第41話 繋がり(2)
俺はすぐに桜田さんに連絡を取った。
手紙を読んだ事や、父が用意してくれたと言う、お墓のお礼を伝える為だ。
本当は会ってお礼を言うべきだろう。
それは分かっているけれど、俺の中で父に会う事は、まだ言い出しにくい事らしい。
だからお墓のお礼は、申し訳ないけれど、桜田さんに言付けてもらう事にした。
ついでとばかりに母さんのお墓へ行く事も告げると、桜田さんがお墓まで案内してくれる事となった。
住所やお墓の位置は教えてもらっている。
けれど車が無い事と、お墓の細かな場所まで知らない俺にとっては、桜田さんの申し出は有難い話だったので、素直に甘える事にした。
*****
こうして約束の日、俺は待ち合わせ場所の駅へと向かった。
時間は朝の5時。
早朝の駅のロータリーは日曜日と言う事もあって静かだった。
まだ少し眠い目で事前に聞いていた白いワンボックス車を探す事にしたが、早朝でタクシー以外の車が見当たらなかった事も有り、直ぐに目的の車を見つける事が出来た。
目的の車へと少し足早に駆けて行くと、桜田さんも俺を見つけたのだろう、助手席から桜田さんが降りて来た。
「おはようございます。桜田さん、今日はお世話になります」
「将司様おはようございます」
挨拶を済ませると、桜田さんは後部座席のスライドドアを開けた。
するとそこには、俺の父親である大川啓司が座っていた。
「え?あっ…おはようございます…」
「おはよう」
思いもよらない人物の登場に困惑したが、桜田さんはそのまま父の横へと座るように促した。
ここで戸惑うのは失礼だ。
咄嗟にそう判断した俺は、言われるままに父の隣に座る事にした。
ワンボックス車ってこう言う事か…。
乗り込む際に車椅子が置いてあるのを見て、桜田さんが大きなワンボックス車で来た理由を知った。
俺が後部座席へ座るのを認めた桜田さんはスライドドアを閉め、助手席に乗り込んだ。
運転席にはシャツ姿のドライバー別に居た。
運転手は桜田さんがシートベルトを締めたのを確認すると「では出発します」と言い車を動かした。
早朝の静かな駅前ロータリーから幹線道路へと進む。
そこから市街地を抜けて首都高速へ乗った。
休日の朝はまだ車も少なく、スムーズに進んでいるようだ。
そんな事をぼんやりと感じながら、車窓の向こうで流れるビル群を眺めていると、父の声が聞こえて来た。
「今日、頼子さんは来れなかったんだね」
「あ…まだ子供が生まれたばかり…」
そう答えかけて、言葉に詰まってしまった。
そうか。
もし母さんが生きていて、もし俺の父と一緒になっていたら、義理の関係とは言え、ノブちゃんは孫になるのだ。
「…会いたかったですか?」
「…そうだね、一度くらいは…」
それは?と言いかけて俺は口を閉じた。
一度くらいは…。
それは自分の残りの人生を見積もった言葉だろうか?
