解釈違いの光明
時刻は十八時。日が暮れた道をクロスバイクのライトが照らす。
妹に構っていたせいで一時間の遅刻だ。教会まではあと五分ほどで到着するだろうけれど、急がないと。
住宅街の中、徐々に木々が増えると児童遊園が見えてくる。そこから二度ほどペダルを踏むとパタッと人気が無くなり古びた教会が姿を現す。ここで稲光が教会を照らそうものならホラー映画の冒頭のようだけれど、幸いなことに今日はただの曇り空。
ギギギ、と不気味な音を立てつつ門を開ける。
雑草を踏みしめながら敷地を進めば教会の重厚な扉が見えてくる。
なんだか夜の不鮮明さも相まって別の国に来たみたいな感覚だ。何度来ても建物の古さに気圧される。
グッと力を入れて扉を開く。
堂内は天井から吊り下げられた暖色系の灯りに照らされてはいるものの、LED電灯の明るさに慣れているからか薄暗く感じる。
「アンジェ、お待たせ……?」
最前列の長椅子にポツンと座るアンジェはスマートフォンを片手にボンヤリとしていた。
「あ……礼さん。遅いじゃないですか。待ちくたびれてしまいました」
アンジェはスマートフォンに視線を落とし、ロック画面を表示させた。そこに通知は無く、時刻だけが表示されている。
連絡したとはいえ待たせ過ぎたかもしれない。
「私、待たされるのってイヤなんです。期待するのが、イヤなんです」
表情からは普段の微笑が抜け落ちており……もしかして、けっこうお怒りなのでしょうか。
「隣に座ってください」
仰せのままに。
「背筋を伸ばして祈るように指を組んで。
私の言葉に続けて下さい――Kyrie eleison」
「……き、きゅり、えれー?」
知らない言葉を唱えさせられる。
「えっと、その、アンジェ。これはどういう」
「嫌なことがあった日は口にして検証するんです。この祈りに意味はあるのかって」
アンジェは指をほどくと小さくため息をついた。
どうにも今日のアンジェの様子がおかしい。
やはり遅刻がまずかったのか。それとも他に何かしてしまったのかなんなのか……僕の知らないところで何かがあったのか。間が悪いことに、アンジェが不安定なタイミングに鉢合わせてしまったらしい。
どうしたものか頭を悩ませていると――。
「……ふふ、うふふふっ。すみません。少し深刻な顔をしてみただけです」
アンジェが悪戯っぽく微笑む。もしかして、からかわれたのかな。
「ドキドキしましたか?」
「……したよ」
普段怒らない人が怒ると怖いように、普段から微笑みをかかさない人が無表情だとそれはもう恐ろしかった。
「ふふ、少し気が晴れました。お友達と連絡がつかずヤキモキしていたのです」
「遅刻は関係無かったようで良かったよ」
「先ほど言った、待たされるのがイヤというのも本当ですよ? 置いて行かれるのはもうたくさんです」
アンジェは微笑みながら立ち上がると僕の手を引いた。
「今日は念願の二話からお勉強をはじめましょう。本当のじご……いえ、ええと。楽しい英会話はこれからです」
・・・
アニメ『聖女様のまなざし』はいわゆる百合要素のある物語だ。
お嬢様が通うミッションスクールで巻き起こるあれやこれが、一般的な公立校で育った人間からすれば新鮮で面白い。
楽しかった二話のエンディングが流れ始め。これからヒアリングデスマーチが始まるのだとしっとりした歌詞が教えてくれる。
「現実でも女子高ってこんなにギスギスしてるの?」
劇中での声を荒げる訳でもなく皮肉や軽視を孕んだセリフの数々はニヤッと笑えるものの、現実であったらと思うと気が滅入りそうだ。
普通の学校では見かけない『幹部会』のシーンなんて、どうしてもっと仲良く出来ないのか不思議なほど。
「現実はこの程度では済みませんね。なぜなら、女の園ですから。たまーにギチっと音を立てて揉めています。ふふ」
隣に座るアンジェは涼しい顔で紅茶を口にした。
「優しく、排他的で、潔癖。私は海外からの『お客さま』なので友好的に接していただいていますが。幼稚舎から同じ人間関係が続いていますので、言うなれば熟成、しているのです」
「熟成、ですか先生」
人間関係を熟成と表現する事ってあるんだ。
「住めば都、私の好きな言葉です。そこしか知らぬのであれば、なおさらのこと。私としましては些細な不運とすれ違いで生じる軋轢が、ふふ、その、愉快と言うか。うふふっ。女の子はすぐ泣きますし、同情しますから。見応えがあります。礼さんも機嫌の悪い女の子に近づいてはなりませんよ? きっと八つ当たりされますので。あはっ」
