巡り合い清廉
妹に貰った日傘は紫外線を99%カットし、太陽の過酷な日差しから僕を守ってくれる。
普段は自転車で通学する事が殆どだけれど、この暑さの中のサイクリングは中々堪えるものがあったので妹からのプレゼントは有難いものだった。
日傘の裏地は真っ黒で日光を遮ってくれている感じがする。
もう、八月か。八月は……暑くて嫌いだ。
なんだかここ数か月はあっという間に時間が過ぎた気がする。あまりに忙しなく騒がしい日々だったから今月くらいは静かに……。
ポン、とスマートフォンが揺れる。
普段僕に連絡を寄こしてくる人は限られている。
学校関連の人は基本的に連絡してこないし、家族も殆ど連絡してこない。僕からも誰かに連絡する事は無い。
つまり、このスマートフォンを揺らすのは。ペイントパレットという禄でもない芸能事務所の人間か、ラインオーバーという禄でもない芸能事務所に関わる人間という事になる。
一番良いのがアンジェ。作りすぎたスコーンをくれる可能性がある。
二番目は柚乃さん。自称霊感持ち(笑)の痛いイラストレーターではあるもののお友達としては面白い人なので有り。
三番目は……しいて言えばペイントパレットのマネージャー吉野さんだろう。常識人寄りの人だし、何だかんだ身近な大人の中では話しやすい人だ。
四番目は……。いや、ここまでくると最下位を考えた方が早いか。
一番面倒なのが口に出してはいけない悪魔さん。碌なヤツではない。これまでのヤツの罪状を箇条書きすれば立件される事間違いなし。
何だかんだと、本当に遺憾ながら要所要所で善行を積むのがまたニクイところで……。
いや、もう考えるのをやめておこう。あまり考えると寄って来る。
なんて想定をしながらスマートフォンの通知画面を確認すると。
『どーうもっ、吉野です☆ いいもの貰ったんだけど今からこっち来る?』
という様子のおかしいメッセージが表示されていた。マリリであればもっと巧妙な手口で僕を誘い込もうとするので吉野さんからのメッセージなのは間違いなさそうだけれど……。
「……」
罠だ。
いつまでもこの手に引っかかる僕ではない。今日はこれから夏期講習に行かなくてはならない。変態の巣窟に行くつもりは――。
ポコン、と続いて画像が送られて来る。
「……」
表示されたのは、グレゴリーという僕が一番聞いている深夜ラジオのパーソナリティ兼お笑い芸人のサインが書かれているTシャツの画像だ。
舐められたものだ、まったくこんなTシャツに釣られるとでも思っているのか……。
かくして僕はペイントパレット本社へと足を進めた。
・・・
電車から降り、ペイントパレット本社近くの見慣れた喫茶店バックスターカフェ前を通りがかると。
「おーいっ」
二十メートルほど向こうから吉野さんが手を振っているのが見えた。てっきり会社で会うのかと思っていたけれど、予定変更だろうか。駆け寄って来る吉野さんを待つ。
「お、日傘男子。どう、涼しい?」
「汗かく量は減った感じです。今朝、妹に貰いました」
数日ぶりに見る吉野さんはいつも通りに見えるものの、どことなくフラフラしている。過労だろうか。
「良い妹さんじゃないか。……なに、その手」
「シャツ貰ったら帰るんで」
「……遠慮が無くなってきたな。ま、そう言わず、喉でも潤そうっ。ボクもね、一週間に一回は綾野君とお喋りしたいんだ。ほら、僕みたいな柔和な優男って人の話聞くばかりであんまり話せる友達いないだろ? ゴーゴーっ」
様子のおかしい男にガシっと逃げられないように肩を掴まれ、バックスターカフェに連れ込まれる。
「どうしよっかなー」
「先に言っときますけど自分のは自分で払いますからね」
「そのうち分かるだろうけど一回り以上年下の子と一緒にお茶してお金出さないってけっこう情けない気分になるんだからね」
「じゃ、アイスコーヒーとBLTサンドとクッキーお願いします」
「遠慮しないのがキミの可愛いところなんだろうなぁ」
注文する吉野さんを置いて座れそうな席を探す。日光を避ける為か窓側の方が空いている印象だ。人が多い場所よりは良いかと思い、日よけ帽子を被り携帯ゲームをしている女性以外は誰も座っていない窓側の席に座り吉野さんを待つ。
「おまたせー」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
吉野さんは自分用のホイップクリームが乗ったコーヒーにストローを突き刺す。ホイップの量から察するに、やはりお疲れらしい。
「吉野さん、パンとか食べないんですか?」
「いやぁ、夏バテで食欲なくて」
「食べない方がバテますよ。クッキー半分食べます?」
「ふふ、半分ってのがまり、茉莉花が喜びそうなポイントだ。きっと『自分も食べたいから、全部はくれないのがきゃわなの』って言うよ」
不名誉な事を言われた気がする。
「というか綾野君。制服着てるけど、いま夏休みじゃないの?」
「さっきまで文化祭の出し物の練習してました」
