事ですかシスター。


「……わかったよ。えっと。実は最近変な人と知り合ってしまって困っているんです」


 物は試しだ、少し付き合ってみよう。


『まあ。それは興味深……いえ、心配ですね。若い男性には様々な誘惑があると言いますから』

「その人は一見すると可愛らしい女の子だったんですけど。どうにも様子がおかしくて」

『ええ、ええ。甘美な誘いには気を付けなくては。色恋だなんてそんな楽しそ……欲望に塗れた罪はここで濯がなくてはなりません。どのような方が礼さんを誘惑したのでしょう』

「この教会にいるオレンジ色の髪の人で」


 パタン。

 ツカツカツカ。ガチャ。


「もうっ礼さん。ふざけては、めっですよ?」

「事実なんですけど」

「私は誘惑などしません」


 腰に手を当て怒っていますというポーズをとるアンジェ。……これは誘惑なのでは。


「やはり一筋縄ではいかないようですね。最近の若い方は現実でのコミュニケーションが苦手と聞いた事があります。ですがご安心下さい、私もこれで神父様の元で学んだ身、そういった方の悩みを聞く方法も身につけております。趣味と実益……いえ、ええと、ともかく、よいしょ」


 座っている僕の正面にアンジェの身体がヌっと伸びると。


「う」


 ぽよんと柔らかな胸に顔を弾かれ呆然とする。

 このシスター。距離感が近すぎないか。


「これが、最新の懺悔なのです」


カラッと音が鳴りカーテンが開かれると、目の前に小型のモニターが現れる。


「倉庫に入っていた古いモニターですが、防音室に丁度良かったので神父様の目を盗みこっそりと取り付けたのです。礼さん、少々お待ちくださいね」


 モニターの電源を入れたアンジェリカは再び移動した。

 パタン。

 カチ、フォォォン。


 聞き覚えのある起動音とファンの音。モニターの背部に手を伸ばし、コードに触れてパソコンの場所を確かめようとすると。


『いけません』


 そう窘められた。

 仕方なくモニターに目を移すと。


『ようこそ、バーチャルコンフェションルーム、改め、バーチャル懺悔室へ』


 いかにもステレオタイプな見た目の『シスター』がそこにいた。

 金色の髪、白い肌、青い瞳。ほどほどの出来の2Dのモデルが微笑みを浮かべている。


「バーチャル懺悔室?」

『ええ、私は貴方を救いたいのです』


 スピーカーから先ほどよりもクリアな声が聞こえてくる。


『私の名はゴッズシスター☆ラスティ。フォーチュンスターという小さな事務所に所属するバーチャルシスターです。さあ、貴方の罪の味を、教えてください』

「……味?」


 というか会ったばかりの人にあっさり事務所とか教えていいのか、教育はどうなってる。


『ここでの告解で主の哀れみを得ようではありませんか』


 哀れみって、五十六点とはいえそこまで卑下するほどでは……。


『うふふ。楽しい、いえ、有意義な時間にしましょう。貴方にはいずれ、お聞きしたいことがあるのですから――』


 そうして、ゴッズシスター☆ラスティは慈愛の笑みを浮かべるのだった。

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