やっぱりこのシスター性格悪いよ。
「先日など生理用品が」
「……」
「あ、失礼しました。男性には適さない話題を取り上げる所でした」
「今ので十分、生々しさは伝わってきたよ」
なんだかヒヤッとした。
「あとはこのお姉さま、という先輩との上下関係ですが。これも実在します」
お姉さま。普段であればまず聞かない響きだ。
「どんな感じなの?」
「お世話係とでも言えばいいのでしょうか。中等部からは寄宿舎で生活する生徒がいるのですが、上級生が下級生を指導することから疑似的な姉妹関係が出来上がり『お姉さま』と呼ぶようになったようです。それと、コチラの影響もあるとか」
「聖女様のまなざし?」
アンジェはコクリと頷く。
「コミックの『はじめての二歩』で将棋ブームがあったと政治経済の教科書に載っておりましたが、どうやら『聖まな』の物語と世界観も女学院の生徒達に大きく影響を与えたようです」
お嬢様学校の物語はお嬢様達にドンピシャだったのか。
「図書室に原作の小説が置かれていたりしますし、いわゆる逆輸入でしょうか。架空のお嬢様学校の習わしが現実に影響を及ぼしたみたいです」
公立、共学育ちには想像出来ない世界だ。
次回予告を見ている所で、カチ、と無情にも二話冒頭に戻される。
「さ。物語を堪能したところで英語音声日本語字幕の時間です。分からない単語、言い回しがあったらノートにメモしましょうね」
カチ、とオープニング曲が飛ばされたところで一時停止ボタンに触れる。
「どうかしました?」
「先生、一つ思ったのですけど。先生の日本語って聖まな風ですよね」
ふと気になった事を口にする。
「ええ、そう言われると少し恥ずかしいですが。学友にも綺麗な日本語だと褒めていただきました」
「それじゃあ、聖まなで英会話を学んだ僕って、お嬢様風の喋り方になる可能性があったりするのかなと思いまして」
そんな事は無いだろうと思いつつも、そうなってしまっては困る。
不安を感じながらアンジェを見ると困った事に言葉に詰まっている様子。
「……すぅ。……いえいえ。英語では女性風の喋り方などは無いと……無いとは思うのですが……ニュアンスは……どうなのでしょう、ね」
アンジェと向かい合いその目をジッと見るも、徐々にその視線が逸れていく。
「ああ、そうです。今日は肉じゃがに挑戦してみたのです。少し早いですが先にお夕飯にしましょう」
アンジェはパタパタと去っていく。
「……え?」
・・・
アンジェはフォークを使い肉じゃがを口に運ぶ。
しっかりしているようでお箸が苦手なのがなんとも魅力的だ。
「そうです。ブリティッシュイングリッシュ、つまりイギリス英語とアメリカ英語はありますけれど、日本語のように男性的な喋り方、女性的な喋り方というものは無いはずなので。きっと礼さんが身につける英語はただただ丁寧で上品な英語となるはずなのです……多分」
「自分の発言には自信と責任を持って欲しいんですけど」
それにしてもイギリスとアメリカか。
「聖まなの英語って、イギリス英語なの?」
「そのようです。作品の雰囲気に合わせたのでしょう。私が喋る英語もブリティッシュイングリッシュなので、将来もし礼さんがイギリス人と喋る機会があればきっと驚かれますよ」
「そうなの?」
「日本ではアメリカ英語を教えているようですし、海外でも主流はアメリカ英語だったかと思うので。海外の方が流暢な京都弁を喋っていたら驚くでしょう?」
「なるほど」
「そうなのです。ですから安心してお勉強しましょうね」
言いくるめられつつジャガイモを口に運ぶとアンジェにじっと見られている事に気がつく。
……ああ、料理の感想を言った方が良いのか。
「アンジェは料理が上手だね」
毎日お願いしたい。
「ふふ、催促してしまいました。そう言って頂けると作った甲斐もあるというものです」
夕飯として出された肉じゃが定食はこれだけでお金を取れるほど美味しい。
結局、二時間千円ではなく、一回千円食事付きという非常にお得な勉強メニューとなってしまったけれど、貰いすぎというのも収まりが悪いから何かしらで補填したいところだ。
「肉じゃがは家庭の味と言うらしいですが、礼さんのお家と味は違いますか?」
「うちはシチューだったりは家庭の味かもしれないけど、肉じゃがとか日本食はレシピ通りというかクッキングパッド見て作るから、どこかの家庭の味かな」
