電子妖精とおでかけ/悪魔の誘惑
かけがえのない学生生活の一ページが何の実感も無く過ぎ、放課後となった。模型店にでも遊びに行こうかなと思いながら下駄箱から出ると外がざわついている。
「わぁめっちゃ可愛い、どこの子だろ」
「ね。着てる服もお洒落だし。読モ?」
とは女子達。
「オレ、ちょっと声かけよっかな」
「なんだよお前ロリコンかよ」
「ちげーし、というか、誰待ってんだろ。彼氏かな」
とは男子。
「あ。レー」
とは妹。
ばっちりと目が合ってしまった。腐っても妹。僕が約束を破り逃げ出す事に勘づいたらしい。女の勘と言うのは恐ろしい。
「……」
ふと思った。こんだけ目立って平気な人間がどうしてあんな生活をしているんだ……。
妹は相変わらず人類受けの良い見た目のお陰で良くも悪くも悪くも目立っている。ダボッとした大きなトレーナーに細いジーンズにスニーカー、そして黒いキャップ。
さほど珍しくも無い恰好だというのにこの騒ぎ。高身長では無いものの手足が長く、日常の風景には溶け込まない妹は帽子で顔を半分隠していても人目を惹く。
そしてそんな妹の視線の先にいる僕に視線が集まる。見た目で言えば類似性無し。あらぬ噂が立つ確率は非常に高い。
ピピピ、妹への好感度が5下がった。
「レー、逃げそうだったから迎えに来たよ」
得意げに笑う妹の後ろにはタクシーが控えており、金を持っているというのは本当らしい。中学生がタクシーを乗り回すとは世も末だ。
じろじろと見られながら妹が被る黒キャップのツバを小突き、タクシーの後部座席に乗り込む。
「どこいきます?」
「レー」
「僕は場所知らないから」
「……ここ。いつも打ち合わせはここでやってる」
スマホに表示された洒落たカフェの住所を僕に見せる妹。その調子でよくここまでタクシーで来れたな。
「すみません、ここまでお願いします」
「はいよ」
タクシーが走り出す。心なしか、運転手さんの視線が痛かった。
・・・
「質問なんだけどさ。男女平等の時代だとは思うけど十代の男女がタクシーに乗って女の子の方が支払いを担当するって世間的にはどうみられるんだろ」
「駄目男。ヒモ。おとーさんみたい」
「なるほどね」
遠ざかっていくタクシーを見送っていると、なんだか涙が出そうになった。
「エリは気にしないけど」
「世間知らずだからね」
とりあえず会話を切り上げて洒落たカフェの扉に触れる。店の落ち着いた雰囲気は妹の付き添いとはいえ馴染みが無くて入り難い。
やや緊張しながらカランコロンと扉を開けると店内から漂ってくるのは紅茶の香り。アイスコーヒーが飲みたかったけれど、紅茶メインのお店なのだろう。
「あるよアイスコーヒー」
妹はそう言いつつ僕を後ろから押す。
「もしかして盾にしてる?」
「してないけど」
どうやらすでに妹の苦手な相手がいるらしい店内を見渡す。客は奥の方に一人しかいない。なんとなくマネージャーっぽい姿だなと思っていると、案の定その席に座っていたパンツスーツ姿の小奇麗な女性が立ち上がった。
「エリさんっ! こっちです! あなたのミカがここに居ますよー!」
あっ、あの人妹が苦手なガツガツ系だ。
一瞬で妹が嫌がっていた理由を察する。
「ん、誰ですかその男。もしかして、もしかして不審者! おのれ私の天使に」
ドドドドと駆け寄ってくる成人女性って怖いな……。
「さあエリさん、私の傍に、その男は危険です!」
「イヤ!」
「い、イヤ!? 何故ですか!」
「お、お兄ちゃんだから!」
珍しいお兄ちゃん呼び。フリーズする成人女性。というかマネージャーさん。
芸能事務所って人材不足なのかな。
「お、義兄さん? わたしの?」
「エリの!」
「oh、それは。麗しのお義母さまでは無かったので私としたことが早とちりを」
ブツブツ言うマネージャーさん。
「僕もこの人苦手だな」
「ね」
僕らは嫌々ながら席に着くと、先ほどの出来事が無かったかのように接客してくれるウェイトレスさんにアイスミルクティーとアイスコーヒーを注文する。
