メイド・イン・マリリ


 見慣れた夢の中にいる。

 どこにでもあるような道路沿いの歩道。近くにはライブハウス、遠くにはケーキ屋がある。

 ただ、それだけの夢。


・・・


「っ……はぁ」


 八月最初の土曜日。

 寝苦しさから目を覚ませば、まだ朝の八時だというのに気温は三十度を超え猛暑の兆しを見せていた。寝起きの回らない頭でスマートフォンを弄り本日の空模様を確認すれば雲一つない快晴とあり昼頃には四十度近くになるらしい。


 この暑さ、――八月はうんざりする。

 ぐっすり寝ているつもりでも嫌な汗をかいて目が覚める。

 気晴らしに枕元に置いていたワイヤレスイヤホンを耳に差し込み音楽を流すと、明瞭で透明感のある力強い声が聞こえてくる。

不快な気分を吹き飛ばすような、文字通りの清廉さ。妙な高揚感と寂しさが同居する歌声は唯一無二の響きだ。


「……」


 昨夜の事を思い出す。

 強引と言う他ない勧誘。バンドやろうぜ、なんて自分の人生で言われるとは思いもしなかった。まるでノリと勢いで走り出す高校生の夏休みみたいだ。


 ――欠けた胸の隙間。


 星野晴の言葉が頭から離れない。


『綾野クンさ、人に言ったこと無い……言うまでもないと思ってるイヤなこととか苦しいこととかない? そーいうの書き溜めてみてよ。ちょっと詩っぽい感じで。んで、明日の夜、ここでもっかい会お☆』


 昨夜、別れ際に言われた言葉だ。

 僕に人を見る目があるとも思わないけれど。星野さんに清廉、あの二人が本気なんだろうなぁというのはなんとなく伝わって来た。

 本気で、ベース二本でバンドを組もうとしている。ベース二本ってなんだ。今までバンドの構成って意識した事無かったけれどベースだけじゃ彩りに欠けるだろ。


「……」


 机の上にチラっと視線を移せば開きっぱなしのノートが見える。

 

『打席に。いえ、マウンドに立ちなさい綾野。勝負の舞台に立たない男の子は恰好悪いわよ』

『言い直してまで滅多打ちにしようとするんじゃない』

『ふふふふ』 


 清廉からも別れ際に痛烈な一言を貰った。勝負の舞台に立たない――これだけで『女子中学生日記』の件は流してくれても良いレベルだと思うほどだ。


 ああ、そうだよ清廉。

 正面からキミの歌を笑った僕にはそう言われるだけの責任がある。キミには僕を批評する権利がある。

 ここで作詞なんてしませーんっと逃げたらもうキミの歌声を素直に楽しめなくなるだろう。それは……あまりに惜しい。


 だから。

 帰宅後、断頭台に向かう気分で色々とノートに書き連ねた。

 たった一日という期限もありがたかった。ほら、やっぱり無理でしたよと言うためだけにシャーペンを握った。絵を描いたことも落書きをした事もない、勉強以外でノートを使うのは初めてだった。それでも、僕のような冗談と皮肉で構成された人間からは何も出てきませんでしたと言うつもりで――。


 めっちゃ出た。

 とめどなく、苦々しいものが溢れ出た。

 最初の方はそれっぽく、流行りの歌の歌詞を参考にしようと思ったけれど……いつの間にか没頭していた。たぶん、2、3曲分ぐらいは出た。それはもう自分の中にこれほど溜まっていたのかと…………。

