女難

 

 四時間目、体育の授業を終えると。


「色々と準備に忙しくてな。俺はしばらくの間は生徒会の方で昼飯だ。まったく会長も気が早すぎて困る」


 普段一緒に昼食を食べている小林はそう言うと足早に更衣室から出て行った。


「生徒会って九月に文化祭、十月の頭に体育祭だから今の時期から忙しいんだってさ」


 着替え終わった大場は幼馴染である小林の解説をしながらグゥと鳴る腹を擦った。腹時計の精度は高いらしい。


「もう二学期って気が早くない?」


 九十日くらい後の事なんて考えた事無いぞ。


「七月の初めに期末試験。そっから夏休みだからねー。文化祭はウチも許可とって豚汁作る予定だけど。綾野のとこは何かやんの?」


 生徒会の小林と調理研究会の大場。二人とも文化祭の予定は決まっているらしい。


「園芸部で特別何かやるってのもなぁ。去年何やったっけな」

「花の種の値段をちょっと盛って販売してたじゃん」

「あぁ。そうだった」


 先生に注意されはしなかったものの、生徒会役員である小林と当時の生徒会副会長さん直々に釘をさされた記憶が蘇る。


「いや、あれは部長が勝手にやり始めた事だから。サンプルの花を育てるのもそれなりに時間かかったし。暴利を得ていた訳ではないというか」


 意外と好評だったので目を付けられてしまった側面もある。次はこっそりやろう。


「じゃ、俺もこれから豚汁会議があるから。試食もあるけど来る?」

「あーいや、僕もちょっと園芸部に顔出してこようかな」

「そっか。んじゃ……あ、そうだ。こんど川釣り行こうよ。兄貴が車出してくれるってさ」

「お、行く行く」


 リールの無いのべ竿で釣りをしてみたかったんだ。

 去っていく大場の背中を見送り――。


「…………さて」


 一人だけ暇な感じが嫌だったので園芸部に用があると見栄を張ってしまった。

 仕方ない、どうせ誰も居ないだろうけれど、たまには部室にでも顔を出すか。

 教室に戻り水筒と弁当箱代わりのタッパーを持って園芸部へと向かう。


・・・


 校舎からやや離れたところにあるプレハブ小屋が部室なのだがエアコンなんてものがあるはずも無く、部室に到着する前から見栄を張ってしまった事を後悔。大人しく豚汁をご馳走になっていればよかった。

 部長が勝手に量産した鍵をポケットから取り出し部室の扉を開けると。


「あれ、パイセンだ。おっすおっす」


 相変わらず派手な見た目のギャル後輩、入江めぐがネイルを弄っていた。

 明るめに染めた髪を頭の右側で纏めており、ヘアゴムに付いているブドウのアクセサリーがコロコロと揺れている。


「おすおす」


 部室の中は手狭なものの長テーブルが一つと並んだパイプ椅子が三つあり、後輩が真ん中に座っている。  

 僕が来たとて横にズレる様子もないので仕方なく隣に座ると。


「昼休みに来るなんて珍しーじゃん」


 などと言う。

 先輩相手にまるで緊張していない態度はいっそ清々しい。四月ごろは一応敬語らしき言葉遣いだった気がするものの今やお友達感覚だ。


「てか見てこれっ、ざらっとした壁にぶつけて剥げちゃったんだけど!」


 桜色のグラデーションがかかった爪の表面は確かにざらついている。


「あーあ。せっかく綺麗な塗装だったのに」


 せっかく塗装したプラモデルやガレージキットがこうなると思うと鳥肌が立つ。


「ね、もう最悪っ」


 ネイルには詳しくないとはいえ、綺麗なものが欠けているのは何だか残念だ。真野先輩であればエアブラシですぐに補修できそうだけど、ネイルの塗料ってラッカーなのかエナメルなのか何系なんだろ。


