巡り合い清廉(2)

「えー。初めまして。綾野礼と申します。本日は皆さまにネットに個人情報を載せる危険性を実例を交えてご紹介していこうかと思います。それではお手元の資料をご覧ください」


 ペイントパレットの見慣れた会議室で僕はついさっき渡された資料に目を落と……何をやっているんだ僕は。状況に流されるにも程があるだろう。

 仕方なく右耳にワイヤレスイヤホンを挿し込み通話状態をオンにする。


 目の前には三人の女の子。

 左には物凄く見覚えのあるシスター。アンジェとも言う。制服姿だ。

夏服姿のアンジェは呆れたような、何してるんだコイツみたいな視線を僕に寄こしている。何をしてるって、そんなの僕が聞きたいよ!


 続いて真ん中には物凄く普通っぽい女の子が緊張した様子で僕と資料の間で視線を彷徨わせている。なんとなく年上に見えるけれど、この人も学校制服を着ているので同年代なのは間違いないだろう。バーチャルアイドル、ブイチューバーってけっこう年上の人がやっているイメージだったけれど新しい風でも吹かせたいのだろうか。


 そして一番右には清廉未羽。

 黒い髪、黒いワンピース、白い肌。モノトーンの静かで可憐な女の子が興味無さげに爪を眺めていた。僕の中の清廉の印象は、高架下でライブを楽しむ姿だっただけに意外な仕草だ。


 ……まあ、清廉はいいとして。問題なのは三人の更に後ろ。


 見慣れない大人が四人ほど清廉と僕を眺めている。「来てくれたか」「どうやって……」「あの子が霧江さんの言う礼きゅんか」「ああ例の」「インターンなんだっけ?」「今日が顔見せらしいよ」なんて声が聞こえたのは気のせいだろうか……。

 吉野さんがどう説明したのかは知らないが、彼等は高校生の僕がこの場に居る事を良しとしているらしい。


「綾野さん。どうぞ進めてください?」


 他人行儀なアンジェに促され、資料を読んでいく。吉野さんが読む予定だったらしく、要点が纏まった資料は簡潔に注意事項が書かれている。なんならこの資料、妹にも見せてやりたいくらいだ。……いや、過去の僕にこそ見せてやりたい。


・・・


「――で、このSNSのアカウントなんですが。くれぐれも取り扱いに注意してください。とくに昔から利用しているものほど危なかったりします。

 一例をあげますと、まず近所の様子を呟かない。これが大事です。些細な情報の積み重ねで住所を特定されてしまいます。この時期ですとお祭りや花火を見たとしても家から見えただとか何分で行けた等を呟くのは危険です。

 あとマンションに住んでいる方は間取りの分かる様な写真は撮らないように。元よりバーチャルアイドルとしての活動がメインなので、慣れるまでは写真等は撮らなくてもよいかもしれません。一つ一つの油断が変態を呼び寄せます。

 いわゆる裏垢みたいなのを作るのもやめた方が良いでしょう。仮に作るなら携帯端末ごと新しいものを用意して裏垢専用機にするのが良いかと思います。ちなみに僕の場合はまた別のケースなのですが、結果的にストーカーが近所のタワマンに引っ越してきました」


 そう言うと真ん中の人が顔を青くし、アンジェが苦笑いし。


「それほんと?」


 爪を眺めていた清廉はようやく興味を持ったように僕を見た。


「事実です。今日も元気に望遠レンズを覗いていた可能性があります。詳しくは吉野マネージャーに教えてもらってください。で、この経験から皆さんにくれぐれも――」


 なんて実体験を交えつつ注意事項を伝えていく。

 後ろで聞いてる大人達が『うんうん、それ大事だよね』みたいに頷いているけれど、被害届出してあんたらの会社激震させてやろうか、なんて気持ちが徐々に湧いて来る。


 おい吉野さんよ、やっぱりこの状況おかしいよ。あんまりにもアンタが疲れていそうだったから仮眠室に押し込んだけれど、なにか物凄くおかしなことをやっているよ。

 ……というか、もしかしてだけど人員不足なのかここ。

 大きな事務所かと思っていたけれど、このバーチャルアイドル部門はもしや陸の孤島みたいな感じだったりするのだろうか。

 僕みたいな一般高校生にピンチヒッターお願いしないと回らないのだとすれば世知辛い疑問が湧いて来る。


「特に、この夏デビューする皆さんは十代の女性ですのでくれぐれも個人情報の取り扱いにはご注意ください。基本的に嘘でも家族と一緒に住んでいる、実家暮らしだ、と言う方が安全です。

 余談ですが、もし廃墟みたいなでっかい家に住んでいる方がいましたら日頃から戸締りをしっかりするようにお気を付けください。くれぐれも田舎育ちメンタルで鍵なんてかけなくていいや、とか思わないように」


