ネギを背負ってきた鴨が自ら鍋に浸かるのが悪いよ


「いやー。助かるよ。仕事が立て込んでてマリリのストレスたまってたから」

「前にも同じような事聞きました」

「最近バーチャルアイドルの活躍の幅が広がりすぎててね。よくやってくれてると思う。今日も根を詰めててヘロヘロでさ。さっきまで眠そうなのに目がバッキバキだったよ」

「目がバッキバキのアイドルって」


 ビルの入り口で待っていてくれた吉野さんと共にエレベーターに乗り込む。


「にしても綾野君も付き合い良いね。嫌よ嫌よもってやつ? だとしたら嬉しいなぁ。マリリちゃん係が出来てくれると仕事が楽になるし。良ければ小型のノイズキャンセリングイヤホンあげようか。使いようによってはバレないからさ」


 エリちゃん係と兼任とか勘弁してほしい。


「なんか、気になるじゃないですか。どうして僕にこだわるんだろうって」

「なるほどね」

「僕はこれといって面白みのない奴ですよ。……自分で言ってて悲しいですけど」

「マリリが理屈や損得だけで動くなら、こっちとしても有難いんだけど。そうじゃないって事じゃないかな。マリリの琴線揺らしちゃったんだよきっと。そう言うのって本人にしか分からない感覚的なものなんじゃないのかな」

「なんだか嫌です。あんな一方的に気に入られるの」

「マリリの特別になりたくないんだ」


 すっと胸に差し込まれる鋭い言葉。

しまった、つい人当たりの良さで喋ってしまうものの、この人も百戦錬磨の悪魔の眷属だった。何か僕の様子から気付いたのだろう。


「今の言葉で傷つきました。帰ります」

「うわ、ごめんごめん。いや、でもなんだかマリリが気に入るのも分かって来たよ。マリリ、そういう趣味あるから」

「なんですかそれ。代わりの人を用意してくださいよ」


 吉野さんはそれは無理だね、とでも言いたげに笑う。


「今は過去最高に綾野君がお気に入りみたいだから難しいかな。理由は見当がつくけど、その辺りは本人に聞いてよ。乙女の秘密だからさ」

「乙女って。悪魔の間違いでしょ」


 不満はいくらでも漏らせるけど、さすがにこれ以上言うのも良くないか。担当アイドルを悪く言われるのも気分悪いだろうし。バランスをとる為に少し褒めておこうかな。


「……まあ少しだけありがたいですよ。アレくらい強引に連れ出されないと縄張りから出ないタイプなんで。……あ、これは言わないで下さいよ」


 吉野さんは愛想のよい笑みを浮かべると頷き――、見覚えのある会議室に通された。


「やっほーアヤノン。マリリの内臓こと茉莉花ちゃんだよー」


 ぶかっとした恰好の霧江茉莉花、マリリが居た。ああいう服が好きなのだろう、前見た時もビックシルエットの服を着ていた気がする。巨乳を誤魔化したいのかもしれない。


 マリリはどことなく空元気に見える可笑しなテンションだけど、こんなものだったような気もする。見たところ目がバッキバキには見えないけれど、体力が回復する事があったのだろうか。


「今日は画面越しじゃないんだ」

「もう会ってるわけだし。なんなら普段からこうして眷属たちとも会いたいけどそういうのって違うみたいだからねー」

「そりゃあね。またトラブルがあっても困るし」


 吉野さんが窘める。

 ま、三次元を楽しみたい人と二次元を楽しみたい人は別なのだろう。僕も昔、中古で買った古いゲームソフトの説明書の最後に声優の顔写真付きプロフィールが載っていて冷めた経験があるし、何事も適切な距離があってしかるべきなのだろう。……本来は。


「だから、こうしてファンであるアヤノンと会えるのは嬉しいよっ」


 眩しい笑顔が向けられる。

 こうも『陽』の雰囲気を向けられると相手がマリリとはいえ心が少し温かくなる。もう諦めてマリリの気が済むまで相手しよう。そんな諦めの境地だ。敵わないといってもいいかもしれない。僕は本気で人を突き放す事なんて出来ないのだと最近のアレコレで理解できたし、悪ぶって自傷するよりは流れに身を任せて傷ついた方が楽そうだ。


