アンジェさんとお喋り

「いやあなた人の心の傷がっつり抉ったじゃないですかっ!」


 教会の礼拝堂にアンジェの声が響く。

 長椅子に並んで座り、最近あったかくかくしかじかを全てアンジェに相談したところ、キレの良いツッコミを頂いてしまった。


「アンジェは丈夫じゃん」

「なんですか丈夫って。私に打たれ強いイメージないでしょう」

「そもそも先攻はアンジェだったし」

「うっ」


 突かれたくないポイントだったのか、アンジェが気まずそうに胸を抑える。


「で。何か良い案ある?」

「急に言われても困りますよ。その程度のいざこざ、私にとっては前菜みたいな感じですし。女子校で舌の肥えた私が満足できる軋轢じゃないと興味も沸かないというか」

「敬虔なシスターは言う事が違うなぁ」


 と褒めるとアンジェは威圧感のある笑みを僕に向けた。


「というか、なにか、隠してません? ほんとに仲直りさせたいだけですか? もっと悪いこと胸の奥にしまってませんか?」

「アンジェじゃないんだから」

「……まったく。久しぶりに会いに来たかと思えば」


 アンジェがぶつぶつと小言を漏らす。

 久しぶりといってもせいぜい一週間か十日ぶりのはずだけれど。


「そんなことよりテストはどうだったんです。良い点は取れましたか?」

「お陰様で。五教科は満遍なく悪くはないはず」

「それは良かった。次は悪くないではなく、良かったと言えるように頑張りましょうね」

「……はい」


 しまった、テストの復習をするように言われていたんだった。まだ何も手をつけていない事がバレないようにしないと。


「それで、……今日は食べていきますか?」

「え? うん」

「わかりましたっ。残り物ですけど、すぐに用意します」


 考える間もなくつい頷いてしまった。しまったな、妹の晩御飯どうしよう。キッチンへ向かうアンジェの背中を見送りつつ考え……。


「アンジェー、妹呼んでいい?」

「いいですよー」


 特に気にする様子もなくアンジェは了承する。

 スマートフォンを取り出し、妹に位置情報を送信。すると頭に?マークを浮かべたクマのスタンプが連投される。

 どう返信するかなぁと考えていると、マリリが買ってくれたボイス付きスタンプがあった事を思い出す。


『いっただっきまーすっ』


 このタイミングに丁度良いスタンプを送信し『夕飯』と追加でメッセージを送る。

 すると、ポン、ポンとメッセージが飛来。妹の、エリオットの公式スタンプがプレゼントされた。そして『今から行く』と送られて来た。


「よし」


 ふぅ、と息を吐き、暗い天井を見上げる。

 長椅子の直ぐ近くには扇風機が置かれており教会の雰囲気には合わないものの、ふわっと過ぎていく風が心地よい。おそらくアンジェが長椅子で寝転ぶために持ってきたものだろう。

五分か、十分か、だいたいそのくらいの時間ぼうっとしていてるとストレスが抜けていくような気分になる。

 遠くから聞こえてくる包丁の音も耳に優しい。


「……」


 なんというか、やっぱりアンジェがいると安心する。

 それに――この場所も、落ち着く。

 誰も彼も神も現れない、心霊現象に見放された空間。ここであれば幽霊が現れる事も無いだろう。


 夏と言えば怪談の季節。寝込んでいる時に妹が見せてきた映像を思い出してしまう。苦手なんだよなぁ幽霊。

 ああいやだいやだ。でも、こんな如何にも出そうな場所で何も起きないのであれば、やっぱり幽霊はいないのかもしれない。

 そう定まってくれれば……安心する。


「……レェ」

「ひっ」


 ヒンヤリとした腕が首に回され情けない声が口から飛び出る。


「あははっ、びっくりした?」


 いつの間にか妹が音もなく僕の真後ろに現れた。


「エリ……はぁ、早いな」

「おかあさんのロードバイク乗ってきた」


 妹は僕から離れるときょろきょろと周囲を見渡す。宇宙を閉じ込めたかのように煌めく瞳に映る光景は果たして僕と同じなのだろうか、もしかしたら変なものが視えているのではと疑問も浮かんだが。


「てんじょー、たかっ」


 と、あまりに普通の事を言うので「そうだね」とだけ同意しておいた。


「ねー、ここってなに?」

「見ればわかるだろ」

「みても、誰もいないよ。教会なら幽霊くらい居そうなのに……あれ? レーの後ろに」


 妹が何も無い空間へ視線を向けると、空気も冷えたかのようで――。


「なんちゃって、あははっ」

「うわっくっつくな」


 妹にのしかかられ兄妹でバタバタしていると――。


「……インモラル兄妹」


 アンジェの冷ややかな声が聞こえた。


「あ」


 バッと妹を離すも、アンジェの僕を見る目は変わらなかった。


「仲が宜しいことで」


 アンジェの緑の瞳が妹にズレる。


「はじめまして。アンジェリカ・スコラスティカ・コーネルと言います。ようこそいらっしゃいました」

「あ――、うん。えっと、その。エリーゼです。十三才の妹です」


 妹が僕とアンジェの間で視線を彷徨わせつつ自己紹介をした。

てっきり「エリーゼですけど何か?」とでも言うかと思ったが。なぜかモジモジしている。もしかして綾野兄妹揃ってアンジェに弱いのか?