「自分でリカバリーするとビミョーに汚くなるんだぁ。もぅ無理っ」


 後輩はネイル用品の蓋をキュッと締めると長テーブルの上に置いた。


「別にやってていいよ、扇風機ついてるし」


 除光液の臭いはキツイものの、模型店でアルバイトしている事もあり換気さえしていればさほど気にならない。レジンの臭いも何故か好きだし、もう鼻がダメなのかもしれない。


「いやいや。人がご飯食べる時にやらないって。家でやってるとママとか超うるさいし」


 後輩はママって言うタイプなんだ。


「というかあたしも食べよっと」


 後輩は購買で買ったらしい焼きそばパンとミネラルウォーターをビニール袋から取り出した。


「その量で足りる?」

「ビミョー。でもネイルサロン行くのにお金貯めたいし流行りの美容室も予約したいし、というかあとチョイで夏だし。水着も欲しいし。夏休み前にバイト始めよっかなー」


 お洒落な女子って言うのは金がかかるらしい。


「後輩、アルバイトしてなかったんだ。なんか意外」

「だってあたし二、三か月前まで中学生だったんだよ? そろそろ始めたいとは思うけどさ。見てこれ中学時代のあたし、めっちゃ地味っ」

「……友達含めて十分派手だよ」


 卒業式に校門前で撮影したらしい画像を見せつけられるも、あまり今と変わらない気がする。なんなら卒業式仕様で盛られている。


「パパもバイトは一学期の成績次第って言うしさー。パイセンはおもちゃ屋さんでバイトしてるんだっけ」

「紹介しよっか」

「保留。どーせ働くならお洒落なカフェとかキラキラしてるとこが良いし。そこで大学生の彼氏とか出来たら良くないっ?」


 どうやら職場恋愛に夢見ている様子。


「二、三か月前まで中学生だった子に手を出す大学生は、やめた方が良いと思うよ」

「……確かに。ま、とにかく夏までにどーにかお小遣いを捻出したいってことっ」


 わかる。ワンダフルカーニバルを前に金はいくらあっても足りない。


「ちなみに単発じゃないバイトって給料は基本的に翌月払いだから、七月に働き始めても貰えるのは八月か。夏休みの終わりごろになるかもよ」

「え、やばっ。うわー、罠じゃん!」

「期末の結果でお小遣い貰えるように交渉してみたら?」

「ママはともかくパパにこっそりお願いするのはいいかも」


 どうやら娘に甘いお父さんらしい。

 というか僕も後輩にアドバイスをしている場合ではない。塾に関しての問題はさほど解決していないし、どうするかなぁ。英語は妖しい講義をもう少し続けるとしても、問題は数学だ。


「というかパイセン、お昼はイツメンと一緒じゃなかったっけ?」

「忙しいんだってさ」

「じゃあボッチなんだ」

「後輩こそ目立つグループに居なかったっけ」


 校内でも何度か見かけたことがある。


「いやー、薄々感じてたんだけど。あんま合わないかも。みたいな」

「夏休み前に気づいちゃったか」

「気づいちゃったねー」


 後輩はたははと笑いつつも少し気まずそうだ。


「あ、でも上手くはやってるよ? 基本的に皆と食べてるし、仲の良い子もいるし。ただ、たまにこうして秘密基地で息抜きしてるってだけ。マジで園芸部入って良かったわ」


 どこぞの妹に見せてやりたい社交性。


「上手くやれてるだけ立派だよ」

「あんがと、へへ」


 唯一の後輩だ、たまに話を聞いてやるのも良いかも知れない。

 さて、のんびりしていると休み時間が終わってしまう。タッパーを開き、水筒も開ける。

 今日のメニューは――。


「パスタじゃん! ズルっ」

「ズルではない」


 と言いつつ後輩の栄養が少なそうな貧相な昼食を見つめる。


「仕方ない」


 雑多にモノが積まれたスチールラックから紙コップが入ったビニール袋を引っ張り出す。


「アサリのスープを恵んでやろう」

「天才っ!」


 こんだけテンション上げられると悪い気はしない。我が家のフェアリーには感謝が足りんよ、感謝が。


「んで僕はこれを麺の入ったタッパーにドボドボ投入する」


 スープパスタの完成だ。


「めっちゃ家庭的じゃん」

「お手軽の極致みたいなもんだよ」


 色々とレシピを調べた結果、案外簡単かつ大量に作れるソースが多くて助かっている。麺の種類はスパゲッティが主だけれども、そろそろ別のものにも挑戦してみようかな。前にスーパーで見かけたペンネ辺りは大きくて食べ応えも有りそうだった。


