面の白さは百難隠す(2)
夏期講習は今日で一区切り。
来週いっぱいはお盆休みで、その翌週にまた五日間の夏期講習後半戦が始まる。
あと、三週間で八月が終わる。
時間が減っていく。
言ってしまえば僕と清廉の為に作られた曲だ、他の楽曲をやるよりも遥かに簡単なはずだというのに。その曲をしっかりと叩き切る体力と技術が足りない。
――昼休憩の時間、塾近くの公園。
上は黒いニットのノースリーブ、下は灰色のスラックスを着た清廉は僕が自分の為に作ったホイップたっぷりイチゴとキウイのフルーツサンドを頬張り、空いた左手で自身の太ももをペチペチと叩く。
僕はそのテンポに合わせながら練習パッドを叩く。
「なんだっけ。一昨日の昼にあんたが言ってた……ワンダーフェスティ……」
「ワンダフル・カーニバル」
「それだ。明日だっけ」
「そうだけど……」
一年間楽しみにしていたお祭りではあるけれど――心情的には遊びに行っている場合ではないと思ってしまう。
「ガレージキット即売会。ちょっと調べてみたけど個人製作のフィギュアで一期一会なんでしょ? そんな楽しそうなイベント逃すなんて勿体ないじゃない。絶対行くのよ」
「でも作ってたら指切るかも」
「作るのはライブ終わるまで待ちなさいよ。買うだけ買えばいいでしょ。綾野ってさ、もしかして遊ぶの下手?」
「……そうかも」
「練習も大事だけど。ちゃんとオンオフ切り替えないと疲れちゃうよ?」
顔を覗き込まれ諭されると、頷くことしか出来ない。
週に一回か二回のアルバイトで稼いだお金も最近は殆ど使わないし、ちょっとした遊び……ゲームだったりは妹が遊んでいるのを触らせてもらうくらい。映画は小学生の頃に大量に眺めていたものの、自発的なものでもないし。学校に居る友人AとBとも休日に会うだなんて機会は殆ど無い。
ラジオを聞くのはライフワークだけれど……何かに熱中した経験は皆無だ。
『今までサボって生きて来たから、やりたいことが出来てもどのくらい練習すればいいか判断出来ないとみました』
アンジェに言われた事を思い出す。あのシスター、僕を見透かすのが本当に上手い。
「……あたしが言えたことでも無いけどね」
「清廉も遊ぶの下手なの?」
ふっと笑う清廉は遠くの入道雲を眺めた。
「というか音楽があたしにとっての遊びなんだけど。そこから外れると服を見るのが好きかなってくらいで。あと、息抜きにゲーム。でもそれってこう……なんていうのかしら」
「バリエーションに欠ける?」
「それ。雑誌の一部しか楽しめないっていうか。例えばさ綾野、パワプロやったことある?」
パワプロ……熱烈パワードプロ野球。長年続く野球ゲームの名前がゲームとは無縁そうな清廉の口から出ると違和感というか、奇妙な感覚だ。そういえばバックスターカフェで清廉に声かけられた時、手にゲーム機……梵天堂シフト持ってた気もする。
マリリもパワプロやっていたし、一緒に遊ぶ相手が居ない変な人って、疑似的な仲間を作るのが楽しいのかもしれない。
「パワプロ、何年も前のやつなら妹とやった事あるよ?」
「うちのパパがパワプロ好きでさ、普段は表情筋死んでてお堅い人なのに新作出る時は妙にソワソワしてて。そんなに面白いならやってみようかなって触ってみたらけっこーはまってさ。栄光モードとかペナントとか、あとマイライフとか。対戦は、楽しそうだなとかやってみたいなって思いつつパパ以外とやったこと無いけど」
予想以上にパワプロやっているな……。
「でさ、選手のステータス画面見て思ったのよ。もしあたしにステータス画面があったら音楽全振りでバランス悪いんだろうなーって」
闘魂、歌唱◎、協調性△、想像力△、視野×とかだろうか。
清廉は僕からドラムスティックを奪うと器用に華麗なスティック捌きを見せる。少なくとも今の僕よりは随分と手慣れた様子。演奏技術〇も追加だ。
「もちろんあたしは音楽が好きで、そういう自分がイヤだって思ったことは無いけど。清廉未羽を育成する場合は、道は一つしかないのよ。それが、ちょっと勿体なく思う時がある。色んな楽しいを知ってる人が羨ましくなる時がある」
そりゃ、ステルス戦闘機として生まれたら空を飛ぶ以外に道は無いか。
