priority(2)


 時間があっという間に過ぎていく。練習して、寝て、また練習。清廉とも星野さんとも会わない今日はずっと同じテンポを叩く練習。一日十六時間くらいは練習しておきたい。 

 あと昼寝も大事だ。身体を冷やして、その上で頭に知識を定着させる。ずっと練習するために、休む。

 今日は十七日の土曜日の昼間。来週は二十四日。再来週が、三十一日だ。

 あと二週間。

 無貌の星とハレーションはどちらもハイテンポだから、一回自分の頭の中と手元がズレてしまうと立て直すのが難しい。だから、延々と叩いて、身体にリズムを叩きこむ。

 テーピングをしなければとっくに擦り切れているような手のひらと指の皮。筋肉痛は途切れる事がなく、同じ姿勢で身体を痛めないようにストレッチをする事すら億劫だ。

 でも、気持ちだけ頑張っても効率が悪いからあと五曲分叩いたら休憩――。


 ――ピピピピ。


 電子ドラムに繋げた薄いヘッドフォン越しに音が聞こえる。


「あ」


 スマートフォンから響くのはタイマーのアラーム音。慌ててスティックをスネアの上に置いて、足元の一本目の水筒から水分を補給し。続いて二本目の水筒に手を伸ばしシェイクする。


「……ぷは」


 一本目がスポーツドリンクで二本目が清廉に持たされたプロテイン。

 どんどん体重が落ちている事を話したら清廉がまとめ買いし過ぎて消費期限が近いプロテインの粉を譲ってくれたのだ。バナナ味のプロテインはジュースとしてもけっこう美味しい。