 チラッとアンジェの方を見ると、若干イラっとしていた。


「また、配信中にコメントで学校行事などについて聞かれるかもしれませんが日付を教えたりするのは厳禁です。というか、学生だとかは基本的に言わない方が良いですね。僕の場合は、知らぬ間に文化祭の日程が漏れていました。一度でも住所だったりがバレると大変なことになるのでお気を付けください」

「ひっ、それ、大丈夫なんですか。今の内に警察とか……」


 真ん中の人が心配してくれる。

 ちなみに警察に相談したらあなたのデビューが飛ぶかもしれません。


 ……あ。

 あ! そうか! アンジェがここでデビューするってことは色々巡ってちょっと被害届出しにくくなってるじゃん!

 あの悪魔め、なんと汚い真似を……。誰だアンジェにこんな事務所紹介した奴!


「えー、大丈夫かと言われると、恐らく大丈夫な気がしますが。あ、ちなみに以前調べたんですがこういった案件だと警察は動こうにも動けないパターンが殆どです。この資料をしっかり読み込んで日頃から自衛するようにしましょう。続いてファンの方からのプレゼントについてです――」


・・・


「以上で説明を終わります。質問がある方は後日マネージャーの吉野までお願いします」


 ふぅ。どうにか読み終える事が出来た。右耳のワイヤレスイヤホンからは――。


『さっすがわたしちゃんのレーきゅん、良く出来ました。吉野はダウンしてわたしちゃんは急な仕事で外すことになっちゃって心配だったけど優秀優秀。サポートの出番ほとんど無かったね。ご褒美にマリリ特製ラジオ付きマリリ人形あげちゃうからねっ、家の固定電源に接続して見晴らしの良い場所に置いてね。もぅセーレンさえ良い子ちゃんなら日程ずらせたんだけど、珍しくやって来たこの機会を逃せなくてさ、たすかったー。あ、そういえば今朝もあやのん見守ってたんだけどさ、ちょっと妹ちゃんとの距離近すぎない? あれはインモラ――』


 なんて声が聞こえてくる。

 つまり僕は個人情報だったりネットリテラシーの重要性をここにはいないストーカーの力を借りながら一生懸命説明したのだ。なんそれ?

 説明を安請け合いした上に、僕というヤツは困ったらすぐ強いカードを使ってしまうんだ……。本末転倒というか、なんというのが適当なんだろうこの状況。

 後ろの大人たちを一瞥すると。


「まあ、学生にしては落ち着いていたかな」とか「この部署の予定なら良いんじゃない」とか「あの二人が育てるなら良いかと」「インターンね」等々の声が聞こえてくる。

 ……なんの話をしているんだ?


『あやのん、そろそろそっちにボイトレの先生が行くと思うから。それまで三人には楽にしてもらって。あやのんはその場に居てもいいし、夏期講習に行っちゃってもいいから』

「……りょーかい」


 目の前の三人に視線を移すと、清廉は小さくため息をつき背中を伸ばし、真ん中の人は左右の二人に声をかけたそうにチラチラ視線を動かしており。

 最後にアンジェを見ると僕に向かって口をパクパクと動かした。おそらく『おつかれさま』とでも言っているのだろう。


「続いてボイストレーニングの先生が来るので、それまでは楽にしていてください。僕はこれで失礼します」


 ペコリと頭を下げ、会議室から出ようとすると。

清廉も立ち上がりトートバッグを肩にかける。


「せーれん?」

「まぁまぁだったわよ、綾野のお喋り。思った通り変なやつ。小うるさい茉莉花の声が右耳から漏れてたのは減点だけどね」


 それなりに離れていたというのに、清廉は随分と耳が良いらしい。


「もしかして、帰ろうとしてる?」

「個人でボイトレ受けてるから合同練習は必要ないの。それに、これから行くところあるから。――いいですよね?」


 清廉が後ろの大人たちに尋ねる。


「いや、清廉さんにはもう少しお話が。活動方針に、名前。どう歌うのかとか」

「前にも言った通りです。セレン、でしたっけ。バーチャルアイドルとしてデビューするならそれでもいいです」

「それでもいいって、大事な事でしょう」

「どのみち歌えば良いんでしょう?」


 言い争い、とまではいかずとも。

 両者一歩も譲らぬ討論が始まろうとしてた。

 ……なるほど、この会話だけで清廉が厄介なヤツって分かっちゃったぞ。相当気が強いなこれは。普通、二回り以上年の離れた大人にあんな強気で話せるか?