「あ、フォーク忘れた」


 再びスチールラックをゴソゴソと漁りプラスチックのフォークを取り出す。


「それ部長のじゃないの?」

「その紙コップもね」

「ん、じゃあ内緒ってことで」


 素直でよろしい。

 ちなみに備品の数々は去年の文化祭の利益で購入したものが殆どだ。


「じゃ、いただきますっ」


 行儀よく手を合わせた後輩を見つつ、フォークの袋を開ける。


「おお。良い味してるよパイセン」

「味濃かったらそこのポットでお湯沸かして入れて」

「このままで全然オッケー。あたし味濃い方が好きなんだよね」


 レシピ通りに作っただけとはいえ褒められて悪い気はしない。ちなみにスープのストックはあと一日分あり、妹はげんなりとしていた。

 後輩は思い出したようにスマホを持つとアサリスープの入った紙コップを撮影中。こんなの撮影しても意味なくないか……という視線に気がついたのか。


「見てなー、ブイスタに載せてパイセンの評判アゲちゃうから」


 後輩は楽しそうにスマートフォンを弄っている。

 昼休みが終わるまであと二十五分。


 僕もポケットからスマートフォンを取り出し、ニュースサイトをスクロールしていると。


「ねっ、ブイスタで占いしよーよ」


 唐突に胡散臭い提案を受ける。


「占いって」

「鼻で笑ってるし。もう、めっちゃ当たってビビっても知らないからね。どれにしよっかな。マザーの館か、マジ☆ルミか……。よし、これっ」


 後輩はスマートフォンをテーブルの上に置くとブイスタの画面を見せてくる。


「誕生日と血液型と性別と悩みをこのバーチャル婆ちゃんに入力して?」

「占いっていうか、アルゴリズムだな」


 入力した数値に対応した文字を出すやつだ。


「そういうの女子に言うとめっちゃ白けるからね」


 というかバーチャル婆ちゃんってなんだ。ほにゃらら駅の母みたいなやつか?

 後輩のスマートフォンにタップを繰り返す。


「お、夏生まれなんだ。あたし四月生まれだから今だけタメだね」

「二学期からは敬語使って貰うからな」

「あははっオッケー、忘れるまで覚えておくね」


 入力を終え画面の『占う』という部分をタップすると。ドラムロールの音が鳴り響きバーチャル婆ちゃんの顔が動き――。


『あんたの運勢が決まったあ!

 ・総合運☆3 女難の相。新たな道を示す定め。 生まれ変われぇっ!

 ・恋愛運☆5 魅力的なメンズが沢山!? でも、既に運命は決まってるかも!?

 ・金運 ☆4 思わぬ収入にテンションアップ でも使い道はよく考えな!

 ・仕事運☆1 難事件発生。 傷ついてでも前へ進めええ!

 ・ラッキーアイテムは悪魔の契約書! ハロウィンを楽しんじゃお!』


 まさかのバーチャル婆ちゃんフルボイス。合成音声とはいえ勢いで笑わそうとしてる。


「めっちゃ恋愛運良いじゃん! いいなーっ」

「メンズは対象外なんだけど」

「あーでも仕事運が最悪だ。ラッキーアイテムでリカバリーしないと。百均で売ってるかな」

「……悪魔の契約書は無いだろ。パニック起きるよ」


 しかもハロウィンってラッキーアイテムの単語使いまわしてるなこれ。


「ふー、面白かった。やっぱ婆ちゃんのフルボイスが一番ウケるわ」

「ブイスタって色々あるんだ」


 お洒落な写真を載せるバトル要素だけかと思ってた。


「けっこー面白いよ? ライブ配信もあったりするし。あたしはね、最近恋愛相談のやつとか見てる。シスターのやつとか面白いんだー。声が優しいのにめっちゃヒドイこと言うのっ」