「僕もなんだかんだ会えて嬉しいよ」


 所詮は一般男子高校生。悪魔に対抗するなど無駄なのだ。今日は斜に構えず、マリリ係の役をこなしてみよう。


「へ?」


考えれば一分くらいであればマリリと会うのは悪くないのかもしれない。なんというか、彼女の明るさは人に元気を与えてくれる。無論、過ぎたるは毒だけども。


「おかしいなぁ。ここは『別にオレは嬉しく無いし』とか言うんじゃないの。なに普通に微笑み返してるの。ツンデレをくれよぉ」

「人をなんだと思ってんだ。そもそもマリリの事を本当に嫌いなら来ないよ」


 好きでもないけど。普通よりの嫌いといったところだろうか。この辺りは言わぬが花。前回の反省から今日はなるべく優しい言葉をかけるように心がけよう。


 うん。今日の目標は人に優しくだ。


こうして些細な善行を積んでいけば良いことが起こるのかもしれない。物は試しだ。


「……ゴクリ。ふぅん。まあ? そういうお世辞はそのまま受け取っておきますけども」

「くくっ」


 後ろで吉野さんが笑っている。


「それじゃあ後は任せたよ。あと、一応ここでの話はオフレコで」

「もし言ったら、マリリと会えなくなりますか?」

「そうなる……いやいや、会わなくて済むのなら言っちゃおうかなじゃないからね。本心は会えなくなりますか? じゃなくて、会わなくて済みますかだったよね」


 流石に鋭い。


「冗談ですよ」

「いやいや頼むよほんと。後ろのマリリが凄い表情でコッチを見てるんだから」


 吉野さんはそう言って去っていく。


「んじゃ邪魔者が去った所で、茉莉花ちゃんの事を大好きなアヤノン、これを見てみ?」


 会議室の机の上に並べられたものを紹介するマリリ。


「マリリフィギュアが、3つ?」

「そう。いちファンの意見も聞きたいなと思ってさ。原型師の人に依頼して作って貰ったんだけど。どう?」


 そう言われて改めてじっくりとマリリフィギュアを眺める。質感から言って3Dプリンターで作られたものっぽいけど。それぞれ衣装が違って、表情も違う。大きさは二十センチくらいと一般的なフィギュアの大きさ。どれも甲乙つけがたい可憐さで良いモノだとは思う。


「どれも良い。これ、今までのマリリちゃんの衣装か。けど……」


 僕の中でマリリフィギュアといえばやはり真野先輩のフィギュアが一番だ。


「ちょっとこれ見て」

 僕は背負っていたリュックから準備していた二つの内の一つ、大きめの箱を取り出す。その中にはバラバラになったマリリ。


「あーそれって」

「真野先輩の作ったマリリ。一応パーツを処理して磁石をつけてるから、すぐ組み立てられるんだけど」


 そう言ってオフィスチェアに座り、マリリフィギュアを組み立てる。


「おお。やっぱいいよね、このマリリちゃん」

「本人より可愛いからね」

「おん?」

「フィギュアを見せてくれるって言うから一応持ってきたんだけど。ほら、このあいだ店にあったヤツは真野先輩が色を塗った後のだったからさ。改めてこのフィギュアの造形美を見てもらおうかなって。真野先輩は凄いんだよ、ここの意匠もしっかり立体的に作り込んであって」

「センパイのこと好きなんだ」

「ほどほどに」

「ほーん、へぇ。そーなんだぁ」


 正直、僕は真野先輩をかなり尊敬している。余計なお世話かもしれないけれど、隙あらば真野先輩の作品を推していきたいと考えているほどで。その為にはせ参じたと言っても過言ではない。


 本人が喜ぶかは微妙な所かもしれないけれど、それでも。真野先輩が褒められている姿を見たいと思ってしまうのだ。つまりは、厄介信者なのだ。マリリを踏み台にして、飛び立ってくれ真野先輩!


