電子妖精のたのみごと
不毛な日曜日から憂鬱な月曜日に切り替わりカーテンの隙間からは白んだ空が見える。窓を開けっぱなしで寝たからか、部屋の中の空気は冷えている。
「すぅ、はぁ」
意識的に深呼吸を繰り返しベッドから出たタイミングで置き時計のアラームが鳴り始める。体内時計は今日も正確。ポンとアラームを止めて、一日が始まる。
午前六時五十分。洗濯機を回して二人分の朝食を用意して、そんな事をしていればすぐに登校時間になってしまうので手早く支度を済ます。洗面所で歯を磨いた後、ドラム型の洗濯機に洗剤を突っ込む。どうやら妹はいつの間にか風呂に入っていたらしい。
「下着はネットに入れてください」
届かない独り言を漏らしつつ無造作に洗濯機に突っ込まれていた水色の下着上下セットを洗濯機から取り出す。パッド付のキャミソールでも買ってやればこの面倒なひと手間から開放されるのだろうか。
まったく何でこんな事をしないといけないのだろうか。
母さんから頼まれたと言えばそこまでとはいえ、妹の下着に触れるのは妙な忌避感がある。思春期の女の子がお父さんのパンツを嫌がるのと同じ感じなのかもしれない。
つまり、妹のパンツはオッサンのパンツと同義だ。
「めんど」
ネットと下着を手にため息。
掃除洗濯朝夜調理をこなしてみると全国の共働き主婦の苦労が少し分かる。その上で子育てまであるのだとしたら。少なくとも僕は出来そうもない。妹の世話すら満足にする気もないのだ。薄々と自分の性分を理解しつつあるけれど、どうやらこのままいくと生涯独身生活が待っている予感。もし一人暮らしをするなら静かな場所で暮らしたいなぁ。
……ところで。
パンツとショーツの違いって何だろう。パンツとズボンの違いみたいなものだろうか。妹の下着を見下ろしながら考えるも答えはでない。
「なに見てんの。欲しいの?」
妹が現れた。
「エリちゃん。パンツとショーツの違いって何だと思う」
「知らない」
妹はパッと僕の手から下着を奪うとそのまま洗濯機の中へ投げ込もうとするので。
「ネット」
「やっ、る」
普段の調子で「やって」と言おうとしたものの踏みとどまったらしい。
多少の恥じらいが芽生えたらしい。普段から人任せにしていても、目の前でやられるのは話が違うらしい。
「にしても起きてるなんて珍しい。学校行く気になった?」
「これから寝るの」
バタンと洗濯機の蓋を閉じると妹が後ろからくっ付いてきた。ケンタウルスである。
「エリちゃんが何しててもどうだって良いけど、兄はこれから学校に行くから離れてよ」
塩対応のアイドルよりも多めの塩で妹に接するが、さすがはエリーゼ。その程度で挫けるほど甘やかされ慣れていない。特に離れる事なく妹は僕に頭を押し付けたまま。最終的には助けられる事を確信しているご様子。
「会社の人に呼ばれた」
自分から口を開くとは珍しい。ケンタウロス下半身担当が呟いた。
「会社……。社会人ごっこ?」
「違う」
「会社名は?」
「ラインオーバー」
一線越えた冗談だろうか。どこかで聞いたようなそんな事も無いような、有りそうで無さそうな会社名は咄嗟に口にしたにしては現実感があった。
「一人じゃ行きたくない。今までお母さんが一緒に行ってくれてた」
「じゃあお母さんと行きなさい。たしか今は出張で長野県にいるから呼んできなさい」
ギギギとケンタウロスの結合部が締め付けられる。
「痛たたっ、分かった分かった。エリちゃん、いまスマホ持ってる?」
「持ってる。けど待って。デイリーボーナス受け取ったとこだから」
妹はケンタウロス形態を維持したままショートパンツのポケットから取り出したスマートフォンを操作する。
「ん」
受け取ったスマートフォンの連絡先をタップ。さらに通話ボタンをタップ。するとワンコールで通話が繋がる。
「もしもし、リリー?」
厄介なポンコツを押し付けて行った元凶の名を呼ぶ。
『礼? 珍しい。エリーがどうかした?』
すごく冷たい声色がスピーカーから聞こえてくる。
我が義理の母にして妹の実母。名はリリー。本名はもう少し長かった気がする。
仕事は服飾系。親しくなればなるほど対応がドライになるタイプの人。父さんとかもはや会話も無く顎で使われている節すらある。
つまり。妹のコミュニケーション能力は母親譲りという事だ。
「エリちゃんいきなり会社員ごっこはじめたんだけど」
『ああ、そういう』
理解が早い。一秒ほどの沈黙の後。
『エリーはバーチャルアイドルとして配信活動に勤しんでいるの』
そんな事を言い出した。
「バーチャル……」
バーチャルアイドル、主に動画サイト『ユアチューブ』で活躍する二次元のアイドル。
もとはブイチューバ―とか呼ばれていたらしいけど。
うちの妹がアイドル? ははっ。
しかもエリーゼ唯一の取柄の外見を封印した上でのアイドル活動?
イラストよりも本人映した方がよっぽど注目を浴びそうだけど……。
冗談のような話が眠気を帯びた脳に突き刺さる。
何か配信活動をしているのかなとは察していたけど、アイドルとは予想外だ。隣の部屋から聞こえてくる語彙力の欠片も無いゲーム実況はさぞ過疎配信だろうと哀れんでいたと言うのに。バーチャルアイドル、つまりはマリリと同じって事だろうか。
『エリーはただのニートではなくて、遊んで金稼いでいるニートなの』
「ニートじゃないっ」
叫ぶなら離れてくれ。
『下の方からエリーの声聞こえたけど。またケンタウロスやってるの』
「やってるよ。珍しく朝から起きてると思ったらなんか言い出したから」
『なら礼が付き合ってあげて。会社に苦手な人が居るんだって。というかマネージャーさんの事苦手なんだって。私はあの変な子、嫌いじゃないけど』
「知らないよそんなの」
『お兄ちゃんでしょ。付き合ってあげて』
出た。兄が言われたくない言葉ナンバーワン。
「というか全部ほんとなの?」
改めて浮かぶ疑問。身近にアイドルやってる人が現れるとこういう反応になってしまうあたり僕は保守的な人間なのかもしれない。まだ不登校配信者の方が現実味がある。
『事実。エリーがこうなったのも礼がほっとくから。とりあえずお小遣い振り込んどくからエリーの事よろしく』
「金で解決を――」
僕の反論を待たずプツンと通話が切れた。
「はぁ」
スマートフォンを妹に返し、面倒を噛み締めながら話しかける。
「エリちゃん、アイドルだったの」
「うん。バーチャルの」
「じゃあ打ち合わせってのも」
「ほんと」
「時間は?」
「四時ごろ」
「場所は?」
「軽い打合せだから、近くのカフェで良いって。エリがたまに行くとこ」
なるほど。放課後すぐに帰って来るか分からないから朝から、いや、一昨日の夜から頼み込んでいたのか。
というか、バーチャルアイドルって打ち合わせも画面越しじゃないのか? そんな疑問を口にしようかと思ったがこれ以上妹に構っていては遅刻してしまいそうだ。
「……面倒だけど。今日だけな」
まったく、エリちゃん係は世知辛いぜ。
「約束?」
「約束約束」
妹の頭を鷲掴みにして強制合体解除。
まったく。
「ところでさ、一昨日言ってた二十万ってまじ?」
「まじ。エリ、レーの百万倍稼いでるよ」
得意げな妹の顔
よし決めた。
約束は破ります!
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