燃える妹

「レー」


 脱衣所で手を洗っていると妹が後ろから腰にくっついてきた。ケンタウロスである。


「どうしたのエリちゃん」


 普段であれば特に構う気も起きないけれど今日は気分が良い。妹の頭を鷲掴みにして離し、その黄緑の瞳をジッとみつめるもスッと逸らされた。


「言ってみ。今日は良い事あったからエリちゃんのお願いを聞いてバランスとるよ」

「良い事あったからって悪い事でバランスとる必要無いから。というか、エリのお世話はマイナスじゃない。プラスプラスのプラスだから」

「で?」


 すっかり髪の伸びた妹は指先でクルクルと毛先をいじること数瞬。


「きて」


 僕の手を引いて自分の部屋に招き入れた。相変わらず空気が籠っている。


「あのね。このあいだレーがエリの部屋を掃除した時あったでしょ?」

「この間というか、いつもな。いつも掃除してますけど」

「そ、そんな事無いから。基本的にエリがやってるし」

「見栄張ってゼロ秒でバレる嘘をつくな。それで?」

「あの日、エリ炎上したの」

「炎上?」

「彼氏バレだってさ。レーは違うのに」

「そんな不名誉な。あんまりだろ」

「その言い方こそあんまりなんだけど。エリ、誰もが憧れる美の化身なのに」

「なら剥製にでもしてもらいな。見た目と比べるとココとココの性能が悪い」


 妹の頭と胸を突く。つまり頭脳と心。見た目ほどには優れていない。


「ちょっと! 妹のおっぱい突かないでよ」

「ミケランジェロのご子息に触ったって何も感じないだろ? 美の化身さん」

「ミケラン、ジャロ? だって恥じらうし」


 にしても炎上か。どういう事だろう。思考を巡らせる。


「あ、そう言う事か。エリちゃん、パソコンつけっぱなしにしてたな」

「理解がはやい」


 つまり、配信したまま寝落ち。配信は切れておらずそこに僕が入ってしまったらしい。


「普段から寝る前にはパソコンと電気消してベッドで寝るように言ってるのに」

「今お説教はやめて。みんな見てるんだから」

「みんな?」


 妹はパソコンのモニターをチラッと見つめる。

 そこには『エリリ』が妹の表情をトラッキングして、不満そうに立っていた。そして。


〈秒で論破されてて草〉

〈妹のおっぱいに平気で触れる兄〉

〈お兄さん。感触おしえてくだせえ〉

〈というか説教されすぎじゃないこの姫〉

〈¥1000 やっと会えた……お義兄さん〉

〈¥2300 兄さんキター〉

〈祭りが、始まるッ〉

〈姫初コラボ〉

〈伝説のお掃除事件再び〉


 コメントの激流が画面に表示されている。視聴者数、五千?


「なにこれ。今も配信してるの」

「うん。とりあえずレー、ここ座って」


 妹がゲーミングチェアを僕に譲る。


「えぇ」

「いーから。で、エリも座る」


 ゲーミングチェアに座った僕の上に妹が座る。


「重っ、なにこれ」

「ギュッてして。落ちる」

「暑苦しいな」


 そう言いながらもモニター付近を見る。

 モニター上に設置されたカメラ、アームに保持されたマイク、オーディオインターフェースなどもあり、これぞ実況者という設備が机の上に広がっている。


〈なんだかんだ甘いお兄ちゃん。うちにも来て〉

〈うらやま〉

〈ぎゅっとしてえなぁ、俺もなぁ〉

〈レーレー言う生き物かと思っていたら本当に兄がいた件〉


 コメントの流れが速くてほとんど読めない。


「で、炎上したらしいけど」

「うん。ま、その辺りはエリが普段……。まあ、それはいいとして炎上はすぐ鎮火した」

「普段、なに」

「いいの。みんなも言わないでよ」


 すると。


〈彼氏疑惑、一瞬炎上するも〉

〈日頃のレーレー発言の切り抜き動画が拡散、無事鎮火〉

〈たまに壁ドンされてて草だった〉

〈イマジナリーお兄ちゃん疑惑も解消された〉

〈一時間くらい掃除音声聞かされてる間に炎上して鎮火した〉

〈寝てる間に炎上鎮火事件〉


 似たようなコメントが流れていく。どうやら妹はマリリと違い視聴者をコントロールできるタイプのバーチャルアイドルでは無いらしい。裏切りの連続である。


「ちょっと! やめてよ寝てる間に炎上鎮火事件!」

「うわぁ……」


 兄としてすごく恥ずかしい。妹のだらしなさが世間にバレていると同時に、その原因の一端が自分にあるのだから複雑だ。


「と、ともかく。一瞬の炎上はどうでも良いんだけど、その原因というか、普段の生活態度とか、会社のアイドルとコラボ一切しないのはどうなのかとか、そーいうのをラインオーバーに怒られたというか」

