巡り合い清廉(3)

 昼過ぎから十八時まで夏期講習に参加し、休憩時間に塾内の自動販売機の前でこれからの予定を考える。

 帰ってもいいし、もう一つ授業を受けてもいいし、自習室に行くのもいい。その前に近くのコンビニかスーパーにでも行って早めの夕飯を買って来ても良い。妹の夕飯は二日目のカレーが冷蔵庫に入っているから問題ないだろう。


 朝はからかったものの、妹がたくさん食べるに越したことはない。1.5人前くらいカレールーが残っているから全部食べるように連絡するか。

 紙コップにドリンクを注ぐタイプの自動販売機でアイスコーヒーが注がれるのを待ちつつ、スマートフォンを弄っていると――。


「ちょっと待ってよ、あのさ、よかったらこれからメシでもどう? オレが奢るからさ」

「誰ですあなた?」

「え、いや、今日ずっと一緒の授業受けてたじゃん」

「知りません」

「し、知らないならこれからさ」

「……どうでもいい」


 階段の方から反響した声が聞こえて来た。

 顔色を窺う様な男の声と、冷え切った女の声。

 色んな学校から学生が集まって来ることもあり、一夏の思い出作りも盛んに行われているようだ。


 ――夏。

碌な思い出がない季節だけれど、高校生として何か良い思い出が欲しい気もする。

 ぱっと思い浮かぶのは花火、夏祭り。海や山ってのはこの暑さだと億劫だ。プールも却下。人ごみにわざわざ入りたくもないし。


「……」


 やはり僕には夏を楽しむ才能が無いらしい。

 真野先輩と行くガレージキットの祭典、ワンダフル・カーニバルが唯一の楽しい思い出になりそうだ。一年バイトして予算はあるし、大量生産品ではない特別な一品を手に入れようじゃないか。僕としてスマホゲー、レッドメモリーでお世話になっているキャラのガレージキットが欲しいところ。