「レー」

「あぁ、うん、今日はアンジェが夕飯作ってくれたんだ」

「ここで勉強教えて貰ってたの?」

「そうだよ」

「……きょかする」


 しおらしい。


「ふふ、礼さんから聞いていたイメージとは少し違いますね。エリさん、どうぞこちらへ」

「うん」


 妹はアンジェの後についていく。

 なんだなんだ、心霊現象よりも奇妙なことが起こっているぞ。


「ねぇ、スコさん。この小さいのなに?」

「すこ、アンジェでいいですよ。ええと、これは告解室……」

「こっかい?」

「お悩み相談室です」

「お悩み……使うの?」

「今はお休み中ですが、興味ありますか?」

「――あるダメな兄について話が…」

「ふふっ、それはそれは。私たち、仲良くなれそうですね」

「っ、うん!」


 あれ。なんだか疎外感を感じる。

 


・・・


 夕飯をご馳走になり、トランプで遊び、時刻は二十時前。

 妹は未だにアンジェに対して戸惑うような興味があるような態度で僕の後ろに隠れている。


「じゃあね、スコさん」

「またね、じゃないんですか?」

「いいの?」

「はい。礼さんと一緒に来ても良いんですよ?」

「あ、えっと。かんがえとくっ」


 妹はそう言うと僕のクロスバイクに跨り走り去っていった。


「エリー、ライトつけなー」


 そう言うと遠くでパチっとライトが点灯する。


「……アンジェ、僕の妹に何をしたの」

「なにもしてませんよ」


 あんなエリーゼちゃんを見たのは初めてだ。


「普段は相当そっけないか、ベタベタして来るかの二択だよ?」

「だからなにもしてませんって」


 優しいお姉ちゃんでも欲しかったのろうか。

 それとも髪の色や瞳の色で親近感でもあったのだろうか。


「僕だけに懐いてるはずだったのに、ですか?」

「まさか。ただ……今日は珍しいものが見れたなって」


 トネリコさんもいて、同級生の友達でもいれば十分かなと思っていたけれど、アンジェであればもう――。


「礼さん」


 アンジェから窘めるような声を掛けられる。


「善くないこと、考えていませんか?」

「そんなことは無いけど」


 アンジェは僕を横目で見ると、わざとらしくため息をつく。


「アンジェに妹の世話任せちゃおって、思ってませんか」


 ……なんで解るんだ。


「怒ってる?」

「いえ、べつに。あなたが人にベタベタされるのがイヤなのは知ってますし、面倒くさがりなのも知っていますから」


 言葉では理解を示している風だけれど、目が怖いな。


「でも、たった二人の兄妹でしょう?」

「一人っ子にはわかんないよ」

「もう、そんな言い方して」


 アンジェは呆れるように一歩二歩と僕の周りを歩く。


「私はエリさんのこと好きになりましたから。なんでしたっけ、仲直り? 興味なかったのですが、少しは手伝ってあげても良い気がしてきました」

「じゃあアンジェも一緒にゲームする? まだ何するか決めてないけど」

「いえいえ。ここにはうってつけの場所があるでしょう? そこで悩みを浮き彫りにすれば、おのずと礼さんの助けになるのではと、そう思うのです。ふふ」


 含み笑いを浮かべるアンジェ。

 僕が踏み込みにくい場所にアンジェであればスルリと侵入できそうだけれども。どうせ妹と対面してちょっと味見しようかなとでも思ったのだろう。エリちゃーん、ちょっと変な人に好かれちゃったぞー。


「……ふふふ。私、マトンよりはラムの方が好きですし。子羊のお悩み相談、興味が出てきました」


 あ、そうか。アンジェ、最近配信していないからお悩みに飢えているんだ。


「機会があればお願いするね」


 ひとまずアンジェの魔の手……いや、エンジェルハンドから妹を遠ざけようかと考えると。


「機会は貴方が作るんですよ」


 アンジェの生暖かく柔らかい手で両手を握られる。逃がさないという意思表示だろうか。

 仕方ない、まずは横浜さんの妹を差し出すか。


「それと、期末テスト、しっかり復習しておくように。」


 ……しっかり気付かれていた。


「夏休み前だからといって勉強をさぼらないように」

「はい」

「では、おやすみなさい礼さん」



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