「怒られるなよ」


 と言うと、妹は頭をぐりぐりと動かし僕に擦りつける。


「ちょ、顎に頭ぐりぐりすんな」


 というか、会社に仕事ぶりを怒られるならともかく生活態度を怒られるってどうなの。

 それに、何というか。普段と比べて饒舌な妹と喋るのも不思議な感覚だ。お笑い芸人のオンとオフみたいな、そういうスイッチでもあるのだろうか。

 そもそも……こんな喋るやつだったっけな。


「エリ、けっこう寝落ち配信する事多いんだけど、そういうのも本当は良くないんだよって言われて」

「それはそう」

「う、うるさいな」


 そんな事をしているとコメントも流れていく。


〈頭ぐりぐり姫可愛い〉

〈ぐりぐりに全く動じない兄〉

〈お義兄さんの監督責任ですね〉

〈今来ました。姫、デビュー二年目でようやく初コラボですね!〉

〈かわいいw〉

〈おっさんだけど、おっさんもお兄さんに頭ぐりぐりしたい〉

〈兄に怒られラインオーバーに怒られる姫、推せる〉


 すごい量のコメント、視聴者も段々増えている。恐ろしいな。そろそろ一万の大台に届きそうな勢いだ。


「でね、マネージャーに、まずは誰かとコラボするところから社会性と常識を身に着けて行きませんかって言われたから、レー呼んだの」

「はは……」

「レー?」


 つい妹の頭を撫でてしまう。


「頭どうしてなでるの?」

「こうまで駄目人間にしてしまった事に責任を感じると共に昔の事とか色々思い出した。反省というか。もう取り返しがつかないんだなって」

「勝手にあきらめないで!」


 僕は、とんだモンスターを育ててしまったのかもしれない。

 社会性と常識を身に着けて行きませんか、って。妹が人にそう言われる人間だって知らされた兄の哀しみが理解出来るか? 泣けるー。


〈レー可哀想〉

〈¥340 レー、責任とって姫育てて〉

〈レーレー〉

〈レーレー言うんじゃありません!〉

〈今更だけど姫の兄なら王子なのでは?〉

〈¥2000 どんまいお兄さん。ほんと草〉


 ¥の文字はスーパーチャットという奴だろう。身内の恥で金を貰うとは情けない。


「んで。初コラボの相手に僕を選んだと。え、友達いないの?」

「うん。ねえ、今からゲームする?」

「しないわ! というか、これから用事あるんだけど」

「バイト終わったじゃん」

「いやマリリフィギュアを組み立て」

「は?」


 妹の様子で思い出す。そういえばマリリと仲悪かったんだっけ。


〈あーあ〉

〈あーあ〉

〈あーあ〉

〈的確に地雷を踏み抜く技術、俺でなきゃ見逃しちゃうね〉

〈身内特有のデリカシーの無さ〉

〈はい開戦〉

〈マリリフィギュアなんて出てたっけ〉

〈ガレージキット?〉

〈組み立て配信見たい!〉


 というか。妹が重いし暑い。はやく離れたい。


「コメントにお答えすると、僕の先輩がマリリちゃんの見た目のファンでして、趣味でフィギュアを作ってたんですが、そのレジンキットを貰った感じです」


 マリリフィギュアのガレージキットはけっこう出ているし、この発言で身バレする事も無いだろう。