 ついでに買えればエリオットのガレージキットも欲しい。エリちゃんには折り畳み傘の良いお礼になるだろう。


「ほら近くにファミレスあるし」

「しつこい。だいたい、なんで私があなたみたいな――。あ」


 自動販売機からアイスコーヒーを取り出し、さて飲もうかなと口を開くと――。

 見覚えのある黒いワンピースが目に映った。

 清廉未羽。

 なんで彼女がここに……。彼女の後ろには見覚えのないかっこいい風の男子が一名。どうやら先ほど聞こえて来た会話の音源はこの二人らしい。


「……さーてと、自習室に行こうかな」


 自分の口から漏れた独り言はやや棒読みだった気もするけれど構うまい。

清廉をナンパしている男子の邪魔をするのも悪いし、さっさとこの場から逃げるとしよう。


「お、待、た、せ、綾野っ。約束通り夕飯に行きましょうか。あーあ、お腹空いた」


 ガシッっと清廉に強い力で肩を掴まれる。目が怖い。


「は、あ? な、ソイツと知り合い?」


 後ろの男子が気まずそうだ。


「知り合いじゃなくて彼氏だから。悪いわね」

「っ、んだよ、彼氏いるなら先言えよっ」


 男子は一度僕をジッと睨むと、僕が呼び止める前に悲し気に去っていってしまった。


「はー。めんどーくさ。なんであたしが知らないヤツと夕飯食べないといけないのよ。奢るって、親から貰ったお小遣いでカッコつけんな」

「……バイトしてるかもしれないじゃん」


 この女、火力が強くないか……。


「どのみち興味ない。しつこい男ってキライ。あんたが居て助かったわ」

「初彼女がここで出来るとは思わなかったよ」

「感謝するといいわ。こんなかわいい子、そうそう居ないんだから」


 清廉は嘆息すると肩にかかった髪をはらった。

 そんな彼女を改めて見れば、自分で可愛いというだけあって華奢で黒髪の可憐な女の子に見える。黒いワンピースも相まって深窓の令嬢みたいな雰囲気。

 一見すれば大人しそうな見た目は『もしかしたらイケるかも』と思わせる釣り餌のように作用しているのかもしれない。

 そして、いざ声を掛けたらコレなのだからまるで生きるトラップだ。


「というか。せーれん、この塾通ってたの?」

「夏の間だけよ。夏休みの宿題もやらないんだからせめて塾に行きなさいって。あたし、ほんのすこーしだけ親に学力を信用されていないみたい」

「なるほど」


 この夏期講習、最初に学力テストがありその結果で自分が受けられる授業が変わる。

 そして僕はこの夏期講習を受け始めてから清廉の姿を一度も見た事が無かった事から……どうやら彼女は勉強が少々苦手らしい事が分かる。


「塾が一緒だったから……それでこの前、路上ライブで一緒になったのか」

「そういうことね。授業終わってあの高架下向かってたら、なんかずっとあたしの前に歩いているヤツいるなって思ってたのよ」


 ぼけっと歩いていた僕と目的地のあった清廉。本来であれば知り合わなかっただろうに、あの曲――無貌の星の引力に掴まり出会ってしまった。


「しかもあたしが上手く話せない、その、推してるベーシストと仲良くお喋り始めるし」

「多分あの人、誰とでも仲良く喋れるタイプだよ」

「そんなの知ってるわよ。でも、なんか恥ずかしいじゃない。推しだし」


 清廉の顔が少し赤くなる。

 推しって。

 確か、星野さんだっけ。星野晴……ベーシストだったんだ。通りで歌声よりも指捌きの方がカッコよかったわけだ。


「あ……そうだ。忘れるところだった。あんたに言わなきゃ気が済まないことがあったの。いい機会だから、ちょっとツラ貸しなさいよ」

「……お金はありません」

「カツアゲじゃないわよっ」

「じゃあここで言ってよ」

「それは、もう少し待ちなさい。せっかくだから一人で行きにくいお店、行きたいの。ちょっと付き合って。いいでしょ?」

「さっきの人と行けばいいじゃん」

「あたし、知らない人とは一緒にいたくないの。あんたのことは、それなりに知ってるわ。さっき茉莉花に聞いてみたら長文の解説と共に釘刺されたし」

「まり、茉莉花ちゃんと仲良いの?」

「べつに。ただの知り合い。ゲーム配信やってる時は見る時もあるけどね」

「あの人、ゲームなんて滅多にやらないだろ」

「とにかく。付き合って。あんたが適任なの」


 折れる気配のない視線を向けられる。

 もうわかってしまった。僕では清廉の押しの強さには敵わない。大人しく言う事聞いた方が楽そうだ。しかも――マリリの見立て通りというか、すごく話しやすい相手だ。


「わかった、付き合うよ」

「決まりね。この時間ならちょうど良いはずよ」


 黒くしっとりとした髪、長い睫毛、白い肌、薄っぺらな胸板、華奢な手足。清廉未羽の外見はその殆どが名前の通り『清廉』を思わせる静かさで激しさとは無縁のように見えるのに。

 二つ。

 大きく力強く瞬く瞳が、彼女の気質を物語っている。

 近づきがたい灼熱――。

 僕は、太陽を思い浮かべた。


・・・


 先行する清廉の後に続いて夜の道を往く。


「せーれん、どこ行くの」

「フレッシュ・リュカ・バーガー。すぐ着くわよ」


 聞いた事あるけれど行ったことの無い店だ。ちょっと値段が高いけれど、その場で新鮮な食材を調理してくれるハンバーガー屋さん。


「せーれんは良く行くの?」

「あたしは二回目。……というか。あんた、あたしの名前ひらがなで呼んでない?」

「ん?」

「響きが微妙に間抜けな感じがする」

「ひらがなもカタカナも意識してないけど。せーれん」

「ほら。もうちょっとキリっとした気持ちで言ってみて?」

「……せ、せーれん」


 耳が良いのか、言葉のニュアンスにも敏感なようだ。


「漢字としては、せいれん。『れ』の部分に力を込めるイメージだけど。呼ぶ時は『せえれん』で『え』に力を込めて『れ』は力を抜くみたいな。で、あんた、せーれんなのよ」

「難しいよ。じゃあ、未羽って呼ぼうか」

「それはイヤ。名前って特別な人に呼ばれたいじゃない」

「芸名、名前じゃん……」

「う、うっさいわね。あの時はお洒落な気がしたのよ。じゃあもういいわよ、せーれんで」


 清廉の表情がコロコロと変わる。

 きっと僕が初めて会った時、高架下の清廉は一番機嫌が良い時で、ペイントパレットでつまらなそうに爪を弄っていた時が普段の清廉で――。ペイントパレットの社員と話していた時や塾の男子に対して見せた強情も苛烈さも冷たさも、また清廉なのだろう。

 とりあえず頭で考えてどうするか決める僕とは対極の素直さだ。

 何をするにも、きっと『熱』がある。


「なに、人をジッと見て。まさか惚れたとか言わないわよね。いくら魅力的な相手だからっていきなりそういうのは困るわよ」

「恋愛脳過ぎる」

「恋愛脳の何がいけないの。せっかく高二の夏――」

「そっか。納得した」

「まだ言ってないでしょ」


 さっさと同意したというのに……。


「じっくりお互いを知る前にすぐに声かけてくる男もイヤだけど、こうも興味無さそうだとそれはそれで腹が立つわね。決めた、あと一ヵ月であたしに惚れさす。そして高笑いしながらフッてあげるんだから」

「…………」


 清廉、じっくりお互い知ってから恋したいタイプなんだ……。

 しかも高二と言っていた。

 同級生だ。アンジェも柚乃さんも同級生、変人黄金世代だ。  

 僕のような素朴で愛らしい一般市民が関わるべきではない人々ばかり。

 そうこう喋っているうちにフレッシュ・リュカ・バーガー前まで到着。店先にはテラス席があり、濃い緑色を基調とした外観は落ち着いていてお洒落だ。


「綾野。先に入って」


 何故か僕の後ろに隠れる清廉。


「支払いは自分でやってよ」

「そこはちゃんとするわよ。いいからお願い」


 背中をグイグイと押され、店内に入ると。


「いらっしゃいませー、フレッシュ・リュカ・バーガーへようこそー。本日からトロピカルシェーキが販売となっておりますー、どうぞご利用くださいー」


元気の良い声に出迎えられ、店頭に並べられたメニューに目を――。


「あ、先にスマイルもどうぞー」


 ……にこっとした男性店員の顔。

 もさっとした茶髪、黒ぶちメガネ。なんだか見覚えがある。

 後ろの清廉を見れば心なしかモジモジしている。


「――おお。なんだか見覚えあるお二人じゃん。なに、もしかしてデート?」

「ち、違います。綾野はただの、そのお供で」


 男性店員……星野晴を前に清廉がしおらしく反論する。キミ、さっきまでと態度違い過ぎない?


「せーれん。一人じゃ推しに会えなかったんだ」

「ち、ちょ、ちが」

「ふーん? とにかくいらっしゃい。おススメはルカ・バーガーセットとオレのスマイルね」


 どうやら僕は清廉の照れ隠しに連れてこられたらしい。

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