第48話 構築(4)
「今日は来客が来ているんです」
「そうみたいですね」
そんな返事をしながらキッチンで夕飯の支度を進めていると、急に桜田さんのスマートフォンが鳴り出した。
「え?」
「?どうしました?」
「家内から…なんですが…」
「え?早く出ないと…」
俺が促すと少し困った様子を見せた桜田さん。
それでも再び促せば、スマートフォンを片手に勝手口から外へと出た。
別に気にしなくて良いのに…なんて考えるも、話を聞かれたくないのは桜田さんの方か…と思い直し、戻って来たら温かいお茶でも出してあげようと、桜田さんの湯のみを探した。
湯のみを見つけた俺は、ふと、シンクの向かいの窓を見た。
すると、すりガラスの向こうで人影が動くのが見え、程なく勝手口のドアが開いた。
湯のみを置いて、勝手口の方へ行けば、土間で靴を脱ぐ桜田さんが居て、さっきより落ち込んでいるように見えた。
「寒かったですよね。俺の事は気にしないで良いので、電話とか普通にここで出て下さいね」
桜田さんの様子が気になった俺は努めて明るい風を装い、ダイニングテーブルへ座るように促した。
「え?あぁ、お気遣いありがとうございます」
席に着いた桜田さんへ温かいお茶を勧めると、申し訳無さそうにしながらも笑顔で受け取ってくれた。
何があったか聞いても良いのだろうか?
そう思いつつも、普段は見せない動揺が表に出ている桜田さんを見れば心配が募る。若い俺が厚かましいかな?とは思いつつ、結局は話を聞いてみる事にした。
「えっと…何かありました?」
「え?あぁ…実はですね…」
俺の質問に気分を害してはいないらしい。
まるで冷えた指先を温めるように、桜田さんは湯のみを両手で抱えながら電話の内容を話し始めた。
「妻が自転車と接触したらしく、その時に少し転んだそうです」
「え?」
「いえ、大事にはならなくて。手首を少しひねったくらいだそうです。
さっきは病院の帰りだったらしく、それで今日は夕飯の支度が出来ないからお総菜を買って帰ると…」
「それは…大変だったですね…。なら今日はもう家に戻った方が良いのでは?」
そんな俺の提案に「そうですね」と言って時計を見上げる桜田さん。
俺もその目線に促されて時間を見れば、店の準備までまだ幾分の余裕がある。
「父さんの薬の時間ですよね、俺もその時間なら店に間に合いますので、大丈夫です。とりあえず、今日は俺から伝えておくので、気にしないで家に戻って下さい」
「そう…ですね。では、ご厚意に甘えさせてもらいましょうか…」
「はい、お大事になさってください。それと暫くお休みされても大丈夫です。俺がこっちへ毎日でも来ますので」
そう伝えると桜田さんは驚いた顔を見せた。
「毎日?いえ…それは大変でございましょう。そこまでは…」
「いえ、本当に気にしないで下さい」
「でも…」と言う桜田さん。
そんな桜田さんの言葉を遮るように俺は自分の思いを告げた。
「それに、会いに来る時間を増やしても良いかな…なんて考えていたんです」
その言葉に桜田さんはハッと息を飲んだ。
そう。
それは聞くのが怖くて、うやむやにしたままの父さんの病気の事が絡んでいる。
そしてそれは、俺と父さんとの関係にも関わる。
いつまで…。
きっと俺が父さんの息子として一緒に居れる時間はそう長くない。
薬の量。
指定された食事の内容。
痩せて小さくなった体。
そして家でも被ったままの帽子…。
「来られる時は…いえ。こんな時くらい、頼ってもらえると嬉しいです」
「将司…様」
思いを言葉を口にした事で、それは決意のようなものとなった。
そう遠くない日に、父さんと別れる日が来る。
改めてそんな覚悟を問われるような、そして、それを受け入れる気持ちを固めるような…そんな感情を俺は抱えていた。
「…だから、大丈夫なんです」
「だから」と言った俺の言葉の意味を桜田さんは気付いのただろうか。
「って、俺の方ですか?」
まるで慰めるような仕草で、俺の背中を桜田さんは撫でてくれた。
困惑しながら問えば、桜田さんは優しい顔で笑っていた。
「では、暫くゆっくりさせてもらいます。では、内容は紙に書いてお渡ししておきましょうか」
そう言って桜田さんは、家の用事を説明を交えながら、メモとして残してくれた。
「それと、戸締りもありますので…」
「あぁ、そっか」
ポケットから鍵の束を出す桜田さん。
鍵を渡しながら少し不安そうな顔を見せたので、「大丈夫ですよ」と言って受け取った。
桜田さんの不安…。
その懸念が何を表すのか、この時の俺は分からなかったけれど、それはすぐに分かる事だった。
どうも桜田さんが不安な顔をしていたのは、俺への心配だったらしい…。
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