〈お兄にコメント拾われた!〉

〈お義兄さんにコメント拾われた!〉

〈あたしよ!〉

〈あたしのコメントが拾われたのよ!〉

〈なによっ〉


 妹よ、変な視聴者いるぞ。


「そういえばマリリちゃんのファンは眷属って言うらしいけど、エリちゃんのファンは何て言うの?」

「衛兵だけど。それよりレーどうしてマリリのフィギュア貰うの、エリ知ってるよ、マリリのおっぱいマウスパッドだって部屋にあるじゃん!」

「一万人に兄がおっぱいマウスパッド持ってる事をバラしてくれるな」

「んーっ」


 バンッ。机が叩かれる。


「エリ、机叩かない。外で出るよ」

「でない!」

「外に出ないというのとかけてる感じ?」

「つまんない!」

「痛たたたっ、つむじを鎖骨にぶつけるな」


 よっぽどマリリとは相性が悪いらしい。妹の機嫌がやや悪い。


〈親と子の叱り方なのよ〉

〈エリ、机叩かない。これは流行る〉

〈うまい事いってて草〉

〈お兄さんの煽りがナチュラルすぎるwww〉

〈エリリの兄、眷属だった件〉

〈エリリ大ダメージで草〉

〈(実はボクも眷属です)〉

〈マリリおっぱいデカいからしゃーない〉

〈男はおっぱい好きだからしゃーない〉

〈姫は、あるにはあるから〉

〈無いことも無い胸〉

〈姫身中の兄じゃん〉


 視聴者数、一万五千。


 どこかのライブ会場が埋まるくらいの人間に妹とのやり取りを見られているかと思うと恥ずかしさしか無い。


「というかエリちゃん、話を戻すけど。コラボってさ普通はバーチャルアイドルとかブイチューバーみたいな人達とやるもんでしょ。身内を誘うって悲し過ぎない?」

「だって、誰か誘うの恥ずかしいもん」

「すでに恥ずかしい事やってるんだから気にしなくていいのに」

「……」

「あ、これ妹がよくやる無視です。都合が悪くなると無視して、頼みたいことがあると人の周りウロウロします」

「余計な事言わないで」


 そろそろどいてくれないだろうか。

 久しぶりに構ったのが嬉しいのか一向に離れる気配が無い。犬のように懐き猫のようにそっけない、それが我が妹だけど、今日は犬の日らしい。


〈¥10000 兄、間を埋めるトークすぐするじゃん〉

〈謎の配信慣れ。声聞き取りやすいわ〉


 コメントを見ていた妹が俺を見上げる。


「レー、声聞き取りやすいって」

「なんで嬉しそうなんだよ」


 さっきは不機嫌で今は上機嫌。配信しているとテンションが上がるのかな。


〈この兄にして……。妹どうしてこうなった〉

〈¥3000 ウロウロ姫かわいい!〉

〈彼氏だと思った自分が恥ずかしい。もうママじゃん〉

〈レーは私の母になってくれる兄だった〉

〈姫、体育の授業で先生と二人一組になるタイプだった……〉


 流れていくコメント、よく読むとけっこうおもしろい。一年ほど前に配信サイトの生配信中のコメントラグが大幅に減ったというアナウンスがあったらしいけれど、ラジオのメールと比べるとレスポンスの早さが凄い。


