三つ星を欠く
週が明けて、月曜日。
今日から夏期講習、最後の一週間だ。
朝から降り続く雨は降り止む様子もなくアスファルトを濡らしている。連日の焼け付くような暑さは多少マシになったけれど湿気で息苦しいのは変わりがない。
気圧の変化なのか緊張が抜けたからなのか。
朝、教会にドラムの練習に行くと体調の悪そうなアンジェがフラフラと朝食を作っていたので、買い出しやお世話をしているうちに昼前になってしまった。
ベッドに横たわり夏用のタオルケットから半分顔を出すアンジェは申し訳なさそうだ。
それもこれもデビュー当日、教会に帰って来たアンジェがアニメ『聖女さまのまなざし』一期のサブスク解禁を知ったのが原因だ。
聖まな系の配信でもしたらどう? と言ったのは僕ではあるもののアンジェは日が変わり、聖まなの配信が始まる二十四時から『聖まな視聴耐久配信』を始め、初日から視聴者を振り落としにかかった……いや、選別を行ったのだ。
だが、視聴者置いてきぼりかと思いきや、アンジェが本当に聖まなを好きなことが伝わったようで配信は意外なことに好評のようで。女性ブイチューバーにしては珍しくチャンネル登録者の女性の割合が多くなったらしい。
「それじゃあ天使さま、お大事に」
「……はい、お世話になりました。私は気にせず、練習していいですからね」
「今日は静かに座学に勤しむよ。練習する気分にもならないだろうし……」
部屋の扉を閉じて廊下に出ると、雨雲と大きな雨粒が窓ガラスの向こうに見えた。
雨だなんて、幸先が悪い。
・・・
日傘で雨を遮りながら、歩道の水たまりを避けて歩く。
塾に到着する頃には昼休憩の時間で、少し迷った後に東屋のある公園に向かうと――。
黒い長袖のYシャツに灰色のロングスカートとサンダル姿。ノートを膝に乗せ、ペンをクルクルと指で回す清廉がポツンと雨雲を眺めながら座っていた。
こうして黙って一人で居る姿を見ると清廉は本当に清楚で静かなお嬢様に見える。
「せーれん」
意を決し声をかけて清廉に近寄ると、気を許した相手を見つけたかのように静かだった顔に表情が浮かぶ。
「サボりかと思ったわ」
「休もうかとも思ったけど、せーれんの様子でも見ておこうかと思って」
「殊勝な心掛けね」
清廉は少しだけ身体をズラすと僕の座るスペースを空けたので、雨を防いでいた日傘を折り畳みつつ、ベンチに座る。
清廉の膝に乗ったノートを見れば左上の部分に猫が書かれている以外は白紙のままで、どうやら作詞に行き詰っているようだ。
「まだ歌詞思い浮かばないんだ」
「まだって、あんたが書くの速すぎるのよ。曲とかメロディは頭に浮かんでくるけど。歌詞となると、ありきたりな言葉しか出てこないし」
「愛に恋に桜や雪とかキミとか……光、とか?」
「そうなの。あたし、そーいうんじゃなくて、もっと良い感じのが欲しいの」
「べつに良いじゃん。特別な言葉じゃ無いから共感できるんだろうし」
「……なによ。一理あるわね。なんで、そんなのすぐ分かるのよあんた」
清廉はジッと僕を見ると、不承不承といった感じで――。
「もう少し、その、アドバイスみたいなのがあれば聞いてあげるけど?」
ツンツンした様子でアドバイスを求めて来た。
僕から清廉にアドバイスなんて出来るとも思えない。そもそも作詞に関しても形になったのは一曲分だし、整えたのも星野さんだし……。
「そもそも、どんな歌詞にしたいの?」
「聞けば元気の出る感じというか、背中押して励ませるような歌詞」
「――あぁ、そっか」
「なによその反応。あたしは人を笑顔にさせて、元気が出て、楽しんで欲しいの」
パターンSの音からしてそんな気はしていたけれど……やっぱり元気の出る曲だったか。
「……じゃあ、清廉には無理だ」
「へ?」
もう少し様子を伺って穏便に話を切り出すつもりが、核心の部分がぽろっと漏れてしまった。会う前から清廉に腹が立っていたのが、こぼれ出してしまった。
元気の出る感じ、励ます、楽しんで欲しい――?
