やはり悪魔とは耐えがたい魅力を持つらしい
会議室から警備員と数人の社員が去っていく。
残されたのは僕とマリリと吉野さん。
「ごめんねアヤノン。すこし正気を失ってしまってたみたい。働き過ぎかなぁ。会社が悪いよ会社が。あれ、なんだろう、さっきまでと違って今はすごく頭がすっきりしてる。さっきのは悪い夢なのかな。はい、今のは言い訳です、反省してます」
マリリにしては珍しく本当に反省している様子だ。付き合いは浅いとはいえ、普段の不敵な雰囲気はなりを潜めている。万が一の準備がしっかりハマったあたり悲しいかな、マリリへの理解が深くなってしまったらしい。
「綾野君、本当に申し訳ない。まさかここまでの凶行を起こすとは思いもしなかった。一瞬、綾野君がマリリに襲い掛かったと勘違いして会議室に入った自分が恥ずかしいよ」
常識的な範囲であれば当然の対応かも知れないが、登場人物を踏まえればもう少し、こう、ね。
「……」
「アヤノン、嫌いにならないで、好きでいて?」
「……くく」
ああ、駄目だ。抑えがきかない。
「え?」
僕の口から漏れた笑い声とも取れる音に、マリリが驚いたような顔を浮かべ――。
「はははははっ、やっぱ、やっぱりおかしいよマリリ。あはははっ」
笑いをこらえきれない。
「まさか、アイドルに防犯ブザー使う事になるなんて思わなかった、あははっ」
「アヤノンが壊れた」
こんな変な人間会った事が無い。
ある種の恐怖体験、緊張状態から解放された僕はすっかりツボにはまってしまっていた。
「あははははっ」
「……ふふっ。あ、いや、すまない、つられて笑ってしまった。反省しています」
吉野さんも笑い始める。それもそうだろう。担当アイドルが、自分で防犯ブザーを鳴らすならともかく防犯ブザーを鳴らされる日が来るとは思わなかっただろう。
「もう、マネージャー。あはっ」
ついにマリリまで笑いだす。お前は笑っている場合じゃないよな。と、当然の言葉も笑いに流されて出てこない。
ああほんと。こんなに笑ったのなんていつぶりだろう。
「うう、でもほんと、ごめんね。言い訳じゃないけど、最近忙しい上に寝不足だったりでちょっと理性のブレーキが効かなかったというか。スイッチ入っちゃった」
「……。ははっ」
大きな笑いは収まったものの、シュンとしているマリリも笑えて来る。
「はあ、これは社長が知ったら怒るか笑うか……怒るか。そろそろ仕事に戻るけど、マリリ、もうやめてよ。綾野君も、何と言ったらいいか。埋め合わせはするからその、この度は大変申し訳ございませんでした。この件につきましては改めて――」
「あの、もう大丈夫ですので。仕事に戻ってください」
「いやでも、加害者と被害者を同じ部屋に」
「大丈夫ですよ。流石に腕っぷしでは負けないので。次はラリアットしますから」
社会人のガチ謝罪は心臓に悪い。
そうして吉野さんも会議室から出て行く。去り際に堪えきれず噴き出し、改めて頭を下げたあたり発情マリリの衝撃は凄まじかったのかも知れない。
笑ってはいけない時ほど笑っちゃう気持ちは分かる。
「そろそろ帰ろうかな」
「うん。アヤノン、今日は来てくれてありがとう。おかげで元気でたよ」
作った様な声色でステキな笑顔を向けて、一件落着的な雰囲気を醸し出すマリリに僕は同じように笑顔を向けて――。
「ありがとうじゃないよね」
当然の一言を告げる。
「綾野さん、大変申し訳ございませんでした!」
体育会系部活動の一年生のようにマリリが頭を下げる。
「よし。もうするなよ」
「はい、これからは真面目に生きて行きます」
ああ。また笑いそう。ツボに入るとはこのことなんだな。
「ま、なんだかんだ僕も、来て良かったよ。どうあれ、こんな笑う事なんてそうそう無いし。それこそ――」
「アヤノン?」
マリリが僕の顔をマジマジと見つめてくる。
「いや、なんでもない。ちょっと笑いすぎて昔の事思い出した」
「昔?」
「ともかく、ほどほどにしてよ、霧江さん」
「は、はい。深く反省しております」
ほんと、変な人だな。この人。本当に、変な人だな。
「あ、あと。その、次は、例の企画の方をですね」
「図太い」
見た目はともかくとして、この人も、一般社会にはなじめない人なのかもしれない。それはどこかの誰かを思い出す。
「配信者としての勘が、きっと跳ねるだろうなーと囁いておりまして。わたし、人が驚くところを見るのが三度の飯よりも好きでして……。ドッキリ、大好きでして、へへ」
先ほどのやらかしを引き摺っているのか、やや奇妙な口調のマリリ。僕は諦めの境地に一歩近づき血迷った事を口にする。
「わかった。乗りかかった船だ、気持ちよく下船できるように、微力ながらお手伝いするよ。マリリ。実のところ僕も、人の驚く顔好きなんだ」
僕の返事に目を輝かせるマリリを他所に。
ふと、ソシャゲで課金し過ぎてしまった時の事を思い出した。
ああいうのって『負けると分かっている』時ほどなぜか突き進んじゃうんだよな、と。
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