「ケーキ食べたい」
「でしたらケーキセットはいかがですか? 日替わりで、本日はショートケーキです」
「ショートケーキはダメ。他のがいい」
妹にしては強めの語気。
「エリちゃん、べつに僕が食べる訳じゃ無いんだから」
「ダメ」
ウェイトレスさんを見れば少し戸惑っている。マネージャーさんもこの様子の妹は見慣れないのか固まっている。……仕方のない妹だ。
「すみません、僕がショートケーキ苦手なもので。あの他のケーキって」
「では今日は特別にチーズケーキのセットにしちゃいます。いかがです?」
「うん。チーズケーキ、好き」
妹の表情が和らぎ、場の空気も弛緩する。美形が不機嫌だったり無表情になると緊張感が凄いんだ。
「それじゃあミルクティーの方をセットで願いします。僕はアイスコーヒーだけで」
注文一つでこの時間のかかりよう。
「レー、チーズケーキ食べないの?」
「僕はいいよ」
「んん」
不満そうだ。
そんな僕らの不毛なコミュニケーションを真正面でじっと見ている人が居た。
「……見た目は全然違うけど確かに兄妹味を感じるかも。これはこれで」
不審者がコクコクと頷いている。
「それでエリちゃん、今日はどういう用件なの」
「グッズだって」
「なんの?」
基本的に妹は一言二言足りないので意図が伝わりにくい。こんなんでよくアイドルやれてるな。……やれてるのか?
「というか冷静に考えてブラコンの妹ってアリアリじゃん。最高じゃん。挟まりてぇ」
キモい。
「キモい。マネージャー。そろそろ社会人して」
見かねた妹が珍しく人を正している。
「おっと。私とした事が失礼しました。まずは自己紹介から。ラインオーバーでマネージャーとして妹さんを担当させて頂いております間宮ミカと申します。こちら、名刺です」
切り替えは出来るタイプらしい。間宮さんはキリリとした仕事の出来そうな表情を浮かべる。
「あ、どうも。エリーゼの兄を担当している綾野礼です」
右手で名刺を受け取る。名刺なんて初めて貰った、もしかして両手で貰った方が良かったのだろうか。物珍しくて眺めてしまう。名刺には当たり前だが電話番号やメールアドレスが記載されている。
ところで、ここでこの名刺食べたらどんな顔するんだろう。そんな事を思いながら二人の様子を見つめる。基本的に僕の役割は妹を連れてくるまでで終わり。これ以降は眺めている他ない。
「さっそくなんですが、今日はこちら確認をして頂きたくてお越しいただきました」
間宮さんがカバンをゴソゴソとしている間に注文していたドリンクとケーキが到着。
「ここのチーズケーキ美味しいんだよ。食べる?」
「いいって」
「それじゃあエリさん私がいただきます。あーん」
「グッズ出して」
妹の恐ろしく平淡な声が響く。
「……はい」
そうしてテーブルに三つのキャラクターグッズが並べられる。大きさは五センチほどの二頭身のぬいぐるみ。キャラクターがプリントされたマグカップ。そして。
「ピンバッジ?」
「エリが付けてるの」
「キャラがってこと?」
「うん。そろそろエリオットの誕生日だから。それを記念してのグッズ」
バーチャルアイドル。
それほど詳しいわけではないけれど、その存在は知っている。2Dもしくは3Dのモデルを用意して、そのモデルを現実世界の人間の動きをトラッキングして動かす。らしい。
全て真野先輩からの受け売りだ。
そしてこのピンバッジは妹が使用しているモデルが付けているアクセサリーの立体化というわけで、つまりオタクが欲しくなるやつだ。やっぱりアニメでも何でもキャラクターが描かれたグッズよりもそのキャラクターが使っているグッズの方が欲しいもんな。
「エリちゃんがやってるキャラってマリリちゃんだったりする?」
もしそうだとしたら、点と点がつながったような気持ちよさだ。真野先輩が前々から口にしていたバーチャルアイドルの正体が妹だった!