誰も彼も置き去りにする天才の孤独を歌にするならともかく、ソレは、他人に散々気を遣わせている清廉が望むべきじゃない。がっかりさせないでくれ。
ソレを望むなら、順番が違う。
「無理って、どういう意味よ」
案の定、清廉の顔には疑問と僅かな怒りが浮かんでいる。
このまま回答をミスると僅かな怒りが一気に燃え広がってしまうだろう。
「清廉みたいな天才は人に寄り添えないよ。背中を押すなんて無理だ、凡人の苦悩を理解するには基本性能が違いすぎる。せいぜい、遠くから声をかけるくらいにしないと無理だ」
「なんで……、綾野がそんなこと言うの」
「責めてるんじゃないよ。生まれ持った歩幅が違うとか、そういう話だから。特別な人間って根本的なところで他人が理解出来ないだろ?」
思い当たる節でもあったのか清廉は怒るどころかショックを受けたように膝に乗せたノートをギュッと握る。
あぁ……言い過ぎている。
穏やかにそれとなくあれこれ聞き出す事が出来なくなってしまった。一回呼吸を整えればもうちょっとオブラートに包めただろうに。勇み足で踏み込んでしまった。
「それに、聞きたいのは僕の方だよ清廉。人を元気づけよう、励まそうなんて考えているあんたがどうして、自分を支えてくれる人達を蔑ろにしてるんだ? なにを考えてそんな事を言ってるんだ?」
僕の問いに清廉が息を飲んだ。僕の言いたいことに気がついたのかもしれない。
「清廉の機嫌一つで振り回される人間が居るのは知ってるよな? どうして見て見ぬふりを続けるんだ?」
目を見開く清廉には罪悪感のようなものを感じた。
その反応に、……頭が少し冷える。
手遅れかも知れないけれど、ゆっくり、話してみよう。
「ペイントパレットの人に、嫌な事された?」
尋ねると、清廉は視線を落としながら首を横に振った。
「なら、事務所の人と話、ちゃんとしないと駄目だよ。どうデビューするのか、どういう方針でやっていくのか。それは清廉が自分でやらないと。歌だけ頑張れば良い場所じゃないとこに踏み出したのは清廉なんだから……。もしそういうのが苦手なら僕でよければ話くらい聞くから、ペイントパレットに行ってみよう?」
そう言うと、清廉の目には拒絶が浮かんだ。
さっそく失敗だ。そりゃあ、一発殴られてから話聞くよなんて提案されても断るか。
いくら仲良く曲の練習をしていようと、たかだか二十日ずっと一緒にいた程度の仲だ。
話したくない事もあるだろう。
だいたいプロとして遥か遠くで輝くmiuに僕みたいな人間が力を貸せる事などはなから無い。それは、理解している。
なんなら清廉はこの輝きのまま誰に矯正される事無く羽ばたいて欲しいけれど――。
もう、そういう訳にもいかない。
「その感じからして、事務所の問題は自分で解決するって事?」
「……」
「清廉。月末の話だ。ダブルブッキングは良くないよ。しっかり相談しないと。それに、お休み中とはいえ人前で歌うなら、ちゃんと事務所と話し合わないと駄目なんじゃないの」
「綾野に、関係ないでしょ」
「うん。僕には関係無いから、ブイチューバーについてもmiuについても今まであれこれ聞いた事は無かった。休業がどうこうも、あんまり聞かれたくないかなって思ってたし。それは清廉個人の問題だからね。でも」
「べ、べつに必要ならあいつらがもっと何か言ってくるでしょ。どーせあたしのことお金の……なんで、あたしが…………」
「親じゃないんだからそこまで面倒はみてくれないよ。清廉、普段からつんけんしてるみたいだし、事務所の人もどう接すればいいのか困ってる。当日とか一日前にじゃあこうしますって言うのはよくないよ」
「どっちの味方なのよ」
「今の清廉の味方は出来ない」
はっきりと伝えると清廉は黙ってしまう。
