私の天使にラブソングを


 教会に辿り着く。

 改めて見るまでもなく古びた教会だ。

海外の寺院の天井が地震で崩れた映像をテレビで見た事があるけれど、ああなってしまっては神の威光が陰るというもの――なのかもしれない。


 夜が明けて朝がくるように。梅雨が明けて夏がくるように。

 建物もいずれ朽ちていく。

 これは彼女の運が悪いのではなく、間が悪いだけなのかも――。

 いや、それにしても運が悪いのは間違いない。悲劇というよりも喜劇のように散々な目に遭うアンジェをもし性格の悪い人が見れば思わず笑うだろう。

 お前どんだけもってないんだよ、と。


 なんとなく教会の中には居ない気がして、雑草の伸びた敷地を半周ほど歩けば。

大きな木にかけられた手作りブランコに座るアンジェが見えた。

 ぼんやりと空を眺めるアンジェの視線がスッと僕へ向くも、特に反応はなく再び視線は暗い雲へと吸い込まれていった。

 彼女へ近づこうと一歩前へ進むと。


「駄目です。私なんかに構ってはいけません。嫌な思い、したでしょう?」


 と、制止の言葉が聞こえた。

 正式に教会の取り壊しを伝えられた直後だ。今のアンジェに近づけば先日の二の舞だろう。

 けれど、それに構わず足を進めると小さなため息が聞こえた。


「来てほしくない時に、なんで来ちゃうんですか。もう少し時間があれば、優しく微笑んであげるのに。この前も、私の連絡をしっかり見てくれていれば、私は今日もアナタと英語のお勉強をしていたのに。のこのこやって来るから、言いたくて堪らなかった本音をぶちまけちゃったじゃないですか。すっごく気持ちが良かったです」


 暗い緑の瞳には昏い喜びが浮かんでいた。


「私、運も悪ければ、タイミングも悪くて、その上……性格まで悪いんです。ねえ、礼さん。それでもまだ、私のことが好きですか?」


 ニコリと微笑まれ、思考が止まる。なんで好きってバレてるんだ。


「礼さんはね。優しくて、穏やかで、面倒を見てくれるお母さんみたいな人が好きなんです。つまり、普段の私です。ほら、言ってみてください。アンジェが好きだって」


 露骨なお膳立てに抗えるわけもなく、口が開く。


「アンジェが」

「私はアナタのこと嫌いです」


 あ、気絶しそう。


「大嫌いです。消えてくださいマザコン!」

「うっ」


 確かに無意識のうちにアンジェに『重ねて』しまっていたかもしれないけれど、余りにも強烈な追撃にノックアウト寸前だ。


「嫌い嫌いっ、アナタがいては、私は惨めで堪らない。レイは私より下じゃなくちゃいけないのにっ」


 涙を堪える様に眉間に皺を寄せるアンジェの顔が見える。


「だって、神様を信じないアナタが救われて、神様を信じる私が救われないだなんて……そんなの報われないじゃないですか。どうして、私は……」


 微笑みはとうに消えて。

 僕という心のよりどころ、神父という心のよりどころ、教会という心のよりどころ、ゴッズシスターという心のよりどころ。全て失くして。

 祈らずとも幸せに見える僕の存在で、信仰すら揺らいでいる。

 きっと。この問題をどうにかしないと、どんな言葉もアンジェには届かない。


「アンジェ――」

「私に、期待させて、夢を見させて、話すのだってたくさん待ちました。いつかアナタに会った時に聞いてみたい事があったから日本語だって覚えました。ずっと、ずっと聞きたいことがあったんです。他でもないあの男の子に、レイに……。でも、こんな言葉覚えなければ良かった。こんな国に来なければよかった。ずっと、暗くてジメジメした場所にいればよかった。大事な場所も思い出も、全部壊れちゃったじゃないですか」


 遠雷が響く。

 曇天は今にも雨を吐き出しそうだ。

 風が強く吹きアンジェの髪を揺らすと暗い緑の目には強い意志が灯り、僕の事をじっと捉えて離さない。


「――最後に。私の問いに、答えてくれますか?」


 有無を言わせぬ迫力に、諦観にも似た思いで頷く。

 ここをどうにかしなければ、この先の話は出来無さそうだ。


「よかった。これでスッキリします。もう、楽になりたいんです。私の望む答えを言ってくれたら抱かせてあげます」


 あまりにあんまりな発言だ。

 きっと複雑で難しい事を聞かれるのだろう。


「では、質問です」


 ポツリと雨粒が落ちる。


「貴方は、神を信じますか?」

 

