永遠の淑女

「おまえはもう見えているのではないか……」そこで口を開いたのはネクロスだ。


 この爺さんが何を言っているのかさっぱりだ。もちろんわたしは何でも見えるさ、今日のブレインの下着も、下着に隠された一物も、やろうと思えば簡単。けれど、そんな無駄なエネルギーを使っていられないから見ないだけだ。純粋なわたしにセクハラ発言は止めてもらいたい、お下品ネタはマスコットだけで間に合っている。


「いったい何が見えていると?」


「今のお前の瞳でとらえられないものは指で数える程度の事だ」


 まさか、『Xはこの中にいる』などと言うのか……。だったらわたしが真っ先に疑うのはブレインしかいない。なぜなら、この怪物だらけの空間で彼は一番弱く、一番変な生き物だから……としか言えない。確信はないけどこの中でブレインは異常だ。信じたくはないけど。


 わたしが肩をすくめると、


「《ダンテの神曲》それと《ベアトリーチェ》。聞いたことは……」


「《神曲》は読みましたよ。地獄、煉獄、天堂すべて」


「なら、今のあなたは誰に当てはまっているかしら……」


「誰とは? 神曲の登場人物のですか……」


「ええ、そう」


 クライテリオンに言われてわたしは薄笑いを浮かべる。


「まさかわたしを『永遠の淑女ベアトリーチェ』などと言いたいのですか、あり得ませんね。わたしを例えるなら<冥府の渡し守、「カロン」>じゃないですかね? わたしは乙女ですけど、適性のある登場人物と言ったらそれしかないと思います」


 とは言ってみたけれど、わたしはダンテなのかもしれない。幼少の頃に出会った少年はベアトリーチェで、今でもずっと想っているわたしはダンテなのだろう。それだったら、わたしはベアトリーチェと再会しなければ物語が進まない。地獄を抜けた先の「煉獄山」、その山頂で待っているベアトリーチェと再会し、さらなる頂を目指すために天国界を旅するのだ。


 あの少年と一緒ならわたしはどこまでも飛べる。


「マリスに用意されている『誰も辿り着けない頂』、その頂を特異人はみんな目指している」


「有るか無いか分かりませんが目指していますね」


「それが特異人に与えられた文法だからね、目指して当然なのよ。山頂は浄化作業の後に立つことを許される、言わば<線を超えた者の玉座>。善行も悪行も遺せなかった者には川を渡ることも地獄の門の前に立つことも許されない、つまりは――舞台に立つことは禁止である」


「それはとても不快です」


「残念だけど、それがマリスのセカイなの」


 わたしはため息しか出なかった。舞台に立てない者は何十億といるのに……最下層の地獄さえ許されないのはどういうことだ。


 神曲は喜劇の舞台とされている。しかしわたしが立っている舞台は裏社会という悲劇の舞台であり、物語でもなければ劇でもない現実逃避したい現実だ。ヒトの手足を積み重ねてキャンプファイアをするような社会は地獄がお似合いだろうに……クライテリオンの言った地獄も許されない舞台とはなんなのだ。


 〝悲劇の舞台は悲劇で終わらなければならない〟


 この裏社会がわたしの舞台であるなら地獄くらい許してほしかったのに。


 まあどうでもいい。それでだ、今までの話で何の情報を得られたのかだ……。


「誰も辿り着けない頂が実在すると」


 わたしは訊く、薄笑いで。それがあったら嬉しいな程度の期待。


「――もちろん実在します」とクライテリオン。


「証拠は?」


「わたしの記憶に」


「婆さんの記憶は頼れませんけど、完成体の記憶ほど頼れるものはありませんね……ブレインなら記憶領域を覗けるでしょうけど、わたしから信頼を獲得するには足りませんよ」


「そう。なら、可視化でわたしを見ればいいじゃない。わたしは質問に答えてあげる」


 本当によろしいのですか……なんて訊きそうになったけど、論理を構築したわたしは、


「どうせあなたが作ったプロテクトで真偽の判断ができませんよ」


「真実を知れるし未来を知れるのに、勿体ないわね」


 時間の無駄だ、エネルギーの無駄だ。誘導なんぞでわたしを疲労させようと企む最低なババアだ。キャパシティとキャパビリティの心理戦なんて、キャパシティの提案に乗った時点で負ける。まあ、提案に乗る乗らないどちらにしてもキャパビリティは負けるのが真理。


 社会不信、人間不信。『不信』――わたしの細胞はその言葉で構成されている。多細胞生物が多細胞生物を信じるなんて数量的キャパオーバーになってしまうのだから、他を信用する場合は無意識のケモノにならなければかなわない。わたしには意識があるわけで自分自身の容量も潔癖な部分も理解できている。


 ……まるでわたしの数十兆の細胞は大人たちを信用しなくなった〝こども〟のようだ。


 <普通の人間を信用する文法は本物の邪智暴虐の王たちには難しい。邪智暴虐の王たちが普通の人間に信用されるには悪人を殺さなければならない>。この出力された文字列は、わたしがとらえた未来なのだろうか……。


「ジジイやババアが鑑賞するには、ちと綺麗すぎる花じゃのう」


 そう言ったネクロスは微笑んでいた。


 無知なわたしを見て笑っている。とても失礼な爺さんだ。


「もう情報は結構です。裏の政府シークレット・ガバメントやシンフォニーやXの件はあなた方が解決してくれるようなので、これ以上関わるのは止めさせていただきます」


 拗ねたわたしはCECO共に別れの挨拶代わりに嘘をついた。むかしのわたしと同じだ。仲間外れのわたしは裏社会をひとりで歩くしかなかった。初めてのイヴィル・ハンティングもひとりだったし、初めて人間の頭を撃ち抜いた時もひとりだった。裏社会と呼ばれる枠の中でわたしはひとり上を目指していた。


 今思えばわたしはこのセカイから拒絶されていたのだろう。『悪意のセカイで悪意の花言葉は必要ない』と、少女のわたしはあのまま削除されるべきだった。


<未来> (けれど、あの少年やメルはわたしを見いだした) </未来>


 わたしは歩いた。秘密権力本部から夜の街へ、夜の街から……。









<project> //自由劇に残された裏の一幕。

R「目指す者よ、追い続けろ」

O「汝の敵を愛せよ、などとは言わない。ただ勝利してみせよ」

S「行きなさいイェーガー。約束の前に待ち受けるのが最後の試練です」

N「不思議の国か……この歳になってもついに分からんかった」

C「文法を受け継ぐ者は『おとなになりきれないおとなであって、こどもでいられなかったこども』なの。わたしたちのような老いぼれが分かるはずないでしょ」

N「封印は調和により開封する、わしらには祈ることしかできんな」

C「……イェーガー、いいえ、ロベリア。あなたは<Malice>で生まれた希望の光です」

</project> //『敗者となる運命でも、煉獄山の頂には立ってみせよ』

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