日頃から冗談ばかり言おうとしている反動でおふざけを入れず真面目に言葉を伝えようとすると途端に語彙が減ってしまい、我ながら刺々しい。
ここは一旦、時間を空けてまた後日お話しましょうと行きたいところだけれど。
流石にこの空気を引きずったままドラムの練習を出来るほど僕も図太くないし時間もあと二週間も残されていない。
ペイントパレットもデビュー配信の準備がどのくらい時間がかかるのかは不明だけれど、清廉のアレコレが長引くのは避けたいだろう。アレコレが長引けば、またフラフラになるマネージャーが出てくるかもしれない。不機嫌な悪魔が現れるかもしれない。
僕が折れて見て見ぬふりをして星野ラストリゾートで遊ぶことだけに意識を向けられれば良かったけれど。あの顔を見なかった振りはできない。
このままライブをするだなんて――あまりにも虚しい。
「仮に清廉がmiuとしての活動に悩んでいるのだとしても。それを理由にはっきりしない態度のままペイントパレットの人間に負担をかけ続けるのは、僕は許せない」
「許せないって……なんでっ、綾野には関係ないコトじゃないっ」
立ち上がった清廉の膝からノートが落ちる。
「あたしとあんたは、そうじゃないでしょ? バンドで、一緒に音楽やる関係じゃない。楽しくなかったの? なんで、急に事務所の話が出てくるのよ。いくらあんたでも、それは、踏み込み過ぎよ。ど、ドラムだってまだまだなんだから、余計なこと心配してる場合じゃないでしょ。せっかく楽しくやってたのにどうして」
「清廉が言う余計な事ってのが、僕にとっては大事な事だからだよ」
つっかえながら言葉を出すのは、後ろめたいからだろうか。
「っ、でも、もしライブダメってなったらあの歌詞だって。綾野、あのね、まだ、しっかりとは掴めてないけど。あんたの歌詞、わかって来たの。『ちょーじ』ってフレッシュ・リュカでサラッと言ってた言葉憶えてるよ。あれって弔辞、お別れの言葉ってことよね。ならあたしが」
「歌わなくていいよ。その免罪符は、僕には意味がない」
「――」
普段の清廉であればもっとはっきりと、気持ち良いほど自分の感情をぶつけてくるはずなのに今は取り繕う様な言葉に聞こえてならない。
「二人とバンドをやるっていうのは一生の思い出になるだろうし、ステージの上で清廉の歌声を聞けたら、ずっと苦しかった気持ちが救われるんだろうなって予感もある」
「ならっ」
「でもね、清廉」
何かを感じ取ったのか清廉は僕を止めようとするが――。
「今の清廉とバンドは出来ない。やるなら僕抜きでやってくれ」
僕の一言で清廉の目が、いつも自信に満ちた目が揺れた。
「星野さんには僕からうまく言っておく。僕の実力不足だったと伝えてバンドから抜ける。二人で続ける分には文句も無い」
「……ドラムはどうするの、せっかくあんなに頑張ってるのに、一緒に、やろうよ」
荒い呼吸で尋ねられる。確かにバンドを抜けるならドラムを続ける意味も無いのか。
あの楽しい楽器を失うのは惜しい。
「目的もなく叩き続けるのは難しそうだし、このままやるくらいならドラムも終わりかな。おとなしく夏期講習でも受けるよ」
「な……、っ」
ドラム……か。
「言いたい事はこんなものかな。清廉も余計なものに気を取られず、寄り道せずに歌を続けてよ」
清廉はゆっくり首を横に振りながら、浅く早い呼吸を繰り返す。
僕と言うヤツは話を聞きに来たつもりが、別れを口にしようとしている。
「じゃあね、清廉」
これ以上の言葉は思い浮かばず、背中に声が掛かり止められる事を期待しながら僕は塾に向かい、結局なにも起こることなく世界史の授業が始まった。
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