とかだったら別にテンションは上がらないが伏線回収されたような爽快感が得られそう。
「あっ」
僕の発言に何故か固まるマネージャー。
「…………」
沈黙の妹。
「ん?」
訪れたのは正解のファンファーレではなく気まずい空気だけ。
僕、なにかやっちゃいました?
「ええっと、そのマリリちゃんはなんというか。エリさんのライバルと言うか宿敵というか怨敵というか」
間宮さんが気まずそうに口を開く。
「エリさんが活動を始めてから二年。マリリちゃんは他社でエリさんより少し前にデビューしておりましてそのなんというか。エリさんも人気なんですが、いつも一歩先を行かれてしまうというか、マリリちゃんも普段は優しいのにエリさんには当たりが強いと言うか。私としては良いプロレス関係だとは思っているんですが、そのエリさんがそのー」
「というかなに。レーってバーチャルアイドル知ってたの好きだったの?」
露骨に冷ややかな声色を出す妹。
「いや。マリリちゃんしか知らない。というかなに、マリリちゃん以外にバーチャルアイドルっていたんだ」
「クッ」
ドン!
「うわ、びっくりした。エリ、床ドンしない」
「じゃあ煽んないでよっ!」
どうやらこれは効くネタらしい。ふーんそっかそっか。
「家じゃないんだから止めてよね。ピピピ、妹への好感度が10下がった」
「ぐぐぐ」
「と、とにかく。エリさんの前ではマリリちゃんの話は無しでお願いします。機嫌が急降下するので」
「へぇ。後でマリリ見てみよっかな」
「……」
妹、無視。
基本的にストレス耐性が無いのだ。
打たれ弱く蝶よ花よと育てられたガラスハートのお姫様。さっきは隙があったのでつい煽ってしまった。人怒らせるのって少し面白――っと、いけないいけない。自分がそういう感性なのはともかくとして、あんまり意地悪なのは控えおろう控えおろう。
「別にエリーゼ不機嫌にさせたって問題ないですよ。すぐ忘れて元通りです。記憶力ゼロなんで大丈夫です。ほら、カランコロン音がするでしょう?」
妹の頭を両手でぐらぐら揺らす。
「頭に触れるなんて裏山……。あ、いえ。エリさんはもうちょっと賢いですよ。ね、エリさん」
「……もうちょっと?」
「あ、ちなみにこの子がエリさんです」
間宮さんはタブレットを取り出すとヒラヒラと可愛いドレスを着た可愛いお姫様を表示させた。どことなく妹に似ている。
「エリオット・リオネットちゃんです」
「略してエリちゃんか」
「実家暮らしの方は実名と近い方がうっかりご家族に名前を呼ばれてしまった場合に誤魔化しがきくので」
「なるほど。じゃあマリリちゃんは真理ちゃんかな」
「レーきらい」
珍しく兄妹で意見があったところで、机に並べられたグッズを眺めると、思わず感動した。してしまった。
それはある種の『証』のように感じたからだ。
「……へぇ」
それ以降、言葉は続かなかった。
先ほどまで小馬鹿にしていた妹に対する感情はどこかに消えて、なんというか。凄いじゃん。と思った。
素直に、感心した。
どういう活動であれ形に残る結果を出せる人間は多くはない。きっと妹なりに頑張ったのだろうなと。兄は感動していた。
ピピピ、妹への好感度が数字にはならない程度に僅かに上がった。
「ところで。グッズは家に送ってくれればよかったのでは?」
「そんな事したら会う理由が無くなっちゃうじゃないですか!」
大丈夫か? ラインオーバー株式会社。
・・・
打ち合わせが終わり、妹に出して貰ったタクシー代でアルバイト先に到着。
「自転車より楽だなぁタクシー」
当たり前の感想を口にしつつ雑居ビル二階に上がる。
ガレージイイダ店内には数人の客。見なれた人もいれば、コスプレだろうか、王子様みたいな恰好をした子供もいたり。相変わらず変な街だ。
バックヤードでエプロンに着替えて店に出ると。
「じゃーん! マリリちゃんかんせーしましたっ!」
上機嫌な真野先輩が完成したマリリちゃんフィギュアを勢いよく見せてきた。灰色の樹脂粘土のボディはなんというか――。
「すごい、めっちゃ凄い!」
めっちゃ凄い!