 さっきから僕の表現良くないな。途中からお手洗い事情みたいになっている気がする。なにか違う表現があればそっちを採用したいのだけれど――。


 ・・・


 僕はノートに思いのたけをぶつけたのだ。

 人に言わない事、笑い話にならないから言う必要も無い事。そういう気持ちのストックは随分と溜まって、いや蓄積していたのかもしれない。

 結果、僕は一晩かけて黒歴史ノートを完成させてしまっていた。

 子供の頃から深夜ラジオにメールを投稿していたからか、自分の考えを出力する作業には慣れていたのかもしれない。


 でも。

 これを人に見せる? いやいや、とんでもない。

 笑い話を愛する僕からこんなものが溢れてしまうだなんて誰にも知られたくないほどだ。こんなもので喜ぶのはそれこそ知り合いのシスターくらいなもので――。

 ……これを歌詞として提出したら清廉に滅多打ちされるな。

 清廉が作ったという曲、僕が勝手に女子中学生日記と名付けたあの曲は。ありきたりな歌詞の中に、前向きだったり人を元気づけるような思いが込められていたような気もするし。

 僕の歌詞は清廉の予告通り滅多打ちにされるに違うまい。


 ノートをパタリと閉じ、天井を眺めていると。


「こんこん、エリちゃんが起こしに来てあげたよー」

「はいありがとー、お帰りくださーい」


ベッドの上での不毛な思考を遮るように、荷物をもった妹がのそっとやって来た。


「レー今日はどこ行くの、塾休みでしょ、そと暑いよ、家にいよ?」

「昼前までは家いるけど、今日はバイト行って、それから変な人に会いに行く」

「バイト行くならプラモ欲しいなぁ。ん……変な人?」

「歌が得意な変な人と楽器の演奏が上手い変な人」

「レー。ともだちは選んだ方がいいよ。家にちょーど良い子いるでしょ。最近ライブ終わって暇で、すっごく可愛い妹とか」

「妹か。そう言われるとそんなのも居たような……いや、どっちだろうな。今、二択で迷ってる」

「一択なんですけど」


 七月末にエリオットの記念ライブ配信を行い歌って踊ってクイズした結果、事務所から夏休みを貰った妹は暇を持て余しているらしい。絶賛不登校中とはいえ中学校から夏休みの宿題は出ているはずなので兄としては多少勉強して貰いたいところだけれど……。

 ま、そのあたりは最近復縁した妹のお友達のなっちゃんになんとかして貰えばいいか。  

 僕は僕で自分の面倒を見なくてはならないのだ。

 いつまでもエリちゃん係ではいられない。


「というかエリちゃん、さっきから何持ってるの?」

「あ、そうだ。エリの頼んだゲームと一緒に置き配で届いてたよ」


 妹が持っていたのは縦横奥行四十センチほどの段ボール箱。


「なに買ったの?」

「なにか頼んだ覚えはないけど」


 妹から段ボール箱を受け取ると、妙にズッシリとした重さが伝わって来る。段ボールに貼られた宅配便の伝票を見ると送り主は……霧江茉莉花。

 まだ開封していないというのに禄でも無い物が入っている予感しかしない。


「これ名前? きり、え?」

「きりえ、まつりか」


 いつだったか本人が文句を言っていたけれど、こうして見ると確かに画数の多い名前だ。


「女? ふーん、兄には清いお付き合いをして欲しいものですけどね」

「小姑エリちゃん……」

「開けないの? それともエリがいると開けられないの」

「べつに隠すようなものじゃないはず」


 なにか思う所がありそうな妹に促され段ボールを開けると――。


「うわっ、レー、変なの入ってる!」


 妹がイヤそうな顔をして箱の中身を指さす。

 中に納まっていたのは一見すれば可愛らしい大きなぬいぐるみ。


「これはまさか、最近クレーンゲームに並び始めたという二頭身マリリちゃん人形」

「無駄にデカい」


 段ボールから高さ三十センチから四十センチほどの二頭身マリリちゃんを取り出す。

 マリリのキャラクター造形は好きだけれど、こんなグッズが出るほど人気なんだあの人……。

 妙にずっしり重いマリリちゃん人形を眺める。


「お尻からケーブル出てるよ?」


 USBケーブルがマリリの尻から伸びていた。目が光るとか一人で数時間喋るとか、電源を必要とするギミックが内蔵されているのかもしれない。


「……エリちゃんこれいる?」

「いらない」


 さて、送り返すかなと思った瞬間――。

 ポンッとスマートフォンが揺れた。


『マリリちゃん人形届いたかなっ? 電源に挿して部屋が一望できるところに置いてね! なんとラジオが聞けるんだよっ! マリリの服にボタンみたいについているつまみを捻るとボリュームとチューニングを弄れるからね。それ以外は何も入ってない安全な人形なんだよ!』