 昼ご飯を食べる気にならない暑さだけれど、家で作ってきたチャーハンをお腹に詰めて体力を確保しなければ……。


「…………」


 ポタポタと膝に落ちる汗を、首にかけていたタオルで拭く。

 ピクピクと動く腕をマッサージしつつ呼吸を整える。日曜日の明日はアルバイトが入っているから、ちょっと身体を休められそうだ。帰ってきたら、また叩いて――たたいて。

 ああ、ダメだ、睡魔が襲ってき――。


「新しいアイスリングですよー」

「っ」


 ウトウトしていると、首元に冷たい感触が触れた。

 ヘッドフォンを取り振り返ると、襟が白い紺色のワンピースを着た余所行き仕様のアンジェがクスリと笑いながら立っていた。


「寝るなら向こうのエアコン効いた部屋で寝てください」

「アンジェ、もう出かけるの?」

「はい。色々と準備がありますから。今日は万全の通信環境で配信させてくれるみたいなんです。ふふ、ちょっと緊張しますね」


 今日の夜、アンジェがペイントパレットからバーチャルアイドルとしてデビューする。


「ごめんね、デビュー前に騒がしくて」

「私の部屋にまで音は届きませんからお気になさらず。それに、成長を見守るのも悪くない気分です」

「へぇ……あ、そうだ。これあげる」


 アンジェにお裾分けしようと思っていたものがあったのだった。ドラムスローンから若干よたつきながら立ち上がり、先頭の長椅子に置いていたリュックからお守りを取り出す。


「沢山ありますね……」


 僕の両手の中には十五個ほどのお守りがずらりと乗っていた。


「昨日父さんから貰ったやつ。とりあえず厄除けと心願成就と交通安全あげる」

「いいんですか?」

「ダブってるからね」


この時期になると沢山お守りをくれるのは良いものの、重複しているのはいかがなものだろうか。お守り蟲毒として最強のお守りを作り出せばいいのだろうか……。


「ふふ、神道のお守りを私が頂くのもどうかと思いますけど、お気持ちですからね。ありがたく頂戴します」


 アンジェは大事そうにお守りを受け取ると、首元に手を入れ銀の十字ネックレスを引っ張り出した。


「ここに一緒に付けたら、服の上から目立つでしょうか?」


 雰囲気からして、冗談で言っている訳では無さそうだ。神道がどうとか言うのであれば、十字架の横に付ける方が問題なのではなかろうか。


「リュックにでも付けるか、入れてくれたら良いと思うよ」

「そういうものですか。ふふ、では、行ってきます。くれぐれも、しっかり生配信は見るように。嘘ついても顔見ればすぐわかりますからね」

「さんざん場所借りてるんだから、そのくらいは見させてもらうよ。がんばって」

「はい。頑張ってきます」


 アンジェはそう言うと勝手口の方へ向かい、ガチャリと扉を閉じた。


・・・


 二人前のチャーハンを食べ、一時間昼寝をして、再び電子ドラムを叩き続ける。

 夜はちょくちょく目が覚めるというのにこの教会のソファの上だとぐっすり眠れるのだから不思議なものだ。

 勉強部屋から講堂に戻り、手にハンドクリームを塗りつつストレッチをして再びドラムスローンの上に座る。

両肩を首をグルグル回し、スティックを握りつつ、頭の中でどの練習をするか考える。午前中はずっと無貌の星を叩いていたからお昼は……。


「よし」


 準備運動がてら、今朝送られて来たパターンSでも叩くか。


 タン、タン、タタタン、タタタタッ、タタン。


 この単純な音を六回。徐々に音量を上げていくのが良いらしい。

その後はスネアとフロアドラムを八回同時に叩いてクラッシュシンバル一回。

 以降、ツタ、ツタ、ツタ……とスネアとハイハットを叩き、サビ前で簡単なフィルインを入れるだけ。

 それがパターンS、パターン清廉の内容だ。ドラム始めて一日目で出来る内容だけれど、叩いていると楽しいのが特徴だ。どうも清廉は人を応援するような曲が好みらしい。 

 今頃は一人であーでもないこうでもないと言いながら作詞をしている事だろう。


 十分ほどパターンSを叩いて……。

 三分三十秒間ドラムを叩き続けるパターンHに移行する。

 パターンH、ハレーションの楽譜だ。

 電子ドラムを叩いているだけの時は気がつかないけれど、いざ三人で音を合わせてみるとドラムの音の隙間に縫い込むようなベースの音がかっこよく、別々のメロディを奏でていたベース二本が同時に音を響かせる瞬間は清廉の声も相まってかなり格好良い。

 そのせっかくの曲。邪魔せず、損なわず、欠けず、清廉の歌を支えなければ。


 合同練習の時に清廉が歌うのは毎回一回か二回ほど。

先日インサイドを歌った時の迫力、本領を思うに清廉が練習中本気で歌っていないのは確かだ。その上ハレーションの歌詞をさほど理解していないのも何となく伝わって来る。

 ――それでも。

 清廉の歌声は圧倒的だ。

 声の周波数が特殊なのか何なのか、ワクワクするし鳥肌が立つ……。僕と星野さんは清廉が歌う瞬間をメッセージでこっそり『ご褒美タイム』と呼んでいるほどだ。

 あの歌声がある限り、のわがままを許せてしまう。


「……ふぅ」


 あと二週間だ。それより後なら心身ともに燃え尽きても構わない。

僕は、ただ一緒に遊べる幸運を噛み締めて自分に出来る限りの全てを注ぎ込むだけだ。

 だから。

 悲しみと無念を捧げて、せいぜい前向きに――叩こう。


・・・


 ごぽぽぽぽとお風呂場で湯おけに水を張り頭を浸けると、熱の籠った頭が冷えていく。

 そろそろ日が暮れて夕飯の時間だ。ビタミン、ミネラルを摂取して疲労回復に努めないと。

 夕飯食べて、十五分くらい寝て、そしたらまた練習だ。身体全体に疲労がたまってるから、練習動画見つつ、左手の動きをおさらいして……。

 頭の中で予定を組みながら電子ドラムが置いてある講堂に戻ると。

 ず、たん、ずず、たん。

 楽しそうに響くドラムの音が聞こえた。ドラム自体は好きに叩いてもらって構わないのだけれど……。


「あやのん、ちょっと遊ばせて貰ってるよー」


 叩いていたのは不法侵入していたマリリだった。

 僕の居ない間にスティックとドラムスローン舐めてそうで嫌だな。

 黒いブラウスに黒いハーフパンツ姿のマリリは立ち上がるとスティックをドラムスローンに置いて僕に駆け寄って来た。

 この家の鍵を持つ人は三人。アンジェ、僕、そしてマリリ。

 マリリはアンジェの希薄なセキュリティ意識に真っ先に気がつき、会社と交渉し各種防犯対策を徹底した立役者ではあるのだが。そもそもこの女が不穏分子というか……。


「なぁにその目は。せっかく夕飯買って来てあげたのに。持ち帰りピザLサイズ一枚Mサイズ一枚、シーザーサラダ、ポテト、スモークチキン、コーラ」


 マリリの荷物が綺麗に置かれた長椅子の上には駅近くのピザ屋、ナポリの迷宮の袋がドンと存在感を放ち置かれていた。わざわざ買って来たらしい。

 