「文化祭かぁ、良いなぁー。文化祭って単語聞いただけで青春感じた。なにするの?」
「ハモリ我慢の合唱です」
「テレビのやつじゃん。あれ実は一回やってみたかったんだけど、綾野君の学校行けばやらせてもらえるの?」
「一般参加の日もありますけど」
「あ、そういえば茉莉花がその日はスケジュール開けろとか言ってたっけ」
どこからか情報が漏洩しているが、文化祭の企画は思いのほか好感触らしい。
これなら文化祭当日に誰も来ないで悲しい雰囲気で終わらなくて済むかもしれない。
「綾野君の歌声も興味あるなぁ」
「……」
「なにその物悲しい顔」
「その、何と言うか。ボカロやないかい、みたいな」
「どゆこと」
隠す事でもないのでカクカクシカジカを話すと。
「うはっ、キミは多才だなぁ」
と笑われた。なんなら一個離れた席に座っている黒いワンピース姿の日よけ帽子を深く被った女性の噴き出す声も聞こえた。
「自分でも知らない能力を目覚めさせてしまいました」
「愉快な学校生活みたいで羨ましいよ」
「僕以外は笑ってました」
「ははっ、きっとクラスの子たちも嬉しかったと思うよ。パッと見やる気無さそうな綾野君が乗り気で歌っててさ」
「そーならいいですけど」
ふと北野の事を思い出す。普段から険悪な仲ではないものの、イヤホンを差し出しおススメの曲を聞かせてくれたのは……そういう事なのかもしれない。
「歌の先生とか紹介してくれませんか。夏休み明けにめちゃくちゃ歌上手になっててクラスの人たち笑わせたいんですけど」
「上手くなったら褒めるでしょ」
それもそうか。
「で、今日はなんの用ですか」
遠回りしてようやく本題に入る。
「実はこれから新人研修があってさ。活動上の注意とか、ネットリテラシーとか」
「ネットリテラシーって。御社のタレントが得意とするところじゃないですか」
「痛烈な批判ありがとう。んで、どうせならボクがやるよりも経験者の綾野君が語ってくれた方が説得力と言うか危機意識を持ってくれるかなって」
「……ん?」
一瞬、話が理解出来なかった。
「僕が?」
「そう。まさに適任だってね、さっき閃いた」
「さっき?」
正気なのかこの男。今日で会社辞める気でハチャメチャやろうとしてるのか?
あんたのとこの女に付き纏われている僕がなんで――。
……面白いっちゃ、面白いのか? この状況……いや、やっぱりおかしい。コントじゃ無いんだから。お友達感覚にも程があるだろう。ちょっくらビンタでもしてみようかなと改めて吉野さんを見ると――。
「……最近寝てます?」
「はは。大丈夫大丈夫大丈夫まだまだ若いからね。イベントやらデビュー配信やらイベントやらでちょっと話し合いやら手回し根回しやらで忙しいだけだから」
「よく見ると頭回ってない顔してる……」
「あははは」
「壊れちゃった」
「これがマネージャーズハイってね、たはっ」
「無いよ、そんな単語」
駄目だ。
マリリがいつだったか夏は忙しいみたいなことを言っていた気がするけれど、準備している裏方はもっと忙しいのかもしれない。どういう勤務状況なんだこの人。社畜の鑑だ。
取り合えず今日は帰りましょう、と言おうとすると――。
「ぷっ、ふふっ、もうあんたら、さっきから笑わせないでよ。三振しちゃったじゃない」
隣に座っていた黒いワンピースの女の子は携帯ゲームの電源を切ると、笑いながら声をかけて来た。
「良いじゃない。教えてよ綾野クン。ネットリテラシーってやつ。代わりにあたしが歌を教えてあげるからさ」
女の子が日よけ帽子を脱ぐと肩にかかる長さのしっとり艶やかな黒髪が揺れ――。
「せ、清廉さんっ? ななっ、どうしてここに」
「そちらが呼んだんでしょう」
「まさか、ホントに来てくれるとは」
先ほどまで頭ふわふわだった吉野さんがとたんに正気に戻る。
……せーれん。せいれん?
聞きなれない響き。清廉という字は浮かぶけれど、発音のニュアンスが違う気がするというか。セイレーンみたいな、音の響き……。いや、ちょっと違うか? セーレーン、せえれーん、せーれん……。
「なに初対面みたいな顔してるのよ」
「ん?」
「一緒に路上で盛り上がったでしょ。ほら、無貌の星」
「…………あ」
見覚えがある。
バンドマンの路上ライブ、たった二人の観客のうちの片割れ。濡鴉みたいな、黒い髪の子。
「あんたにはちょーっと会いたいと思ってたのよ。二度目の偶然。これって運命かしら」
変人検定一級の僕から見たところ。この人どうやら、僕に怒ってそう。
「綾野君、まさか清廉さんと知り合いなの?」
「いや、知り合いというか。吉野さん知ってるんですか?」
「知ってるも何も――」
まずい。ペイントパレット関係者だと余計に変な人――。
「あたし、清廉未羽。よろしくね、綾野」
清廉は薄い胸板に手を置き、外見の静かさとは真逆の力強い視線を僕に向けた。
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