面の白さは百難隠す(3)

「一応言っておきますけど、ここは礼さんの家ではなく私の家ですからね。駄目とは言いませんけど、ちゃんと主と私に感謝の祈りを捧げてから練習するようにしてくださいよ」

「主よ、感謝いたします」

「私もっ」

「アンジェリカにも、感謝いたします……もう開けていい?」

「どーぞ」

「おお……ドラムだ……」


 十八時過ぎ、夏期講習の授業を終えてすぐに電子ドラムセットの待つ教会へ向かうと、講堂の中には大きな段ボールがデンと置かれていた。まさか楽器を自分で買う日が来るとは……。


「ホンモノとどう違うんです?」


 半袖短パンのルームウェアを着たアンジェは長椅子に腰を下ろしひじ掛けにもたれると、扇風機の風を浴びながら電子ドラムセットを眺めた。


「ホンモノよりは場所取らなくて、音もヘッドホンから出すかスピーカーから出すか選べるから、家でも練習しやすいんだってさ。あとメトロノームの音も出せるとか」

「へぇ。私も触ってみて良いですか?」

「どーぞどーぞ」


 物珍しそうに電子ドラムを眺めるアンジェを手招く。

 電子ドラムは多少折り畳めるものの、良くも悪くも設置型なのでセットは楽だった。中古という事でお店の人が点検ついでに初期設定もやってくれると言っていたので、すでに叩ける状態だ。

 モニターが設置された改造懺悔室から電源を貰い、スイッチオン。


「私が最初で良いんですか?」

「ん? べつに良いよ。僕は説明書読むから、はい、ドラムスティック」


 ドラムスローンに座るアンジェにスティックを渡し、僕は長椅子に座る。


「……えいっ」


 アンジェが恐る恐るハイタムを叩くとポォンとスピーカーから音が鳴る。


「わ、鳴りましたよ礼さん」

「鳴ったね」


トントコとアンジェが適当に叩く度にドラムらしい音が鳴り、目の前にドラムセットがあるという実感が湧いてくる。


「これはテキトーに叩くだけで楽しいですね」


 アンジェはスネア、ハイタムロータムフロアの順番にドラムをドコドコ叩いていき、最後にクラッシュシンバルをパーンと鳴らした。


「ふふっ、なんだかドラマーになった気分です」


・・・


 延々と同じ動作を繰り返す。機械でも可能な動きを機械以下の精度で続ける。

 3分30秒。

 星野さんが作った曲の長さだ。ぼけっとしていたらあっという間に過ぎる時間だというのにドラムを叩いていると溺れそうなほど長い時間に感じる。

 音ゲーをやった経験は数えるほどしか無いけれど、ハイスコアを目指している人はこんな気持ちなのかもしれない。

 ズレずに、間違えずに。でも、慎重になり過ぎずに。


「はあ、はぁ……はぁ」


 振り上げたスティックを――、ゆっくりと下げる。気持ちは未だ尽きる気配が無いけれど、身体の方はそろそろ限界だ。

 スマートフォンを確認すれば二十一時三十分過ぎ。

 三時間ほどずっと同じ動作を続けていたようだ。


「終わりですか?」


 長椅子に寝転び、僕が夏期講習で使っている参考書を読んでいたアンジェがのそりと身体を起こし、耳栓を抜く。


「……そうしようかな」


 そう言っているのに、三時間ずっと同じ動作をしていたので身体が勝手に電子ドラムを叩きだす。


「ドラム、なにがそんなに楽しいんですか?」

「音が出るところ」

「知育玩具じゃないんですから。もっとあるでしょ」

「そー言われてもなぁ」


 8ビートを刻みながら考える。

 音出す以外だと、僕が自分でも予想外なほど反復練習が好きだった事とか、期限が決まっているからこそやらざるを得ない事とか。

 いや、なにより、星野さんと清廉と遊べる機会は今しか無いから――だろうか。


「よくわかんないや」

「ふーん。言わないなら良いですけど。帰るなら後ろの人も一緒に連れ帰ってくださいね。ここ、一応教会なので。悪魔はご退去いただかないと」

「……悪魔?」


 アンジェの視線を追い、クルリと振り返ると。


「すぅ、はぁ、扇風機の風に乗ってさー礼きゅんの汗の匂いの特等席だねーここぉ。あ、着替えのシャツ持ってきたから交換しよ? 脱いだのは気にしないでいーから、しっかり使ってから……、しっかり洗ってから家の引き出しに入れておいてあげるからねっ」