「でも事務所の人も誰かとコラボしなって言ってるって事は、エリちゃんとコラボしたいって人もいるんじゃないの?」

「レーでいいの。めんどくさいし」

「くっつくな。なんか良く分からないうちに配信に巻き込まれたけど、せっかくだから友だち作ってみよ?」


 そして自立して兄離れしてくれ。コレはチャンスかもしれん。


〈泣けるわ〉

〈今日の姫、妹チカラ高くて可愛い〉

〈甘えん坊姫かわいい〉

〈こんな兄欲しかった。欲しかったなぁ。妹でも良いし姉でも良いけど〉

〈友達作ってみよって言ってくれる兄。てぇてぇ〉

〈よくわからんけど初めてのお使い思い出した〉

〈¥50000 兄妹愛に〉

〈今来たけど、神回確定〉

あーあ。はやくマリリフィギュア組み立てたい。

〈ルリch あ、あの。お兄さん! 立候補します!〉

〈!?〉

〈ガチファン来ちゃあ!〉

〈ルリルリきちゃ!〉

〈ルリちゃんもよう見とる〉


 コメントの流れが変わった。


「ルリルリ……。遊撃戦艦の?」

「そんな昔のアニメ、レーしか知らない。令和だよ今」

「エリちゃんだって戦艦の超合金もってるじゃん」


 ルリルリのフィギュア、ガレージイイダのショーケースにあるのだがとにかく可愛い。


「なんか、エリの事好きらしいよ。ラインオーバーの後輩。ルリ……名前は確か、えっと、トノリコ・リルちゃん」

「ふーん」

 流れていくコメントに視線を移す。


〈ルリch えっと、トネリコ・ルリカです……すみません〉


「全部間違ってるじゃん!」

「おお」


 おおじゃないんだが。


「にしても縁起良さそうな名前だな、トネリコさん」

「なんで?」

「トネリコって、海外だと神聖な木と考えられていたりするんだって」

「レーって植物詳しいよね。わかったわかった、トネリコね。覚えた」


 昔誰かに教わった事だけれど案外覚えているものだ。


〈へえ〉

〈へえ〉

〈兄、物知り〉

〈ルリルリ絶頂不可避〉

〈ルリch ああああ! 憶えられた!〉

〈認知されて喜ぶとか俺らと同じラインなのよ〉


「トネリコさんと一緒に配信してもらったら?」

「でもエリ、エリの事好きな人、こわい」

「衛兵さん達だってエリの事好きだろ?」

「だってそれはエリの方が上だもん」

「ん?」

「エリ、自分より下の人には大きく出れるけど、そうじゃないとこわい」

「――」


 絶句。


〈兄、絶句〉

〈うん。改めて聞くとね、俺らもどうして姫推してるんだろうね〉

〈こんなナチュラルに横暴な人間いないからね〉

〈ゲーム配信が面白い、声が可愛い、これだけでのし上がった女傑だから……〉

〈こうなるまで放って置いた兄が悪いよ兄が〉

〈兄の受験シーズンに放って置かれたせいでこうなった説。真実味を帯びて来たな〉

〈そりゃこんな妹いたら勉強の邪魔よ〉


 ……良くも悪くもネット以外で受け入れられない思考をしている。


「昔はもうちょっと優しくて良い子だったのに」

「ん?」

「とりあえず、トネリコさんにコラボお願いしようよ。連絡先は、マネージャーさんに教えて貰えない?」

「レー」

「くっつくなって。ほら、スマホ出して」

「んん」


 妹からスマホを受け取り、連絡先を表示。


「うわ、連絡先少な。らくらくフォンでも余るじゃん」

「うっさ」


 父、母、マネージャー、以上!


「マネージャーさんこの時間に連絡したらまずいかな」

「大丈夫。エリの配信見てる人だから」


 ピコン。

 言っている間にマネージャーさんから連絡があった。


『お久しぶりですお義兄さん。流石の手腕、御見それしました。こちらルリカさんの連絡先です。本人もすぐに連絡したいとの事でした。できればPCの方で通話して音声を配信に乗せて頂けると、盛り上がるかと。よろしくお願い致します』

「まるで優秀なマネージャーみたいだ」


 PCのアプリを起動し、スマホに来ていたメッセージを改めて表示し、連絡先を確認。

 アイコンに表示されている緑の髪の女の子がトネリコさんらしい。


「あーあ。めんどくさ」


 妹はジッと連絡先を見つめている。


〈姫が二年かけても出来なかったコラボを一瞬でやりおった〉

〈らくらくフォンは草〉

〈らくらくフォンwww〉

〈兄に煽られる姫、推せる〉

〈うっさ、って。姫、ほんと今日かわいい〉

〈……あの、連絡先の数が少なくたっていいじゃないですか涙〉

〈冷静に考えて今までコラボしてないって逆に凄くね〉


 色々なコメントが流れていくが、最後の決定は妹に任せよう。


「やるの? やらないの? どっちなんだい」

「……やーる!」


 カチりとクリック音。通話が始まる。


『も、ももも、もしもし!』


 さすがアイドル、しっとりした癒し系の声が響いた。


『トネリコ・ルリカです、はじめまして!』

「……」

「いや兄を見上げるな」

「えっと。エリー、じゃなくてエリオット・リオネットだよ。初めまして、後輩」


 偉そうだなこいつ。しかも多分、声色からいって年上の人だぞトネリコさん。


『あのわたし、エリさんの配信見てバーチャルアイドル目指したので、こうやって話せてすっごく嬉しいです!』

「そうなんだ。じゃあ、その、エリとのコラボ企画考えて。エリが楽しめそうな奴をよろしくね。トネリコ」


 プツッ。

 切ったよ。


「ふぅ。こんなもんかな」


 妹が一仕事終えた顔で僕を見る。僅か十秒の会話であったというのに。だが、まあ。


「おつかれさま」


 たまにはそんな言葉をかけたっていいだろう。



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