 マリリにしては短めのメッセージが届く。

 僕もラジオは好きだから去年の夏に市販の自作ラジオを作ってみた事があるけれど。こんな重さになる訳が無いんだよなぁ。


「エリが捨ててこよっか」

「人形捨てるのってなんか後ろめたいじゃん。マリリ人形ならなおさら呪われそうだし……とりあえず、電源入れてみよっか。エリちゃん、USBをコンセントに挿せるようにするやつ持ってる?」

「もってる」


 妹はそう言うとパタパタと走って行き、パタパタと戻って来た。


「じゃあ電源につなげて……」


 マリリちゃん人形を電源に接続すると、中身からウィーンと小さな起動音が聞こえて来て。

 マリリちゃん人形の右目のクリアパーツが赤く点滅。びーぷーと音を発し、グルリと何かの挙動を確認するようにマリリちゃんの首が一回転した。


「……」

「うわ、きも」


 妹がツンツンとマリリちゃん人形を突く。

 ポンポン、と再びスマートフォンにメッセージ。


『えっとね、WiFiに接続すると色々安定するから! SSID教えて!』

『悪用しないから、お願いお願いっ』


 SSID……わかっちゃった。この重さの原因。

 訴訟の際に物的証拠として一度アクティブ状態にしておいた方が良いかなと思い、SSIDを教えてみると。


「すっっご! 見えてるじゃん!」


 屋外から……。

 屋外から妙に聞き覚えのある声が聞こえて来た。


「レー、どうして天井眺めてるの」

「ついに一線超えて来たなって」

「?」


 意を決して窓際に移動してスッと外を覗いてみると……見覚えのあるショートカットの女と目が合った。

 目が、合ってしまった。

 女は一瞬固まった後、まるで清涼飲料水のコマーシャルみたいなこの夏一番の笑顔とピースサインを僕に向けた。


「見てレー。この人形あたま動かしてる。なんかロボットみたいだ」


 妹が人形で遊び始めたのを横目に何故マリリが我が家まで来たのかを想像してみる……。

 なるほど、家庭用見守りカメラの機能をアクティブにするには自分のスマートフォンと設置先のWiFiを同期しなくてはならずここまで来たのか……。

 モバイルWiFiを埋め込まなかったのは良心ではなく、技術的問題に違いない。

 


「ね、このつまみ回してみていい?」

「いいよ」


 妹がマリリちゃんのつまみを捻ると、ジジ、と音がしてからどこかの電波を拾い始める。

 きっとどうにか電源を確保したくて『そうだ! あやのんラジオ好きだからラジオ付ければいいんだ! わたしちゃん天才っ』と思いついてしまったのだろう。


 結果、ラジオと見守りカメラの電源を纏めるに至った。あの女、充実したストーキング人生のためについに電子工作を身に着けたらしい。そのうちスマートフォンに勝手にGPSアプリとか入れられそうだな僕。

 念のためスマートフォンのアプリを確認していると、ポンとメッセージが届く。


『それ、マリリだと思って大事にしてね☆ それじゃーお仕事いってきまーすっ!』


 窓の外を眺めると上機嫌で仕事に向かっていく女の後ろ姿が見えた。僕も何だかんだマリリに甘いというか、つい許してしまう所があるけれど……。


 マリリさん。これ、アウトです。

 


==========


プレゼント回でした。

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