「きも」


 真後ろには、見慣れた悪魔が立っていた。


・・・


 ガチャ、ガチャ、と門の施錠を確認し、教会から離れる。

 マリリは僕がクロスバイクに乗って逃走するのを防ぐために、先んじて勝手にクロスバイクに跨っている。まぁ、跨ると言ってもマリリの場合は……。


「あの、ふっ、マリリ。そこフレームだよ? サドルは後ろの座りやすい部分なんだけど、知ってた?」

「知ってますけど? 敢えて、敢えてのこのスタイルですぅ。決してあたしちゃんの足が短いわけではありませんので」

「妹なら問題なく届くけどね」

「未来の義妹ちゃんはさ、スタイルバグってるから。なんならあやのんより足長くない? というかさ、なにあの子。毎日人の彼氏のベッドに潜り込むわ部屋覗くわ。ちょっとどうかと思うな」


 どうかしているお前が言うな。


「マリリちゃんもそーしたいってのに、今月は一切の休み無しなんだよ? 朝から晩までずーっと仕事。仕事仕事っ、休憩の合間にサイン書いて仕事っ。だからせめてあやのん見守ろうと高性能ラジオ渡したのに全然使ってくれないじゃんっ、女心って考えたことあるっ?」


 ここ一週間くらい見かけなかったのは多忙が原因か。病まず過労死しない範囲でずっと仕事していてくれないかな。


「あのね例えばだよ? 自分がつば、もとい目を掛けている他所の子供がいるとするでしょ?」

「例え話のスタートから犯罪だよ。光源氏じゃないんだから」

「話の腰を折らないで貰えるかな。あとね、わたしも参考になるかと思って源氏物語を読んでみたけど、光源氏はロリコンではないの。光源氏は手に入らない存在を理想の女性としているの。つまりね、目的がわたしとは違うのわかるかな?」


 日本古典文学の最高峰を参考書とする女の思想などわかるか。


「わたしは手に入る実物を、どう籠に入れるか考えている現実主義者。光源氏は亡き母を求める理想主義とも言える。ね、全然違うでしょ?」

「納得したとて救いがないよ」

「結局ね、理想主義の男はダメ。この子良いかもって思っていた相手もいざ自分のテリトリーに入ったかなって思うと急に満足しちゃって態度がテキトーになったりある意味家族みたいなスタンス取り出して女心を満足させなくなっちゃうんだからっ。女はね、いつまでたってもお姫様扱いされたいの。ドキドキしたいの、新しい女が現れたらそっちに夢中になってこれまで会ってきた女にテキトーになっちゃうのはね、ほんと良くありませんからっ!」


 思い当たる節は無いもののマリリの語気とニュアンス的にどうやら僕は怒られている。


「結局ね、原点が大事。ほら思い出してみて、今のあやのんを形作る大事なピース。身長156センチくらい、体重はイチゴ二粒。髪は艶々ショートカット、おめめがパッチリしていて年上のきゃわいいお姉さんがいるでしょ?」

「えぇ? ……うーん、もう少しヒントちょうだい」

「いつまで稼げるかわからないけど現状年齢の割にはけっこうお金持ってて、まあまあ最近自動車免許取得、あと大ヒントね、向こうに見えるタワーマンションに住んでいる!」

「あっ。……いや、でも、どうだろ」

「居ないでしょ他に該当する人。迷うな、一人だ一人」

「テレフォン使っていい?」

「ちっ、はぁ、もうしゃーないな。どーぞっ、一回だけだよ?」


 スマートフォンをタップして、電話が繋がるのを待つ。

すると着信音が直ぐ近くで鳴って――。


「あ、もしもし。突然で悪いんだけど」

「なにもぉ急に。話は聞いてたけどさ、正解は霧江茉莉花だと思うよ?」

「そっちかぁ。じゃあ、それでいってみる」

「賞金出たらどっか連れってよー? じゃあね」


 通話を切り、同じく通話を切ったマリリをジッと見つめ、回答を口にする――。


「答えは」

「…………」

「霧江、茉莉花!」

「正解っ!」

「ほっ、よかったぁ」

「いやぁ、難問だったねぇ」


 死ぬ前にこの光景思い出したらどうしよう。悔いが残り過ぎるだろ。


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