茉莉花ショッピング2
梅雨の季節。
去年経験したとはいえ、東京の曇り空はなんだか息苦しくて地元が恋しくなる。
「……それにしても立派なパソコン過ぎるよ」
大学生が暮らすワンルームマンションに置くにはいささか大きすぎるパソコンをポンポンと撫でる。昨年末からバーチャルアイドル『トネリコ・ルリカ』としてデビューした私だけれども。
五月ごろに色々とあった結果、超つよつよデスクトップパソコンをスポンサー様から頂いてしまった。万全のセキュリティと十全な性能を謳うパソコンを宣伝するのに私を選ぶあたり商魂逞しいというか、良くも悪くもタフな世界なのだなと再認識。
案件配信うまく出来るかなぁ。
「というか、デカすぎぃ」
『廃熱が凄くて冬は暖房要らずですよ、アハハ』と担当者の方は仰っていたけれど。あの、そろそろ夏です……。
ゲームしない時はグラフィックカード抜いておこうかな。北国育ちの私は東京の温度がどうにも苦手で常にエアコンの除湿にお世話になっておりまして。
――耐えられるだろうかキミのいる夏に。
デスクの下に置いたパソコンに触れ、一歩下がりモニターが二つ並ぶデスクを眺め、さらに一歩下がると。――トンッ。
「うぅ。狭いよぉ」
ワンルームの出入り口にぶつかった。
配信者と言うと防音室を用意して配信するイメージがあるけれど、それは一部の成功者にしか許されないブルジョワ環境。
私はというと部屋の壁を防音材と吸音材で裏打ちした本棚で取り囲み、フローリングの上に遮音材とカーペットを敷いた部屋で配信しているから部屋が滅茶苦茶狭いし暑い。
東京って狭いって聞いてはいたけど、もうこれは部屋というより…………駄目だ、上手い言葉が思いつかない。もうちょっと頭の回転が速ければ配信でも面白い事言えるだろうに私という奴は……。
「あ、もう時間だ。お菓子、みんな喜んでくれるかなぁ」
一人暮らしと配信生活ですっかり板についた独り言を漏らしつつ、お出かけの準備を開始。今日は一年続けたアルバイトの最後の出勤日。がんばるぞっ!
・・・
カチャ、と自分用のロッカーを開き、最推しバーチャルアイドル『エリオット』の缶バッジがついたエプロンを身につける。
可愛い衣装が好きでコスプレショップ『メルティドリーム』で働き始めたけど、いざ辞めるとなるとなんだか色々な思い出が蘇って来るなぁ。
ロッカーの中の鏡で『
と意気込んでいると背後から柔らかな衝撃。
「
「うわっ、ミサトちゃん。そんなこと言わないで下さいよぉ、決心鈍るじゃないですか」
同じ時間帯で働くミサトちゃんにぎゅっと抱き着かれる。ミサトちゃん、身長小さくて相変わらずきゃわ。クルっと巻かれたポニテ可愛いよぉ。
「瑠璃子の作るアクセのファンだっているのに勿体ないよ」
「それを言われると……」
「あとあと、バイト辞めてもカラオケとかは一緒に行こうね? 瑠璃子の歌を聞けなくなるなんてやだ~」
「うぅ、ありがとミサトちゃん」
こんなに惜しまれると心が揺れる。
高校時代は裁縫部員として腕を磨き、作ったアクセサリーを通販で売って同人誌を買い漁っていた過去を持つ私。そんな技能が評価される環境は貴重だけども、ごめんミサトちゃん。トネリコとして歌と配信を頑張って行きたいのっ。
「お前らー。さっさと働け―。あと利根、今日までご苦労さん」
「店長っ、はい、一年間お世話になりましたっ。これ、良ければ皆さんで食べてください。あとその婦警さんのコス、ステキです!」
「おう、ありがとな」
お世話になった店長さんにお菓子の詰め合わせを渡す。初めて会った時は不良っぽい雰囲気で怖い店長さんだったけど、すっごく良い人で……ああ、いけない涙腺が緩みそう。ここで泣いたら絶対笑われる。
パイプ椅子にドカッと座った店長さんと入れ替わるように売り場へ向かう。
最近のコスプレと言うとアニメ系がメインだけれど、このお店は世間一般で言うところの『制服』も取り扱っていて来るお客様も様々だ。多分、男女のそういうアレに使うんだろうなぁっていうカップルも来る時がある。
店長さん曰く「それはそれで、質の良い衣装で盛り上がって欲しいじゃん」との事で、大人だなぁと思いました。
「……」
恋愛経験の差をまざまざと見せつけられて赤面した記憶が蘇って来た。
あー、私もモテたいー。アイドルといえども、少女漫画みたいな恋したいー。今の事務所みんな女の子だし、いっそもう女の子じゃいかんのか?