「配達ありがと」


 夕飯を作るの面倒だったから、マリリのお気持ちは嬉しいものだった。


「うん。うん? 素直でよろしいかと思ったけど配達じゃないよ? 配達ってさ、もう帰そうとしてるじゃん。ほら、見て。二人分入ってるの見える?」

「せっかく買って来てくれたんだし、残さず食べてみるよ」

「いや男子高校生の胃袋を試したいわけじゃなくてさ、一緒に我らがアンジェちゃんのデビュー配信を見ようじゃないかって思って買って来たんじゃん」

「あ」

「信じられないこの男っ! いま『あ、そっか。そういえばアンジェのデビュー配信これからだったな。いっけねーすっかり忘れてた。まあ、どうせアンジェ帰って来るまで時間あるし後でアーカイブでいいかと思っていたけど。ちっ、マリリいるじゃん。これじゃあドラムの練習できないよぉ、とほほ』って思ったじゃん!」

「捏造の速さが僕の思考を上回ってるのよ。デビュー配信これからだったな、あたりでマリリがもう喋りはじめてるから。見るつもりはあ――」

「あのね、あやのん全肯定マリリでいたいけど練習場所を貸して貰ってる恩を返すのは大事だと思うの。恩と言うか、礼儀だよね。デビュー配信不安だなって思っていても知っている人が一人でも見てくれてると思うのなら……あ! 信じられないこの男っ! いま『いや、一人でも見てくれてるって。数字じゃ誰が見てるか判断つかないだろ。その場で応援するならともかく遠くから見てる分には何しようとしなかろうと結果は変わらなくないか? はぁ、ほんと女って感情的というか感傷的というか、すぐヒステリー起こすんだよなぁ。そんなんだからスピリチュアルな占いからいつまでたっても卒業出来ないんだよ。星座占いとか信じてそう……。めんどくさ』って思ってる!」

「めんどくさいのは確かだけど、それはさ、あんただよ。めんどくさいのはマリリちゃんだよ」

「あー言えばこう言う。女はねツッコミ入れて欲しいんじゃないの。どうしたの、病院紹介しようかって言って欲しいの」

「それで良いなら僕も楽なんだけど。あの……」

「なによ」

「ピザ冷めるよ」

「いっけね」


 マリリの視線がピザの入ったビニール袋に向けられる。


「ピザってさー、数ある料理の中でもトップクラスに出来立てであるコトに価値あるよね。この気温だからまだいいけど冬場のピザとか一分単位で味が落ちるもん。溶けたチーズと冷え固まったチーズって別の食べ物だもんねっ。ってしまったぁー、コーラは冷蔵庫に入れとけばよかったー。これもピザと一緒、鮮度が大事。温いコーラってもはや罪。ギルティです。常温のコーラ飲むとか主が赦したもうともこのマリリちゃんが赦さないよ。そういう意味ではさ、コーラの成分の半分は氷と言っても過言ではないよね」

「過言だよ」

「それに。ああっ、しまったポテトもあったんだったっ! これは実は流派があるらしいんだけどもさ。やっぱりポテトも上げたてのカリッとした食感とお芋のふわっとした食感の二つがあってこその食べ物じゃん。一回冷えた後のポテトをレンジで温めたものが好きとかいう変わった人も居るらしいけどさ……ってああ!」

「いやスモークチキンの話はいいから」

「え?」

「さっきから順番に説明してるけど、食べ物は出来立て、炭酸は冷えてるのが良いよねって当たり前の事言ってるだけだから」

「――止めるの遅くない? ポテト言い始めたところで止めた方がテンポ良いと思うけど」

「駄目出しはやめてよ。もういいわ」

「どうも、ありがとうございました」



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