「だからさ。綾野が今まで好きだったものをバンドの為に捨てようとするのはなんか嫌なの。……どーせ今日もあんまり寝てないんでしょ。気晴らしは必要よ」
目の下に隈がある訳でもないのに、普段は察しが良い訳でもないのに。清廉は僕に関しては妙に鋭い。
確かに、夜中に目が覚めたらベッドで仰向けになりながらスティックを握り、お腹の上に乗せたマリリちゃん人形の頭をポコポコと叩いてはいるけれども……。
「なんだっけ、一緒に行くって言うあんたの推しの……まおさん?」
「真野先輩」
「どいうとこが好きなの?」
「なに急に」
「推しを思い出せば行く気になるかなって。最近、なんだかあたしばっかり話してる気がするし、たまには綾野のことも教えてよ」
「僕の事……。そうだなぁ」
僕の中には大したものは入っていないけれど、真野先輩の話であればはっきり憶えている。
清廉から受け取ったドラムスティックを収納袋に収めながら……記憶を遡る。
今さら改めて真野先輩について考える機会もないから、たまには美少女を造形するマシーンとなってしまった悲しき真野先輩の輝かしい時代について思い出してみるか。
「かっこいいもの。ロボットとかドラゴンとかさ、そういうの好きだったから。そういう作品作ってた真野先輩は凄いってだけの話なんだけど――」
中学生に上がるかどうかの頃。模型店のショーケース前で僕が小さい頃にやっていたロボットアニメの主役機のフィギュアがあってぼぅっと眺めていた。
そのフィギュアはガレージキットと呼ばれる個人製作の二次創作で、店主にそれは高校生が作ったものだと教えられた時は凄く驚いたのを憶えている。
けれど。
まるで手の込んだドミノ倒しみたいな不運で、結果的に僕はガレージキットが飾られたショーケースにぶつかってしまい、更に不運なことにそのショーケースは簡易的なものでグラついて、しかも鍵がかかっておらず――。
「そんなこんなで、ロボットがショーケースから落ちちゃってさ。……その時、取り返しのつかない事が起きてしまったってゾッとした。この世に二つとないものがまた欠けてしまったって。でもさ、真野先輩はそれを見ても怒るわけでも無く、あちゃーって言うだけで。一時間くらいで直したんだ。……覆水を盆に返した。しかも、僕にそのロボットをくれた。ガレージキットの原型だ。変えの効かない、たった一つのもの。そういうものを与えられる人だから、真野先輩が好き」
僕が好きな大量生産の良いところは替えが効くところだ。そう言うところが好きだったけれど。――本当に好きなものは、変えの効かない特別なモノ。
『あれ、キミまだ居たんだ。おじ、店長から聞いたよ? そんな落ち込まないで、キミのせいじゃ無いって……。あ、そうだ、これあげるから元気出しな。カッコいいっしょ?』
壊れたものを直せる人。
良く知らない子供を慰めるために、自分が大事に作ったものを惜しげもなく渡せる人。
ああいうのをヒーローと言うのだろう。
「あの時は、かっこよかったなぁ」
「あの時。今は?」
「爆……いやアメ車大きな男子大学生になってしまった」
「爆……?」
過去の栄光ほど輝いて見えるのかもしれない。
「いや、ともかく。ありがと清廉。やっぱり僕、真野先輩と遊びに行きたいな」
「そーしなさい。豊かな心が豊かな音楽を作るんだから」
豊かな心が音楽を作る、か。なら、僕一人では舞台には当分立てなさそうだ。
清廉と星野さん。二人と一緒に出られるこの夏こそが、特別な一瞬だ。
「ま、すでに軍資金半分以上使っちゃって欲しい物一つしか買えなさそうだからすぐ帰って来るよ」
先日。星野さんと清廉と音を合わせた帰り道に立ち寄った楽器屋。
ちょうど入荷して点検中だという黒い電子ドラムセットを見かけて。じっと見ていたら清廉がお店の人に声をかけてくれて――。
結果、自分でも驚くほどスムーズな心で僕は電子ドラムセットを買っていた。
大金使っちゃったな、という気持ちは湧かず。アルバイトしていて良かったなとしか思わなかった。
それが今日、家に……違った、近所の教会に届く。
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