 なんとも、簡単な質問だった。


・・・


 降り始めた雨をアンジェは気にする様子が無い。

 イギリス人は傘をささないってテレビで見た事があるけれど、どうやら本当らしい。


「早く答えてください。風邪をひきますよ」


 想定外の質問だったけれど、アンジェが求めている答えはすぐにわかった。

 ただ、それを教会に住むアンジェに伝える。

 それはなんとも気が重いけれど……意を決して口を開く。


「神様はいるよ」


 それが僕の答えだった。

 世話になった憶えは無いけれど。かと言って否定するほどのものじゃない。

 居ても居なくても、僕には縁が無いだけだ。

 けれど、アンジェはお気に召さなかったようで――。


「ふっ、はは、死んでください。私も一緒に死にます」


 心の底から落胆したように嗤う。

 アンジェは死んで生まれ変わってくれた方がこちらとしても好都合だけれど。自暴自棄に僕を巻き込むのはやめてくれ。


「そんなに、私を抱きたく無いんですか。金髪じゃなくて、青い目じゃなくて、型遅れのスマホを使っている女はそんなに嫌ですか。ショートカットの胸の大きな女が好みですかっ。もう一度、チャンスをあげます。二択問題なんですから間違えないでください。神様は――」

「神様はいるよ」


 縋る様な表情を拒絶する。


「アンジェは、捨てる神様に愛されてる」

「――ぁ」


 声にならない音が聞こえた。

 暗い緑の瞳が見開かれ、やがてボロボロと涙が流れはじめる。


「親に捨てられて、親戚にもたらい回しにされて、頼りの神父には先立たれ、バーチャルの身体は死んで、棲み家は取り壊される。アンジェは見捨てられるのが得意だね」


 アンジェは瞬きもせず僕の言葉を聞き終えると。

 心底傷ついたように、はは、と息をもらした。


「きっと、そういう神様に愛されてるよ」


 そう告げるとアンジェは不安定に泳ぐ目を伏せ――。ようやく救われたかのように笑みを浮かべた。


「なぁんだ。間違ってたのは私なんだ。ずっといないと思ってたのに。……いたんですね」


 アンジェは空を眺め、深いため息をついた。


「そっかぁ。私、は、ふふ、納得しちゃった。レイは酷いこと言うね。なんで、いないって言ってくれないの。それで、終わったのに」


 もう、これ以上の言葉は必要ないのかもしれない。安堵した様子のアンジェを見るとそう思ってしまうけれど。まだ、言いたいことは尽きない。


「そして、いくら祈ってもアンジェを救う神様も現れない」

「……それ以上、言わないでください」


 アンジェが僕の言葉を遮る。


「優しい神様も現れない。慰める神様も現れない」

「神様はっ、そんなに沢山いませんよ」

「でも、拾う神様はいた」

「だから……え?」


 僕も、神さまを探したことがある。


「『ここは日本、数え切れないほどの神様がいる』って自分で言ってたろ」

「なにを言って」

「アンジェを見てくれている神様もきっといるよ」


 僕は結局見つけられなかったけれど。でも、自然霊みたいな、たとえば……妖精だとかも。この国では神様として誰かを救う事もある。


「拾う神様は忙しくて、代わりに神父さまが寄こされたみたいだけどさ……。アンジェの祈りも拾う神様には届いたんだ」


 アンジェの瞳が追憶に揺れる。


「そして人が神様の代わりになれるなら。救う神様の空席には僕が座る。アンジェが信じてくれるなら、どうにか力になるよ」


 アンジェに手を差し伸べると。

 不思議なものを見るように、理解しがたいものを見るように僕の手を見つめる。まるで子供のような表情を浮かべるアンジェは「ああ、そうだったんだ」と納得したように呟き僕を見上げると。

 

「……寂しいとき。祈ったら、迎えに、きてくれますか?」


 そんな、答えるまでも無い事を聞いて来た。


「まあ。時間があれば」

「ばか!」


 涙なのか雨なのか、アンジェの顔はグシャグシャに濡れている。


「…………どうして、この手が、お母さんじゃないの」


 雨の勢いが強くなり、アンジェの小さな言葉を掻き消すけれど――はっきりと聞こえた。

 きっとアンジェは自分を置いて行った『お母さん』に手を引かれたかったのだろう。

 ずいぶん拗れてしまったけれど、神様だなんだなんて本当は関係なくて、子供の頃から寂しかっただけなんだ。

 それだけのことだったのに。それだけで、救われたのだろうに。本当に望んでいるものはもう無いから苦しかったんだ。


 僕ら、似た者同士だったんだ。


 雨が服に染み込み、身震いする。これは本当に風邪をひくかもしれない。でも、今はもう少しだけ、恰好をつけないと。

 よろよろと伸びてきたアンジェの手が僕に触れ、強引に立ち上がらせるとアンジェの瞳が至近距離に近づく。


「っ、ぁ」


 するとアンジェは急に意識がはっきりしたようにアタフタとし、一歩二歩と遠ざかった。


「あ、その。ど、どうやって救うと言うんですか。五十六点の高校生のくせに。捨てる神様の愛を受ける私を。それに――もう救いは必要ないかもしれませんよ。ためしにアナタがずっと傍にいればいいじゃないですか。バカみたいなこと言って。バカ、ですよ、何が空席ですか」