エリさんは流石に犯罪かな。というかあの異様に綺麗なお顔を毎日見たら何かしら頭がおかしくなりそうだし。あ、でもお兄さんの方ならまだセーフ? 中学生はともかく高校生なら……いや待て、私。持て余してるのか?
「いらっしゃいませー」
妄想と平行しつつ明るく挨拶。
十七時から二十二時までの五時間、学生や仕事終わりの社会人のレイヤーさんを笑顔で迎えるのも大事な仕事だ。
「瑠璃子ー、ちょっと衣装整理してるからレジお願いっ」
「わかりましたー」
カチカチと壁掛け時計の秒針が進んでいく。お客様が歴戦のレイヤーさんであれば、大人しくレジだけに徹して、なんとなく初心者の方かなと思えばそれとなく近づいてお話しする。
そんないつも通りの接客していると。
「……?」
見慣れない方が来店された。
閉店時間が近づいてきたこの時間に来るお客様と言えば常連さんか……その、これから致すであろうカップルの方々で。今来られた方は普段であればこういったお店に縁の無さそうな雰囲気だ。
マスクで顔が隠れてはいる物のしているものの、艶やかなショートカットの髪とパッチリとした瞳は思わずドキッとするほど可愛らしい。
なんというかオーラがあるというか、華があるというか。身長は普通くらいなのにボディラインにメリハリがあって。そんな身体を大きめのシルエットのパーカーで隠しているようだけど、この利根瑠璃子の目を誤魔化せはしません。
お客様、相当な美少女ですね!?
「……」
とりあえず『見』に回ろう。
何はともあれせっかく来ていただいたのだから、ゆっくり見てもらいたい。お店としては買って頂いた方が良いのだろうけど、コスって見ているだけで楽しいもんね。
どうやらお客様は衣装よりもウィッグの方に興味があるご様子。
いいなぁ、あんなに可愛ければ何着ても似合うんだろうなぁ。
「……ん。これはバレるか? どうせバレても許……けど、スリルも」
独り言が途切れ途切れ聞こえてくる。どうやらお悩みの様子。
うん、まあ、年も近そうだし、話しかけてみようかな。
「何かお探しのジャンルだったり、お悩みあれば仰ってください。裏にも色々置いてあるので」
「お……。それじゃあお願いしようかな?」
お客さまはマスクを顎の下まで下げるとニコリと笑みをこぼした。
っ、可愛い。涙袋とか小さい唇とか、くぅ……心臓に悪い!
エリさんを見た経験が無ければ十秒くらい固まったかもしれない。
「わたし、あまりこういうのに詳しくないんですけど、そのぉ、お恥ずかしい話、今のままじゃその、好きな人に近づけないっていうか。……事務所から接近禁止命令が出ているというか」
え、好きな人!? 恋の匂いがする!
最後の方は何て言っているのか聞き取れなかったけど、モジモジしているお客様かわいいっ! と言うかこのレベルの人が今のままじゃ近づけないってどういうこと!
突然舞い降りた恋のお悩み相談に頭の中がお祭りカーニバル。さすが東京、刺激的な街です。
「なる、ほど」
「だからその、ちょっと変そ……イメチェンみたいな感じで。ウィッグなんてどうかなと思いまして」
なるほど。コスプレというよりはお洒落を目的としてのご来店だ。確かにこのお客様はショートカットだし、長い髪の毛に興味が出る事もあるよね!
ご安心くださいお客様。
当店、そういった方もご満足できる商品を揃えてあります!
恋の応援します!
「レイヤーさんって、けっこう顔まで変わっていたりするじゃないですか。ああいうのってどうするのかなぁってのも聞けたりします?」
「もちろんです。お顔ですと、テープで目元を引っ張ったりするだけで印象は変わって見えますし。ウィッグと合わせるだけでも普段とは違う自分に変われるかと思いますよ?」
正直、顔は今のままで十分に過ぎるかと思いますけども。
自信を持ってください、変わらなくちゃいけないのはお客様ではなく、お客様の好きな人のはずです。
ああ、こんな可愛い子の何が不満なんだろう。
接客業をしていると性格も何となく分かる。この方は愛想も良くて笑顔もステキできっと何の問題も抱えていない人のはず。分かるよ、プロだから。
「おお。顔見知りにもバレないレベルにいけますかね?」
「バレないレベルとなると、向こうにお化粧に詳しい店員もいるので閉店までに色々とご紹介しましょうか?」
「良いんですか、来てよかったぁ」
確かによく見ると化粧っ気の少ない綺麗なお肌だ。
いやほんと、この子の何が不満なんだ。好きな人さん!
