ゴッズシスターの提案
言うなれば軟禁。
小部屋に押し込まれての強制懺悔を終え、ようやく教会を出た頃には既に日は暮れていた。
「礼さん、またお越しくださいね。お待ちしております」
心なしかツヤツヤとしているアンジェが門まで見送りに来ている。
「懺悔室の扉に鍵をかける教会には来ません」
「人聞きが悪いですね。たまたま立て付けが悪かっただけなのです」
「神に誓って?」
「ええ。誓います」
それが事実だとすれば、僕は教会の中で神に見捨てられた事になる。
「それに、文句を言いつつ礼さんも晴れやかな表情をなさっているではありませんか。きっとテストでも良い点が取れるはずです」
「晴れやかなのは外の空気を吸えたからなんだけど」
また変な女と知り合ってしまった。しかも比較的ご近所に住んでいるときた。ともかくさっさとこの領域から離脱しよう。
門に手をかけ帰ろうとすると。
「英語でしたら……」
小さな声に引き留められる。
「英語でしたらそれなり以上に教えて差し上げる事が出来ます。私こう見えて……いえ、見ての通り英語は堪能なのです」
塾に関する話もしてしまった手前、なんだか興味を惹かれる話題だ。
目下の目標は数学の成績アップとはいえ、得意科目と言う訳でもない英語もやっておくに越したことはない。
しかし。
僕だって日本語を喋れはするけれど、教えられるかと言われると自信は無い。アンジェの学力も不明だしすぐには頷けない。
「もしや。英語を喋れるからと言って教えられるのか、そもそも目の前の女の子は勉強を教えられるほど賢いのかと疑っています?」
「見透かしすぎだよ」
なんで変人ほど洞察力が鋭いんだ。
「私が通う学校、フィデス女学院という名前はご存知でしょうか」
アンジェが胸の前で手を組み微笑む。
フィデス女学院。クイズ番組で見た事があるような……。
「そうです、クイズ番組などには先輩が出ていると聞いております」
帰国子女だったり、女子アナが通っているような由緒正しい優秀なお嬢様学校だったっけ。
「お嬢様学校なのかは分かりませんが、大正より続く由緒正しい学校ですね」
「読心術つかってる?」
「礼さんが分かりやすいのです。そうも無防備だと悪い女に付け込まれてしまいますよ?」
もう手遅れみたいだね。
「それで? 英語がどうのって言ってたけど」
「五科目の中でも英語の勉強はヒアリングも大事かと思いますが、私であればネイティブの発音で教えて差し上げられるのでは、そう思うのです。つまりこれも一つのアガペーなのです」
「アガペー……」
愛って意味だっけ。
「隣人へ勉強を教える、それはステキな事ではありませんか」
「奉仕活動ってこと?」
「愛ですよ、愛。しかも今ならタダです」
タダより怖いものはない、という単語が浮かぶ。
「手間のかかる性格ですね……」
アンジェは暗い空を眺め、ぽつりと呟く。
「では。お金を」
「お金?」
「大事でしょう?」
対価という意味ではこの上なく分かりやすいけれど。
アンジェの口から出る言葉としては意外な気がした。
「お布施と思って頂ければ。わかりやすい対価でしょう。礼さん、無償の愛と言っても受け入れてくれないようですからね」
アンジェは『もういいです、お帰り下さい』と言う気配は無い。そんなに僕と一緒にいたいのだろうか。アンジェとは特別な縁もないはずだけれど……。世の中には面倒見の良い人もいるらしいし、アンジェもそのタイプなのかもしれない。
捨てられた犬を前にした子供のように、五十六点の僕を救ってくれようとしているのかもしれない。
「もちろん大金を頂くつもりはありません。アルバイトをしているとの事でしたので二時間で千円というのはいかがでしょう」
「……丁度良い」
絶妙な価格設定だ。これであれば妹に頭を下げずともどうにかなる。
「教えるのも勉強になると言いますし。私の実体験からおススメの学習法もありますし。試しにやってはみませんか」
「二人っきりで?」
「ご心配には及びません。昔、礼さんのお母様とは教会でお話した事がありますので。イタズラしようものなら言いつけちゃいます」
「お母様……じゃあ僕の事も知ってたの?」
「実は以前、礼さんのお話を聞かせてもらいました。お友達になりたかったんですよ?」
それでほぼ初対面のわりに親し気だったのか。母はこの教会の神父に世話になったと言っていたし、そこでアンジェと出会っていてもおかしくはない。
「本当に知り合いなのかリリーさんに確認していただいても結構ですけど」
スマートフォンを取り出し数度タップすると。
『礼が何度もかけてくるなんて珍しい』
「教会のさ、アンジェって子知ってる?」
『アンジェ……アンジェリカね。何度か喋った事があるわ。あの神父の遠い親戚の子だったかしら。久しぶりに見たら綺麗になってたわね』
「そっか」
あの爺さん神父の親戚ならそんなに警戒しないでもいいのかもしれない。
『礼にも昔――』
通話を切る。ついでにスマートフォンで『フィデス女学院』と検索すれば、目の前の彼女が着ている制服が表示された。
「私もお話したかったのに」
周囲を眺めれば夜の教会というのは少し不気味で暗がりも多い。もしかしたら一人では心細いのかもしれない。そういう理由があるのであれば……考えなくもない。
「礼さん。お試しだけでも、ね?」
可愛く微笑まれると、どうにも拒めなくなってくる。もう観念しよう。
「じゃあ、アンジェ先生って呼ばせてもらうよ」
「それは決まりというコトですねっ。お勉強の場所はこの教会でもよろしいですか?」
「任せますよ」
流れるように決定した。
あの老神父には母も世話になったみたいだし。アンジェが満足するまでは付き合わないとそれこそ罰が当たるかもしれない。
「もちろん数学も他の教科も教えられるように私も努力します」
「感謝いたします」
アンジェを真似て、胸の前で指を組む。
「ふふっ、お祈りの仕方も教えて差し上げますからね」
ちょっとした冗談にも微笑まれてはどうにも調子が狂う。今日の所は撤退しよう。
「そろそろ帰るけど。アンジェはここに暮らしてるって言ってたっけ」
「はい。古い場所ですが大事な場所ですので。暮らせるうちは、ここで暮らすつもりです」
どこかしんみりした様子。
「少し離れたところに立派な教会があるのをご存知ありませんか? この場所は、もう使われる事は無いのかも知れません。そういった手続きをしたと後見人から聞いております。元より日本には沢山の神様がいますからね。主の哀れみは、あなた方には間に合っているのかもしれません」
寂しげな表情を浮かべる彼女に対して気の利いた事でも言えればいいけれど、残念ながら頭が回らず。
「まあ。なんだ、その、とりあえずよろしく」
そんな事しか言えなかった。
「もちろんです。大船に乗ったおつもりで勉学に励みましょうね」
かくしてアンジェと連絡先を交換。
「シスターでもスマホ持ってるんだ」
「古い機種ですけどね」
アンジェはスマートフォンを隠すように撫でると。
「――主のお導きに感謝します」
僕をジッと見つめ、そう呟いた。
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