「そのマリリフィギュアがどういう風に発売されたりするのかは知らないけど、二万くらいのフィギュアなら、コレが一番だと思う」

「だねー。なんというか愛を感じる。髪の毛の細さとか凄いし。まあ残念ながら今回はクレーンゲームで取れるプライズフィギュアだから、ここまで複雑なのは無理かもだけど」

「そっかぁ」


 さて、もう帰るか。マリリの相手も十分した気がするし。解散解散。


「シュンとした……。だ、大丈夫、これはこれで考えている!」


 そんな話をしながらつい真野マリリフィギュアのスカートを覗いてしまう。なんだろう、本能的な動作な気がする。


「アヤノン、本人の前で本人のスカート覗くかい普通」

「フィギュアのスカートって不思議な事に覗いた後に、あ、覗いたなと気が付くんだ」

「気持ちはわかるけどさ。ショーケースに飾られているフィギュア見るとつい下からもみたくなるけど、いざ目の前でやられるとマリリちゃんの内臓としては複雑な気分だよ」


 そういうものなのだろうか。


「でもプライズフィギュアか。あんまり詳しくないからなぁ。コレでいいんじゃない?」


 机に置かれたマリリフィギュアの中、一番右側に置かれたモノを指す。


「どうして」

「一番最初の衣装だったと思うから。ファンの人は欲しいかなって」

「そういうもん?」


 マリリの配信はつい最近見始めたものの、マリリの衣装に関しては真野先輩がフィギュアを作っていたので結構知っている。


「僕、収集癖あるんだけど。ファンの人ってこういうの順番に集めたくなると思うんだよね。他の二つはオリジナルの衣装っぽいけど、思い入れあるのはマリリちゃんが実際に着てる服だろうし」


 某ミクさんなんてかなりの数のフィギュアが出ているものの、何だかんだ初期衣装が人気だったりしてガレージイイダでもよく入荷している。ロボットアニメなんかでもどうせ集めるなら前期のものから欲しくなるらしい。らしい、というのはロボット好きな妹が言っていたからなのだが。


「そっか。アヤノンが来る前にやってた会議でも似たような事を少し話したけど、ファン側の人がそう言うならコレにしよっかな」

「ファンではないけどね」


 真野マリリのファンなだけであって二次創作マリリのファンでは無い。


「うん。いいと思う。他人事ながら、楽しみだね、こういうの」


 つい表情が和らぐ。


 ここからこのフィギュアが工場で生産されて着色されて梱包されてゲームセンターに並ぶのかと思うと、なんというかワクワクする。やっぱり、眠くて面倒くさくても来て良かった。貴重なものが見れた気がする。いつかフィギュアの工場見学もしてみたい。ああいう大量生産を行う工場の動画とか好きなんだ。


「…………」


 マリリが珍しいものをみるように僕を見つめている。


「なに?」


 そう聞くと、大きい目がパチリ、一転して僕から視線を逸らした。なんか今、瞳孔が開いていたような。


「ん、別に。なーんでも無いけど。あ、それ飲む? バナナジュース。まだ冷えてると思うけど」


 感情を抑える様な声と共に机に置かれていたバナナジュースのカップを渡される。


「ありがとう」


 ストローで一口飲むと濃厚なバナナの甘みが口の中に広がった。


「美味しいね、これ」


 頬がゆるむ美味しさだ。どこのやつだろう。


「いやあ。高校生とはいえ少年なんだよなぁ。まずいよなぁ」


 何を言っているんだこの悪魔。また生唾飲み込んでるしなんだか先ほどから様子がおかしい。いや、そもそもおかしい人ではあるけれど目の焦点が合っているようないないような。


「はぁはぁ、キュンキュンするんじゃあ。ねえアヤノン、キッスしていい?」


 発情してる……。


「わたし、実は小さい男の子好きなんだけど。高校生も良いかもって今思っちゃってる、どうしよう! わたし、やばいかも!」

「ひぃっ」


 この女、人を何回ドン引きさせれば気が済むんだ。


「すまんアヤノン。天井の染み数えている間に終わらせるからさ。ね。ドンピシャなのが悪いんだから」


 マリリはじりじりと寄って来ると目にもとまらぬ速さで僕を押し倒した。間近で見て気がつく。あなた、瞳孔ひらいてませんか?


「はぁはぁ」


 仕方ない、出来ればこれは使いたく無かった。というか使う機会がまさか来るとは思わなかったけれど。仕方あるまい。ポケットに手を伸ばし――。


 ビイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!


 僕は準備しておいた二つ目、妹の防犯ブザーのヒモを引き抜いた。



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