よけいなお世話
机にノートと参考書を広げたまま、聞き逃したグレゴリーのオールデイジャパンをタイムフリー機能で聞く。昼間に聞く深夜ラジオというのも悪くはない。普段は据え置きタイプのラジオで聞く習慣があるものの、こういう時はスマートフォンのアプリが便利だ。
『ラジオネーム……、こいつ何通送って来てんだよ』
『よっぽどTシャツが欲しいんですかね』
『えー、ラジオネームふぐり。葬式あるあるはどうしても思いつかないのですが、Tシャツだけ頂くことは出来ないでしょうか……ふっ、バカ野郎。あげませんっ』
『潔いですが駄目ですね。もう七月に入りますからTシャツが欲しい方はふるってメールをください』
『えー、続きましてラジオネーム――』
駄目だったか。ワンチャンスを期待したものの、現実は甘くなかった。葬式あるあるネタ難しいよ。なんにも思いつかなかった。
「ふぅ」
集中力が切れたところで世界史の参考書を閉じる。
楽しい焼肉パーティーから一週間が過ぎた。いよいよ七月に入ろうとしているけれど空模様は相変わらずのジメジメとした曇天。梅雨明けはまだ先みたいだけれど、期末試験は明日の月曜日から。最後の追い込み時だ。
追い込み時、なのだけれど。
チラッとスマートフォンに目線が移る。
……あれから何度かアンジェに連絡はしたものの、返事がくる様子はない。
あんな女、放っておきなよと脳内の悪魔が囁き、彼女にも事情があるのですと脳内の天使が嘯き――。あんな女、放っておきなよともう一度脳内の悪魔が囁く。
思い返せば僕ではどうしようもないことを言われた気もするし、このまま縁を切ってしまうのが一番なのかもしれないけれど。
「……」
会わないにしてもああいう別れ方はどうにも気持ちが良くない。僕が好かれる嫌われるはこの際どうでも良いとして。どうにか、スッキリと終えられないだろうか。
もしかしたらこのモヤモヤも時間が解決するのかもしれないけれど――。
アンジェが僕に光を見出してしまったのならば、行く先くらいは照らしてやりたい。一人でジメジメしているアンジェは見たくない。アンジェの素が何処にあるのかは今やわからないけれど、初めて夕飯を作って貰った日、なぜだか懐かしい香りのシチューを出してくれた日の穏やかな顔をしたアンジェもきっと――。
記憶の中の何かにアンジェが重なる。
「……マリリの言う通りかもな」
ありがたい助言を唆されたから自分の中の気持ちはなんとなく理解出来た。僕の事は僕よりもマリリの方が詳しいのかもしれない。
それに時間もあったから、アンジェの状況をどうにか出来そうな手段も一つ考えた。あとは、そのカードを場に出す勇気と最適なタイミングだけ。
「……はぁ」
勇気はともかくタイミングなんて、昔から間の悪い僕に分かるわけも無いか。
曇天を眺めながら外へ出る。アンジェに会いに行こう。
・・・
やれやれ。
僕という奴はまっすぐ教会に行く勇気が湧かず、バックスターカフェまで足が伸びてしまった。
もしかしたら機嫌の良いアンジェがいるかもと思った自分が我ながら情けない。
ホイップたっぷりのラテを飲む気もおきないし、コーヒーを飲むならもうちょと落ち着いた店の方が好みだし。
よし。今日の所は出直そうかな、と戦略的撤退を決めると。
「ん?」
バクスタから出て来た来た人と目が合った。
その人は吉野さんでもマリリでも、アンジェでもなく。
「……はぁ」
ため息をついたのはアンジェの後見人。名前はたしか、ルチア・なんとか・ブラウンさん。以前教会ですれ違った人だ。
ルチアさんはホイップたっぷりのラテが二つ入った袋を持っており、ちょいちょいと手招きされる。
「レイ。いいですね、私がここでホイップたっぷりのラテを買っていたと誰にも言ってはなりませんよ」
名前をしっかり憶えられていた。
「見られるのが嫌なら買わなければいいのに」
