人間失格

「<悪意>に覆われた情報はヒトを迷走させるだけだ」と爺さんは言う、裏社会について詳しいから言うのだろう。


 そう分かっていても情報が欲しい、と思ってしまうわたしもいて(殺す以外の意味でわたしが彼らを撃てばよかった)と後悔している。


 情報を求める意識がわたしにはあった、けれど……あの時わたしは引き金を引けたのに引かなかった。彼らを撃てたのに撃たなかった。


 どうして? どうしてわたしは撃たなかったのか? その理由は未来のシナリオにこう書かれていたから、と答えるしかない。


 未来のシナリオ――<『S&S・VIPルームにて……ビショップとドクに銃を構えるひとりの乙女は引き金を引く。引き金を引くことで乙女の運命は決定する』>


 わたしは運命に抗いたかった、だから撃たなかった。


「狩猟家のお前が目の前の獲物を撃たなかったのは初めてじゃないか……」


「さあ、どうでしょうね」


 と爺さんに曖昧な返答をしたわたしは、テーブルに置いてある自分の銃を手に取りホルスターに仕舞った。気を失うほど可視化を使ったのは初めて……今日はとても疲れた。


「うむ。今日は疲れた、カラダも悲鳴を上げとる……だからこのへんでお暇といこうぞ」


 そうですね、と言い立ち上がったわたしはブレインと一緒にお辞儀をする。


 こうして別れの挨拶をすませたわたしは、爺さんに背を向けて歩き出そうとした――そこで、


「ここではお礼の言葉が先ですが……」


 と、ブレインは爺さんを見つめていた――正確には爺さんが手に持っている<注射器アイテム>を。


 注射器の内容物はヒトに欠かせない薬なのかもしれないけれど、あいにくネクロスは病気と無縁の特異人であって注射を使う機会なんて献血や輸血の時しかない。だから注射器の内容物は麻薬で間違いないのだ。


「その物質はカラダに良くありません」


 ブレインは憂鬱そうな声音を響かせた。けれど、その気分はブレインだけのようで麻薬摂取を止められたネクロスといえば、


「はははっ、わしが《人間失格》であれば『仕事だ、仕事仕事』と言えば許してくれるかな?」


 と笑いながら言う。ネクロスは続けて、


「ここの連中はみんな言うのだ――『注射は痛い、けれど注射を打たなければ消えない痛みがある』と。精神と肉体の天秤を崩さないためには、これが一番いい方法だ」


「その意識は哀しいものです……」


「仕方のないこともある。特異人として生まれた者は理不尽を背負い歩くものだろう?」


 ブレインはそれ以上返そうとはしなかった。爺さんの言っていることは間違っていない、なのにブレインは肯定も否定もしなかった。


 時間の無駄だと思ったわたしは元気のないブレインの肩を叩こうとすると、


「……どうしようもない道だと知っている、けど、特異人ぼくたちはケモノなんかじゃない。ぼくたちは――可能性の未来を持った者だ」


 そう訴えるように言った彼は頼りないしこどもみたいだった。だからなのか、わたしの第六感が受けた感覚は何もかもが新しくて、希望に満ちていて、この男に全財産を賭けたいと思ってしまう。この男なら裏社会を変えてくれると信用してしまう。


(昔、似ている感覚を味わったことがある――あの少年に助けられた時だ)


 そこで、何が面白かったのか爺さんは大笑いしていた。


「未来か……なら今日くらいは痛みと向き合い、我慢してやろうかのう」


 と爺さんは、注射器を床に落として足で踏み砕いた。


 注射器の破損部分から漏れた液体にはどれだけの価値があるのかわたしには分からない。1グラムの幸福は百年分の幸福を得られるのかもしれない、けれどわたしにはどうでもよかった。わたしに麻薬は必要なかった。


 ――約束と目的があったから。


 わたしは運が良かった。もし、あの少年との約束と目的がなかったら……わたしは麻薬に頼っていたのかもしれない。そうならなかったってことは、運が良いのだ。


 そう思ったわたしはブレインとあの少年の姿を重ねようとするけど、(これは特異人史上初の病気というやつだな)と我に返り、額に手を当ててVIPルームを後にした。






<project>「最弱の王よ、イェーガーを頼んだぞ。それと――

――この最低なセカイを救ってくれ」</project>


<そうつぶやいた屍人の王は、狼男と魔女の背中に優しい微笑みを向けていた>

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