「ふふ、そういうものですか」
「カレーとかも家庭の味ってイメージあるけど、ほとんどメーカーの味な気がしない?」
「隠し味は入れませんか? チョコレートだったりリンゴだったり。私はニンニクショウガ、それにココアを入れたりします」
「隠し味の効果って、食べ比べってした事ないから、あんまり分からないんだよなぁ」
母が家で作る場合はそもそも使うルーが毎度別のメーカーったりで、カレーと言えばコレというイメージが無い。
「では次は食べ比べをしてみましょうか」
アンジェが微笑む。
「……」
その顔を見ると、なんだか無性に――。
あれ。どういう感情だ、これ。
「さあ。食べ終わったらお勉強の続きです。三話から物語が動くので、頑張りましょうね」
「あ、うん」
疑問は中断し、こくりと頷く。
まあ、一端保留だ。
・・・
時刻は二十一時過ぎ。
教会から出るとジトッとした空気が纏わりつく。
「曇り空ですね……さっさと晴れれば良いのに」
わざわざ見送りに来なくて良いのに、アンジェが僕の後ろについて来る。
「私、イギリスからこの国に来たんです。暗くてどんよりしていて、梅雨になったからでしょうか、故郷を思い出すことが増えました」
僕自身の家庭環境が愉快なこともあり、あまり人のアレコレを聞くつもりも踏み込むつもりもないけれど。ふと話したくなる気持ちは分かる。
「親戚の間を転々としていたので故郷と言えるのかは分かりませんが。それでも私の心象風景は灰色の曇り空です」
心象風景。
意味は心の中に浮かぶ光景だったっけ。美術の授業で聞いたような気がする。
僕であれば、赤色とか、そんな感じかな。
「今日、お友達の、同期の子がバーチャルアイドルを辞めると言いました。何故と聞いても返事は帰ってこなくて。事務所の人に聞いても返事は無くて。心細かったんです……だから」
服の袖を掴まれる。
「礼さんが来てくれて良かったです。礼さんからすれば不思議でしょうけれど、私、貴方を見ると元気が出るんです」
ドキッとするような言葉と共に、その不鮮明な理由は明かされそうもない。
「また、遊びに来てくれますか?」
「まだ三話を見てないからさ。面倒だけど来るしかないよ」
「ふふっ、ですね。カレーも、約束ですよ?」
縋る様な表情を向けられ、不快感に気がつく。僕はアンジェには嘘でもいいから、愛想笑いでもいいから、微笑んでいて欲しいらしい……まいったな。まさか僕がこんな事を思うとは……。
「明日、お洒落なバクスタに行こうか」
妙な空気を変えようと一つ提案する。
「え?」
「お昼の配信で言ってなかったっけ。私もお洒落なカフェに行きたいってさ」
「あ、え、見て下さったのですか?」
「けっこう面白かったよ。で、どうする?」
アンジェは胸の前で指を組む。
「でも、そのような贅沢は……」
清貧というやつだろうか。あの教会を見ても、資金が潤沢にあるようには見えないし、贅沢を好むような人間で無い事も分かる。
「僕が出すよ。ご飯もご馳走になってるから」
「いえ、あれは、お金を頂いていますので」
一筋縄にはいかないか。ならば。
「実はこの前コレを貰いまして。持て余してるんですよ先生」
財布からカフェのプリペイドカードを取り出す。
「クリームが山ほど乗った甘ったるいコーヒーと出来たてのスコーンを食べに行きませんか」
使いかけのカードをアンジェの手に持たせる。どうせなら新品渡して格好つけたかった。なんでマリリ釣るのに使っちゃったかなー。
「……ズルいじゃないですか。全然、思ってた人じゃ」
アンジェは言葉を区切るようにクルリと後ろを向いた。
「仕方ないので、行ってあげます。クラスの方が言っていた呪文みたいな飲み物頼んじゃいますからねっ」
アンジェの声色が明るくなった。
「じゃあ、また明日」
今、彼女がどんな顔をしているのかは分からないけれど。
どうやら僕は、アンジェの力になりたいらしい――。
・・・
あー。しまった。明日、妹と遊ぶ約束してたのすっかり忘れてた。
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シスター回でした。
区切れそうでしたが一気に読んで欲しかったのでちょい長めです。
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