「髪色の指定はありますか?」
「うーん。金髪はつけてみたいけど目立ちそうだから、やっぱり地毛と同じ黒系かなって」
「お客様であればどういう色合いでもお似合いになりそうですけど、そうですね、同じ髪色でも長さが違えばかなり印象変わりますから。お値段は高くなりますけど質感も考えるとこの辺りがよろしいかと。試着なさいますか?」
「しますっ」
ウィッグネットは後でおススメすればいいかな。お客様の頭にウィッグを被せる。
「おお。良いかも。はぁ、茉莉花ちゃんってロングも似合うんだぁ」
鏡の前に立つお客様は――かわいい。
私は語彙力を失った。
「ほんと、すっごい可愛いですっ」
「印象も変わって見えます?」
「はい。先ほどまでのちょっとボーイッシュな雰囲気も良かったですけど、今は清楚で穢れを知らぬ、やましい所など一つもない完璧超美少女で! ……あ、すみません盛り上がってしまいました」
「いやあ、そんな褒められると買っちゃうなぁ。上手いね、店員さんったら」
本音が駄々洩れてしまったが、好意的に受け止めた貰えたらしい。
ふう、最終日にやらかすところだった。
「――そう。わたしにやましい所なんて一つも無いんだよ。事務所もアヤノンもどうかしているよね」
「……?」
お客様はすっと私の前を通る。
「やっぱり顔認証を考えるとこの距離か……」
まるでマジックのように、いつの間にかお客様の手には小さなカメラが現れて、消えた――。
「お客様?」
「なんでもないよ?」
一瞬、何か不穏なものを感じたもののニコッと見惚れるほどの笑顔を向けられ、手を握られるとその疑念はどこかへ行ってしまった。
……それにしてもこの声、どこかで聞いた事があるような。
「こういうのって、やっぱり服も変えた方が違う感じに見えますかね。あんまりヒラヒラした服は好みじゃないんですけど」
服。私はインドア派の癖に山ガール的なものが好きだけど。普段着慣れないジャンルに手を伸ばすのは勇気がいる。ここは……。
「確かに服装を変えると見た目は分かりやすく変わりますけど。逆に、普段と同じ様な服だからこそ、髪型やメイクの違いで別人に見えるってこともあるかと。お客様をよく知っている方ほど、意識しないと気がつかない、みたいな。今まで気がつかなった魅力に気がつく、みたいな!」
いけない、大きい声が出てしまった。
「なーるほど?」
「まずはウィッグを試しに被って出歩くだけでも楽しめると思います。私もウィッグをつけて歩いたことがありますけど、普段と違う自分になれた気がしましたから」
「そう言われると。ふふ、なんだか普通にウィッグつけるのも有りな気がしてきたぞ。もしかしたらロング派っていうだけかもしれないし」
「こんなに可愛いんですからきっと好きな方も振り向いてくれるはずです!」
「……気づかれるとまずいけど。でも、変装してるのに気づくってそれはもう愛だもんなぁ!!」
「……ん?」
あれ。さっきまで凄く清楚に見えていたのに、何か違和感が。変装?
私が脳内で適切な表現を探している間に、お客様はしばし考えて頷くとウィッグとウィッグネットを手に取った。
「ありがとう、利根さん。お陰で良い写真が撮れそうだよ」
「……写真?」
――そうして、レジの前でお客様とミサトちゃんと一緒にメイク談議で盛り上がって。私のアルバイト最終日が終わった。
・・・
「やっぱりお客様と喋るのって楽しいなぁ」
目をウルウルさせていたミサトちゃんと別れ、帰り道でポツリと呟く。
なんだか今日は良い仕事が出来た気がする。一抹の寂しさを感じながら、最後のお客さんの穢れの無い笑顔を思い出す。
きっと次は、いや、これからは。
トネリコ・ルリカとして、誰かを笑顔にして見せよう。目指せドームライブだ!
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