「へえ。有名なの?」


 さすがに知ってるあのシスターでは無いだろう。だとしたら世間が狭すぎる。


「うーん、どうだろ。あたしがそう言うジャンル好きで見つけた感じ」


 後輩はスマートフォンをスクロールし、タップする。


「これ、ゴッズシスター☆ラスティちゃん。喋り方めっちゃ丁寧なのにカップル別れさそうとしててウケるんだー。本人もなんか不運で笑えるし」


 ……何やってるんだあのシスター。


「あたしが紹介したのにパイセンが全く使ってないアカウントにリンク送ったげるね」


 楽しそうに喋る後輩は、なんというかゴールデンレトリバーみたいな可愛さがある。

 我が家の女達や知り合いの悪魔もこのくらい素直でカラッと明るくいてくれたら……。


 ――ピコン。

 スマートフォンにメールが投下される。

 宛名は間宮ミカ、ラインオーバー社のマネージャー。

 件名は『エリさんの誕生日配信についてご相談があります。何卒。』とのこと。


 ――ピコン。

 今度はSMSでメッセージが届く。

『レー』

 と、妹からのメッセージ。


「……」

 どこで間違ってこんな面倒事が舞い降りるようになってしまったんだ。


・・・


 放課後、見覚えのある落ち着いた雰囲気の喫茶店に立ち寄る。

 先日吉野さんと会ったバクスタが『カフェ』だとすればここはまさしく『喫茶店』という雰囲気で、華やかな印象とは無縁なもののゆっくりするにはこちらの方が丁度良い。

 もっとも、同席するメンツ次第の話ではあるけれども。


「エリね、このイチゴタルトが良いと思うけど。一緒のにする?」


 隣に座るは妹。


「お義兄さんにだけデレデレしてるエリさんかぁいい」


 正面に座るはマネージャーさん。

 間違いなくこれから面倒なことをお願いします、というメンツが揃ってしまえば例え落ち着いた雰囲気の喫茶店であろうと気分は優れない。しかも少し離れた席には大学の課題をやっているというトネリコさんまでいる始末。


「助かりましたぁ。エリさんのお母さんの代わりのレーさんの代わりに呼び出されたんですけど、ちょっと課題が溜まっておりまして」


との事だった。

エリーゼよ、大学生のお姉さんを顎で使うな。


「セットじゃ無くてアイスコーヒーだけでいいよ。ご馳走様」

「じゃ、エリのタルト半分あげる」


 というかこの妹。どうして僕の黒いシャツとオールデイジャパンキャップを勝手に使っているんだ……。


「タルトも良いけど昼は食べた?」

「食べたけど。もーパスタ飽きた。夜はエリが出前ハウスでフライドチキン頼むからね。CMでやってたヤツ」

「あー、あれか」


 今日は金曜ナイトムービーで良く流れる怪盗映画のミートボールスパゲティに挑戦しようかと思っていたけれど、それはまたの機会にしよう。


「……てぇてぇなぁ」


 と、マネージャーさんがしみじみ呟いているのは無視するとして。


「それより、なに、勝負って」


 運ばれて来たアイスコーヒーを受け取りつつ本題に取り掛かる。


「レーがエリの誕生日企画に来るか来ないかの勝負」


 妹との勝負事にはあまり良い思い出が無いものの。仕方ない、ここまで来た以上は乗ってやろう。


「良いよエリちゃん。勝負してやる」

「いいのっ?」

「これまでの出席日数で勝負な」

「ズルい!」


 ズル休みはお前だ。


「エリ知ってるよ。レー、塾に通いたいんだってね」

「……え、エリーゼちゃん?」

「エリのこと、大事にした方が良いと思うな」


 悪質なネゴシエーションを行使される。

 リリーめ、話したな。これを知られてしまっては事あるごとに強請られかねない。


「まあまあ、お義兄さん。悪い話ではないと思いますよ」


 マネージャーさんが割って入る。


「勝負は三番勝負。先ほどエリさんと話し合って思いついたのですが、その結果次第で誕生日配信に出て頂こうという流れになりまして。一戦ごとにお互いの要望を賭けて戦う訳です」

「そう。小さいお願いが三つで、二勝以上した方が大きいお願いを叶えて貰うの。エリは配信に出て貰うっていうのが大きいのにしようかな。レーは塾でいい?」


 妹、そしてマネージャーさんを交互に見る。二人揃ってバカなのかな。


「レー、どうしたの?」


 呆れて沈黙していると、妹が顔を覗き込んできた。


「その三番勝負を配信でやればよくない?」


 つい、言ってしまう。


「おぉ」

「あぁ」


 何を提案してるんだ僕は……。


「自分から言い出すなんて。もしかしてレー、エリと遊びたかった?」

「って言ってますけどトネリコさんっ、なにか言ってやって下さい!」

「ええっ、急に巻き込まれたっ」


 課題消化中のトネリコさんを慌てさせ留飲を下げる。


 ああ、もうあれこれ理由を並べて断る事すら面倒だ。

 このままズルズルとお願いされ続けてはテスト期間に突入して七月の期末テストで惨憺たる結果を残しかねない。後顧の憂いはここで断ってしまうのも良いかも、だ。

 こうして妹に構ってやれば、母から塾の費用くらいは貰えるだろうし。こんなバカ話、さっさと済ませて英語のレッスンに向かわなければ。


 ――話し合いの結果。


『エリオット・リオネットVSレー ~炎の兄妹三番勝負~』の開催が決定した。




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