「親に似て素直に頷かない子ですね」
リリーのことだろうか。
「生徒が話していたのを思い出したので、車で近くを通ったついでに買ってみたまでです。まったくこんな甘そうで堕落を思わせる味を好むなどと……」
そう言いながらルチアさんはラテを一口飲むと「悪くはありませんね」と呟いた。
「近所に住んでるんですか?」
「いいえ。教会に用があっただけです。業者に頼み、正式に取り壊しの是非を確認しました」
「あー。そういう」
ルチアさんは口についたホイップをハンカチで拭う。
この様子だと取り壊しの段取りも決まったのかもしれない。
あのシスター、どれだけ巡り合わせが悪いんだろう。そしてその不運が蓄積した状態のアンジェを突っついて大爆発させた僕という奴は……先行きが不安だ。
「……」
ルチアさんにジッと見られている事に気がつく。
「いえ。貴方のお母さんであれば『どうにかならないんですか』と言ってきただろうなと思っただけです」
それは懐かしむような視線だった。でも、リリーがそんなこと言うかな。
「あの教会、確かにボロイですから。僕が言う文句なんてありませんよ」
「日本は地震が多いですから。使われない教会をいつまでも残しておくわけにもいかないのです。取り壊しは年末か年度末か。……それよりレイ。何か飲み物を買ってきなさい」
ルチアさんは器用に片手で長財布から千円札を取り出し、僕に渡した。
「ホイップたっぷりの口止め料ですか」
「アンジェリカに私が買っていたと言ってはなりませんよ」
バクスタでアイスコーヒーを買い、停めてあったセダンの傍で待っていたルチアさんにお釣りを渡す。
「ごちそうさまです」
「行儀は良いようですね」
査定されているような気がして背筋が伸びる。
「あの、教会取り壊したらアンジェは、どうするんですか」
「学園にも宿舎があります。あの子に教会は必要ありません」
「大事な場所って、言ってましたよ」
つい言葉に力が入ってしまうと、ルチアさんはふぅとため息をつき静かに僕を見つめた。
「やはり似ていますね。当然と言えば、当然ですが。特に目元が」
「……?」
ルチアさんが僕を通して誰かを見ている。
貴方のお母さんと言っていたけれど――それは。
「いつか、学院に遊びに来なさい。夏生の写真もまだ残っています。調理部の時に」
夏生。
その単語を聞いた瞬間に『夏に生まれたから夏生。安直だよねー』という何処かで聞いた懐かしい声がフラッシュバックする。
思い出せない、思い出さなかった記憶が蘇る。
僕の、お母さんの名前。
「思えば夏生とアンジェリカ。顔立ちも声色も、少し似ていますね。……だから私も、あの子を引き受けたのかもしれません」
そう呟いたルチアさんに返答する余裕もなく、ただ頭の中で情報を咀嚼する。
「レイ」
名前を呼ばれ、目の焦点がルチアさんに合う。
「アンジェリカと、友達になってくれますか?」
『どうする、お友達になってもらう?』
似たような言葉をかつてリリーに言われた。
頭がくらくらする。
まるで二人の母親にこんなところで何をしているのかとせっつかれているような気分だ。
「……もう、友達ですよ」
どうにかそれだけ言い返すとルチアさんは「ありがとう」と言葉を残し、セダンの後部座席に乗り込み去って行った。
まるで教会に行くことを躊躇った僕を窘めるような出会い。
この思わぬ出会いが『誰の』お導きなのかは知らないけれど――鬱陶しいんだよ。 肝心な時に居ないくせに縁で紐付けて、わざわざ昔話を掘り起こしてせっつくな。
友達に会いに行くのに、そんなお膳立てはいらない。
ただちょっと、またアンジェに怒られるのが怖くて足が竦んでいただけだ! 今行こうと思ってたんだよ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます