妖精郷
結局。謝るアンジェによって僕は帰らされた。
クロスバイクに跨って軽快に帰る気分にもならず、一人虚しくハンドルを押す。
アンジェ先生のお気持ちには応えられず、かける言葉も見つからなかった。
言葉を阻む微笑の仮面は厚く、きっと、次に話せる日は来ないのじゃないかという予感もあるし、次に会ったとしても何と言えばいいのかも分からない。
きっかけとなった事務所の問題。
彼女の事務所が微妙そうだというヒントは散らばっていたけれど、だからと言ってただの高校生の僕がどうこう出来る問題では無かった。それは間違いない。先月のドタバタと一緒だ。妹のアレコレであれば世話を焼く理由もあるけれど。今回はきっとどうしようも無かった。
僕に、落ち度はない。そのはずだ。
つまり『事務所のあれこれ』については無罪。
ただし『アンジェのあれこれ』については……。
アンジェはどうやら僕個人に重い思い入れがあったらしい。アンジェ自身もああして爆発するつもりは無かった様子ではあったけれど。どうにも僕という奴はうっかりアンジェの琴線にふれるイベントをこなし、スマートフォンを忘れてアンジェからの連絡に気づかず、タイミング悪く教会に訪れて『アンジェの本心』に行きついてしまった。その点に関してはどうにか出来たかも――。
いやいや、難し過ぎる。絶対無理。
今思えばほとんど初対面の女の子にああしてマンツーマンのレッスンをされること自体おかしいと言われればその通りだけど。あのレッスンの中でアンジェは僕を見定めて、解釈違いに気がついてしまった。
「……」
今になって懺悔室の必要性が理解出来た。
知り合いに話す内容でも無いけれど、自分一人では持て余す。空腹は最高のスパイスとは言うけれど、これだけ胸いっぱいでは数時間後の焼肉なんてとても楽しめそうにない。
カラカラとクロスバイクを押していた足が止まり、アンジェに言われた事を反芻する。パワーワードが多すぎて一つには絞れないけれど。
一緒にジメジメ惨めにっていうのは、あんまりな生き方じゃないか。
教会からの帰り道。なんだか無性に悲しくて、何故か昔を――母と妹が現れて初めての夏を思い出した。
熱気でユラユラと道が揺らめいていたのを憶えている。
・・・
「お待たせ。暑いね、礼」
教会のブランコにぼんやりとしながら座っていると、白いワンピースを着て黒い日傘をさしたリリーが迎えに来た。まるで同じ人間には思えない手足の長さだ。髪の色も目の色も肌の色も、なんだか人じゃないみたい。
リリーはハンカチでぼくの汗をふくと、目を合わすようにしゃがんだ。
「汗かいちゃったね」
「……お姉ちゃんがおそいから」
ヒンヤリとしたリリーの掌がぼくのおでこに触れる。
「ミサはどうだった? 歌っていたりしたけど楽しかった?」
首を横に振る。
「ふふ。ねえ、礼。アナタと同い年くらいの子がいるの。知ってる? 今は外国から遊びに来ているんだけど。どうする、お友達になってもらう?」
首を横に振る。
「そう。じゃあ……帰ろっか」
リリーの腰にくっつき、教会から出ていく。
ともだち。そういうのはいらなかった。こうして現実感の無い見た目のリリーならいいけれど、そうでもない人間は生暖かくてキライだ。
キィとなる門も、大きな建物も、全部怖い場所だ。外にいると、目をつむりたくなる。
「礼、そんなにお尻にくっ付いたら歩きにくいでしょ」
「んん」
「もう、手は繋いでくれないのに。甘えんぼ」
「…………外は、くるしい」
「そっか」
足の長さはまるで違うのに、ぼくらの歩く速さは一緒だった。
ゆっくりとリリーがぼくに合わせて前にすすんでいるからだ。
「礼は他の人だとダメなのに、どうしてお姉ちゃんとなら出かけてくれるの?」
「……」
「お父さんにも触られたくないのに。お姉ちゃんには触ってくれるの、なんだか嬉しいな」
「……お姉ちゃんはつめたいから」
「えー。それどういう意味?」
「……」
「教えてくれないんだ」
くっついたリリーのカラダは不思議とヒンヤリとしていて気持ちがいい。
他の人は、カラダが暖かくて気持ちがわるい。血みたいに暖かくて、気持ちがわるくなる。
「ね、今日で四回目だけど、礼は神様見つけられた?」
首を横に振る。
「そっか。実はね、お姉ちゃんも見つけられなかった」
「そうなの?」
セミの鳴き声と揺らめく熱気。
道には二人しかいないように思えた。
リリーの影に隠れてちょっとだけ外を見ると、すごく青い空とすごく大きな雲があって、それはとてもキレイで、少しだけ息が楽になる。
涼しい風がリリーの髪を揺らす。
「そうなの。神様なんていないの、いなかったよ」
自分に言うような、確かめるような声だった。
「私にも、礼にも。救う神はいなかった。だって、いたら、酷いもの。礼は良い子にしているのに、ね」
リリーは立ち止まると、腰にくっついていたぼくを離し、しゃがみこんだ。
「人だけが、人を救えるの」
「お姉ちゃん?」
「神様がいないなら、私がその席に座る」
ヒンヤリとした手で頬を撫でられる。
「お姉ちゃんが、一緒だからね。一人にしないからね」
僕とは違う青い瞳は涙で潤んでいた。
身長は同じ人間とは思えないほど高い。
ぼんやりと記憶に残るお母さんとは似ても似つかない人。
「大好きだよ、礼。私の可愛い子。今は、私の愛で我慢してね」
それなのに。
何故かはわからないけれど、リリーに強く抱きしめられて、涙がボロボロと零れ落ちて――。
・・・
「お、レー振られた?」
キラキラとした目を向けられる。
玄関を開けた僕を発見した妹は随分と嬉しそうに満面の笑みを浮かべてトトトと駆け寄ってヒンヤリボディで抱きしめてきた。
「なんで嬉しそうなんだよ。振られてないから。ちょっと予定が変わっただけだから」
「よく喋るね。ふ、ふふ」
こいつ、半笑いだ。
カイゼル・ファントムの恩を忘れおって……。
振りほどく元気もなく項垂れると。
「ねーフラれて暇なら一緒にカイゼル作ろっ」
と、誘われる。
妹よ、二度も言うな、兄を気遣え。
「一人でやって。今はそんな気分でもないから。ふて寝したい気分だから」
「レー寝てる場合じゃ無いよ」
「なんで」
「だってカイゼルだよ?」
カイゼル・ファントムの雄姿を思い出す。
「かっこいいんだよ?」
「……なるほど」
カイゼルじゃ、しょうがないか。
残念なことに僕もカイゼル・ファントムを作りたいとは思っていた。こういうのは一人でチマチマ作るのが良いのだけど……気晴らしにはなりそうだ。
過去の経験からいって、部屋でドンヨリしていてもあまり意味が無いし。
一端、今の気持ちを先送りにしても良いかも知れない。
「わかったよ。ただし、今日の夜出かける事は許してよ?」
妹のアホ面を前にすると悩んでいるのにも疲れてきて、お腹も減ってきて……。断ろうと思っていた焼肉も美味しそうに思えてきた。
「また出かけるのー? しょーがないな。じゃ、エリはリビングで待ってるから準備して」
言われるがまま自室へ向かい、ニッパーとデザインナイフ、ヤスリ各種を持ってリビングへ戻ると妹がカイゼルの箱を開けてパーツを眺めながら「おぉ」と感嘆していた。かなり久しぶりに妹の可愛い所をみれたかもしれない。
「じゃあエリちゃん。まず、そのパーツが付いてるランナーをアルファベット順にテーブルに並べてください」
「はーい」
盛大に振られた後だというのに僕は何をやっているんだか。
「テーブルに収まらない分は箱の上とかに並べてください」
「はーい」
食器並べは面倒くさがるくせに、今回は手早く並べ始めている。
「で、説明書を見ながらランナーからパーツを順番に切り取ります」
「なるほど」
「ここで大事なのが、最初はパーツから少し離して切る事」
「なんで?」
「すぐ近くで、こうやって切ると、ちょっとパーツが白くなったりエグちゃったりするんだけど。こうして離して切った後に、もう一回切って、デザインナイフで削ってあげると」
「おー。カイゼルはキレイじゃないと」
「で、ある程度パーツを切ったら説明書を読みつつ組み立てる」
本当は作業工程順に紙コップなどにパーツを切り分けて、ランナーを先に片付けてしまう方がテーブルが綺麗になるんだけど。
急ぐ訳でもないし、今回は初心者ペースでやるか。
「じゃあレーがパーツの切り取り係でエリが組み立て係」
「エリちゃん、楽な仕事見つけるの上手だね」
「まーね」
ここで文句を言ってはエリーゼの兄は務まらない。パチパチとパーツを切り進め、デザインナイフとヤスリで処理していく。
「わくわくするね」
「エリちゃんは完成品ばっかり買うから。たまには自分で作ってみたら?」
「今回の面白さによる。レー、しっかりプレ……、プレゼンするように」
「ぎりぎり正解。プレゼンテーション。意味は資料を用いた説明や発表」
「授業はやめて」
処理したパーツを妹に渡す。
「楽しいね」
「そうかもね」
テレビもつけず。黙々とカイゼル・ファントムを作っていく。こういう二人遊びであれば、たまには付き合っても良いかも知れない。
……そうだ。壊れたなら組み直せばいいし、壊れそうなら、支えれば良いんだ。
「エリちゃん、そこパーツ違う」
「めんどくさ」
ま、色々考えるのは焼肉を食べた後でいいか。……というか僕って、メンタル丈夫だなぁ。
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デリカシーのない妹でした。
いいね、評価ありがとうございます!
そして、12月ということでカクヨムコン9が始まるみたいです、レビューやコメントを頂けると嬉しいです!
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