 元気にひとしきり言い終えると、アンジェは諦めたように呆れたように、普段の表情を僕に向けた。


「もう、急にへんなこと言うから。悲しいことも、苦しいことも、薄れちゃうじゃないですか。浸れないじゃないですか」


 あまりにも馬鹿げたことを言われて、毒気が抜けたのかもしれない。

 今なら、アンジェの『これから』についての言葉も届きそうだ。


「こんな私を……どうやって、助けるっていうんですか?」


 助ける。

 それは僕一人では荷が重いかも知れないから――僕は悪魔と契約したよ。


「生まれ変わってやり直せばいい」 

「死んじゃえってことですか?」

「ふっ、ふふ」


 あまりのネガティブ思考に笑ってしまう。


「なに笑ってるんですか」


 ムッとした表情を浮かべるアンジェ。


「あ、いや違うよ。いっそ生まれ変わって懺悔室も作り直して、バカみたいに金を稼げば。この教会だって直せるんじゃないのかってこと。そうすればアンジェが失くしたモノ、全部は無理でも、きっと取り戻せる」

「無理ですよ、私には何の力もないんだから」

「力はあるよ。アンジェの懺悔室を楽しんでくれた人だっているんだから。応援して、認めてくれる人もいると思うよ」


 だからこそ、この手段を取れるとも言う。身近なところにファンはいるものだ。


「……認めるのなんて一人でいいですよ。なにするつもりですか」


 ポケットからスマートフォンを取り出す。


「もう一度。アンジェが楽しいと思える世界に行けばいい。アンジェ先生、バーチャル業界で一番有名な会社はどこですか?」

「はぁ。それくらいは、知っています。ラインオーバーかペイントパレットでしょう」


 アンジェとはいえそれくらい知っているらしい。それなら話が早い。大きな事務所の利点も十分に理解出来るだろう。


「この電話をかければペイントパレットのバーチャルデーモン、マリス・リリス・リードに繋がります。話は通してあるからすぐに新しい身体が手に入る。こういうの、そっちの業界で転生って言うんだろ」


 アンジェは考えが纏まらないみたいで、まばたきをパチパチと繰り返す。


「な、なんで、そんな人と知り合いなんですか」

「色々あって僕のストーカーしてるから」


 緑の瞳が何かに気がついた。


「キリエ……ですか。ふ、ふふっ。私を助けるからって、悪魔と契約しちゃったんですか、どんな冗談ですかそれ」

「残念ながら冗談では無いんだな。所詮は五十六点の高校生だしさ。出来る事は限られてるんだよ」


 アンジェは僕を見つめながら苦笑する。


「キリエの名を持つ悪魔の力を借りろだなんて、背信とも言えるひどい冗談です。私がどれほど主に祈りを捧げて来たと思っているのです。こんな時に悪魔だなんて……。私を迎えに来てくれたこの手だけで十分なのに」


 雨で冷えた両手が僕の手を包み込み、ようやく笑ってくれたはずのアンジェの瞳には再び大粒の雨のような涙が浮かぶ。

 そうして、しばしの逡巡の後、アンジェは頷いた。


「――キリエと礼さん。どうかバカで哀れで惨めな私をお救いください」

「そのつもりだけど。僕に出来るのはここまで。あとはマリリがやるよ」

「ひどい女たらしです」

「まあ、そうなるか。言っておくけどアンジェの頑張りしだいだから報われる保証はないよ」


 神様の席に座るなどと大層な事を言ったわりに、出来た事と言えば悪魔に『なんでもする』と言ってお願いしただけだ。はたして何を要求されるやら。


「……もう、報われましたよ」


 アンジェの小さな声が、雨に阻まれつつも耳を打つ。


「ねえ、どうして、私にこんなに親切にしてくれるんですか?」


 何かを期待するような視線に、ピンとくる。

 これは、マリリに習ったところだ。


「アンジェの事、女の子として好き――かと思ってたんだけど」

「ん?」

「自称恋愛マスターに聞いたら『あー、それ友情! まごうこと無き友情! 間違いないっ』って言われて。僕もアンジェに母親重ねてたり、シンパシー感じてた事に気がついたから。そういうの色々混じってアンジェは特別なんだと思う。だから、かな」

「……罪深い」


 アンジェがボソリと呟く。


「はぁ。まあ、特別というのなら今日はそれでいいです。とりあえず聖水でも用意します。あと、礼さんは救いの神になんてなってはいけません。神様は平等でなくてはならないのですから。せいぜい、メッセンジャーがお似合いです」

「メッセンジャー?」


 アンジェは僕の手を握ったまま、瞳を閉じ、祈る手にコツンと頭をつけた。


「大切な言葉を、届けてくれましたから。冗談みたいな組み合わせですけれど。この幸福に感謝する大切な祈り。今なら、もう一度、今までよりも心から祈ることが出来そうです」


 僕の問いに穏やかな声が返ってくる。


「主よ、哀れみたまえ。これをキリエ・エレイソンと言います」


 キリエ・エレイソン――霧江と……。

 それは確かに冗談のような響きだ。


「主よ、この翼のない天使を遣わせていただき、深く感謝いたします」



・・・



 翌日からの期末試験当日。

すっかり風邪を引いた僕は高熱を隠して学校に行ったものの、小林と大場と横浜さんにつかまり、即刻帰宅させられ――結果数日寝こみ。

全教科再テスト、そして補習授業が決定した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


読んでいただきありがとうございました。日曜日にエピローグです

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