『あやのん、セーレンは一芸特化の高飛車お嬢様だからくれぐれも仲良くならないように。普段はものすごーく静かなのに拘りが強いというか。興味あるものと無いものに対する反応がまるで違うって言うか。こんだけ好き勝手出来る才能が生み出したモンスターなのよ。わたしちゃんの見立てだとあやのんとはすこぶる相性良い、あ、失言。めっちゃ相性悪いと思う。清楚な見た目に騙されちゃ駄目だからね。中身、煮えたぎるマグマみたいなヤツなんだから』


 どうでも良いけどこの悪魔、一回喋り出すとほんとに長い。RPGで三回行動するボスモンスターみたいだ。


「――そんなに言うならっ、じゃあもうっ、miuとしては歌いません!」

「ちょっ、なんてこと言うのっ」


 清廉は細身から出る音とは思えない声量を部屋に響かせ、バタン、と会議室の扉を閉め去っていった。部屋には気まずい沈黙だけが残る。

 ……みうとしては歌いません、か。みう……いや、まさか。


「マリリ。実はさっき、miuっていう凄い、ほんとにすごい歌手の曲を初めて聴いたんだけど……」


 資料で口元を隠しつつ、こそこそとイヤホンに尋ねると。


『それは、ご愁傷様。わたしちゃんも一年くらい前にmiuの正体知った時ショックだった。水と風属性みたいな声してて、本人、灼熱だからね』


マリリがショック受けるレベルなのか。


『正体不明の歌姫miuは二、三年くらい前から弊社所属の歌手だったんだけど。今は一身上の都合で活動休止中かつ、それを見かねた会社がバーチャルアイドルやってみない? という謎の提案をしたら、何故かあの問題児が受け入れてわたしちゃんの管轄に入って来たってわーけ。ほんと何考えてんのよまったく。おかげでね、わたしも吉野もけっこう、すり合わせで大変なんだからっ。ただでさえPPPP甲子園の企画で栄光ナイン育成とか色々忙しい時期なのに』

「PP……? 栄光ナインって、マリリ、野球知ってるの?」

『え、あやのんがマリリに興味を持っている? んもー、そこまでしつこく聞かれたら、教えてあげる』

「そんなに興味は――」

『正式にはペイントパレット×パワプロ甲子園っていう企画で。熱烈パワードプロ野球、通称パワプロをみんなで遊ぼうって話なんだけど。これが去年はけっこう大盛り上がりで、今年はお盆休みの時期に開催予定でね、それでね……。育成やらなんやらやりたいのにさ、それ以外の業務が盛りだくさんな上に……。一番の難問、清廉未羽を上手いこと乗せてデビューさせよって緊急クエストがあるから、マリリ含め運営側はものすごーく気を揉んでいまして! 大変なの! スケジュール、きついの! あの子ぜんぜんどうしたいとか言ってこないの!』


 マリリちゃんイライラなのであった。

 吉野さんの疲労もこのあたりが原因か。ただでさえマリリの面倒を見てるのに、あの歌姫さままで管轄内とは不憫な男よ。

 ……不憫と言えば僕もそうか。ついさっき学校で勧めてもらったすっごい歌手の正体がアレだ。

 この素敵な歌声どんな人が歌っているんだろう、みたいな気持ちで居たかったのに。

 着ぐるみの中身を覗いてしまったような気分だ。miuの中身、怖かったなぁ……。


「夏期講習、そろそろ行かなくて良いんですか?」

「アンジェ……」

「礼さん、今日はありがとうございました」


 miuの中身にショックを受ける僕とmiuの態度に頭を抱える大人たちをしり目に、マイペースなアンジェに声をかけられる。

どうせこのシスター内心では『面白いものが観れましたね』と上機嫌に違いない。


「あ、私もその、ありがとうございました」

「真ん中の人まで、お礼なんていいですよ」

「まんなか……はい、そうです私が真ん中の人です」


 アンジェと共に説明を聞いてくれた人も挨拶をしてくれた。

 なんとなくだけれど、一番面白そうなのはこの人の気がする。

 僕の実体験語りも良いリアクションしながら聞いてくれていたし。もし、このまま三人が順調にデビューするのであれば、ここで会った縁もあることだし真ん中の人の配信だけは見てみようかな。ホラーゲームとかやって欲しい。


「礼さん、こちらの方は。あ、こういう時はどちらの名前を紹介すればいいのでしょう」

「資料にあったじゃん。実名で呼び合っていると配信でポロリする可能性があるから活動名で呼び合う方が好ましいって。人目のある場所では名前を呼ぶ事自体に気を配るべし」

「そうでした。ふふ、貴方が状況に流されて頑張って喋っているのが愉快でつい聞き逃していました」

「ええと、私の名前は――」


 そんな会話を最後に僕はペイントパレットを後にし、夏期講習へと向かうのだった。



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