姉さんに会う、ノブちゃんに会う。
言いたい事、伝えたい事…他にも何かあるのだろうか…。
「そう言うあんたこそ、少しは元気になったんだろ?」
俺は車窓から父へと顔を向け直し、そう尋ねた。
別に話題を変えたかった訳じゃない。
そう尋ねながら、俺は残された父の時間の事を考えていた。
『あんたこそ、元気になったら、今度は俺に会いに来いよ』
残された時間の中に、どれだけそんな時間があるのだろうか。
「最近は少し調子がいい。ちゃんと外出の許可もおりたしな」
「そっか。あんま無理すんなよ…」
そう答えると、俺は何かを誤魔化すかのように、再び窓の方へと顔を向けた。
俺の見間違いじゃなければ、窓に映る父の顔は微かに笑っているようだった。
*****
早朝の静けさが爽やかな朝に変わる頃、目的の場所に着いた。
墓地の敷地内を山の方へと進み、少し開けた場所にある駐車場で車を止めると、運転手さんと桜田さんが車いすを車から出していた。
「手伝います、どうすればいいですか?」
二人は慣れた手つきで作業を行っていたから、俺の申し出は余計な事かも知れない。
けれどそんな俺の言葉を耳にした桜田さんは嬉しそうな顔をしていた。
俺は桜田さんに言われるまま、父を車いすへ座らせ、そのまま車いすを押しながら桜田さんの後に続いた。
駐車場から続く緩やか坂道を登ると、山の頂より少し低い、見晴らしの良い場所へ着いた。
「将司様、こちらでございます」
「あっ…」
小さく漏れた声以外に言葉は続かなかった。
程よく手入れされているその小さなお墓には、確かに「池田」と彫られていた。
俺はまるで吸い寄せられるようにして、車いすから手を離すと、母さんの墓前へとゆらゆら歩き出した。
呆然…
この時の俺はそんな言葉がぴったりだったと思う。
言葉もなく、何も考えられず。
ただ母の墓前で立ちすくむ俺の中で、母さんの葬式の事、姉さんと離れた事…そんな記憶の断片がパラパラと流れるような…そんな思いがした。
「将司…ここが智子のお墓だよ」
「っ⁉」
その声で我に返った俺は、あの日の記憶から抜け出した。
振り向けば、車いすから俺を見上げる父の柔らかな微笑みがあった。
そんな父の眼差しは俺の記憶にある、優し気な、小さな俺が知っている自分の父親の顔と同じだった。
「っ…」
戸惑いは言葉じゃ無い何かだった。
しまい込んだ何かが溢れ出る…そんな俺の動揺を宥めるような声で「将司様、お花を変えてくれませんか?」と桜田さんが声をかけてくれた。
「はい…」
その声で再び墓前へと振り向けば、桜田さんが持って来た花を用意しているのが見えた。
俺は桜田さんに言われるままに花を供えた。
花を整え、墓石を拭いた。
線香の煙が真っすぐに立ちあがる厳かな雰囲気の中、ただ母さんのお墓に手を合わせていた。
そんな静かな空気を終わらせたのは、セミの鳴き声だった。
セミの声に促され俺は振り返り、父親である大川啓司を見つめた。
お礼を言わないと…。
そう思い立った俺より前に、その人は俺に話かけて来た。
「…頭を…いや、髪の毛を触らせてくれないか?」
「え?」
「いや…変なお願いだとはわかっているんだが…」
そう言って少し照れくさそうな苦い笑みを浮かべていた。
「…どうぞ」
車いすの前へ進み、立ったままの姿勢で少し頭を下げると、少しだけ間を開けて、父親はゆっくりと俺の頭に触れた。
「…大きくなったんだなぁ…」
「…もう26で、子供じゃないんで…」
「そっか…。そうか、26…」
「?」
「俺が智子と出会ったのもその頃だった」
「え?」
その言葉に俺が顔を上げると、急に動いた俺に驚いた顔をしていた。
けれど直ぐに晴れやかな笑みを浮かべていた。
「最初、全く相手にされなかった」
「だって姉さんが居ただろ?」
「だからかもしれない…」
「?」
「でも、ちゃんと愛してた」
そう言ってまた手を伸ばしたので、俺は再び頭を下げた。
今度は頭に触れると言うよりも、俺の髪の毛の感触を味わうように髪をすいていた。
「生まれて来てくれてありがとう」
「っ!」
小さく肩を揺らした俺の動きに父親は驚いたかも知れない。
けれど俺はそのまま俯いて顔を上げる事は出来なかった。
そして俯いたまま目を閉じて、髪をすくその感覚を確かめていた。
その時、不意に浮かんだのは、うずくまる小さな俺が、誰かの声で立ちあがり、嬉しそうな顔で駆けていく行く…そんなイメージだった。
「…父さ…いや、お父さんって言ってたのかな?小さい俺は」
そんな俺の小さな声で、父の手は止まってしまった。
「たしか、そうだったよね?」
頭を下げたままの姿勢でそう問えば、「左様でございます」と桜田さんの嬉しそうな声が聞こえた。
「でも、恥ずかしいし、父さんでいいや。父さん、母さんのお墓ありがとう…」
それは顔を合わせないままの言葉だった、
けれど今はそれで良いやと思った。
「あぁ…」
父さんはただ一言だけ口にした。
父さんの少し震える手のひらは、ゆっくりと動いて何かを確かめているようだった。
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