素直に感心してしまうクオリティ。凄い! さすが真野先輩! マリリちゃんの複雑なドレスが完璧に再現されている。再現されている!
「持ってもいいですか」
「いいよー、パンツまでしっかり見ちゃってよー」
すごい、マリリちゃんこんなパンツを履いていたんだ!
「マリリちゃん、可愛いっすね」
「でしょ。という事で回収」
「あっ、マリリ」
没収されたマリリちゃんを未練がましく眺める僕。
「んー? どしたん綾野っち、なんだか普段と違う。バーチャルアイドルに興味出た?」
「そのフィギュアのクオリティが凄いんですよ。お金貰えるレベルですよ」
見れば笑みがこぼれる程の完成度。マリリちゃんにがぜん興味が沸いて来た。
とりあえず帰ったらマリリちゃんの配信見ようかな。あの妹にダメージ与えられるとはバーチャルながら大したものだし、気になる存在だ。
「そこまで褒められると照れるなぁ。こんど複製してやろう」
「一生ついて行きます」
「……たまにキミから犬の尻尾がみえるよ」
実家の犬を思い出すような表情をする真野先輩はともかくとして、そうなると飾る場所考えないと。玄関リビング、いや、神棚だろうか。
「そういや綾野っち、ラジオ好きだっけ」
「え? まあ。主に芸人ラジオですけど」
唐突な質問に一瞬戸惑う。真野先輩とはバイト中によく話すものの、ラジオについて聞かれたのは初めてかもしれない。
「けっこうお笑い好きだもんねぇ」
真野先輩は猫背を伸ばしながら何やら考えている様子。
「にわかですけどね」
「メールとか送る? 大喜利みたいなヤツ」
「コーナーですか。まあ送ってますけど、たまにしか読まれませんよ」
「読まれるだけ凄いじゃん」
なんとなく人に言いづらい趣味だけれど、真野先輩であれば特に気兼ねは無い。
「それがどうかしました?」
「いやさ、マリリちゃん気になってるならコレ、応募してみたらと思って。面白ければ採用されるみたいだし。グッズも貰えるよ?」
差し出されたスマホの画面にはマリリのSNS。固定された呟きには……。
「#マリリ祭り?」
「そう。大喜利考えられるなら企画もいけるかなって」
「いけるかなぁ?」
別物じゃない?
いるんですよね、そういうのごっちゃにしちゃう人って。とは真野先輩には言わない。
真野先輩がごっちゃにするという事は、同じモノだという事なのだ。考え改めます。
「バーチャルアイドルって結構色々な企画やってるからさ、たまにこうして視聴者にも募集してるってわけ」
「ゲームオンリーかと思ってました」
うちの妹みたいに。
「そんなエリリじゃあるまいし。俺は見た目以外に興味無いけど、マリリはファンサも凄いらしいし推す価値アリアリのアリなんだってさ」
「へえ」
さりげなくディスられた我が妹はどうでもいいとして。
「企画かぁ」
ふと先ほどの喫茶店のテーブルに並べられたグッズが脳裏に過ぎる。
「ちょっと、考えてみようかな」
自分も何か。
してみたくなった。
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