第40話 繋がり(1)

夏の暑さが厳しくなる少し前。

俺は桜田さんから一通の手紙を受け取った。

手紙の宛名には「頼子さん、将司へ」と書いてある。


「…これは?」

「…旦那様からです」

「姉にも…ですよね?」

「左様でございます」


中身は?…と問いかけて、それを桜田さんに聞いても仕方が無い事に気が付いた。

俺はお礼を伝えると共に、今度からは店の前で待ち伏せしないで、電話で連絡をして欲しいと伝えた。


桜田さんは笑っていたけれど、自分の父親より年上の男性を待たせるのは申し訳ない。

ついでに前から気になっていた、俺の呼び名についての話も切り出した。

それでも桜田さんが俺の事を「池田君」と呼ぶのも妙な気がしたので、下の名前で気軽に読んで欲しい…そんな思いを伝える事にした。


「それと、将司って呼ばれるのも変な気がします…」

「では、何とお呼びすれば良いのでしょう?」

「…まさし君…とか?」

「それは出来かねます」


桜田さんはそう言い切って、少し困ったような顔をしていた。


「でも…」

「旦那様が寂しがられますので…」

「…なるほど?」


寂しがる?

その意味が良く分からない俺は、適当な返事しか答える事が出来なくて、結局俺の呼び名はそのままになってしまった。




*****




手紙を受け取った俺は、すぐに姉さんに連絡を取った。

姉さんは宛名に自分の名前も書いてある事には驚いていたけれど、桜田さんの言葉を伝えると、手紙を読む事を了承してくれた。


数日後、姉さんに手紙を届けると約束をした日、俺は明人さんと姉さんが住むマンションを訪ねた。

玄関のチャイムを鳴らすと、「いらっしゃい」と言って出迎えてくれたのは姉さんだった。


いつも通りにリビングに通された俺は、リュックからまだ開けていない父親からの手紙を取り出し姉さんに手渡した。

姉さんは黙って受け取ったが、宛名に自分の名前を認めると「ふ~ん?」と言いながら不思議そうな顔をしていた。


手紙を預けた俺はそのまま和室に向かい、いつものように母さんに挨拶をした。

静かに手を合わせていると、「くぅくぅ」と言う柔らかな寝息が耳に聞こえて来た。


その小さな音に目をやると、呼吸の音に合わせて小さくなったり大きくなったりするノブちゃんの姿が見えた。

その緩やかな呼吸のリズムは、まるでこの部屋の時間だけが、他と違う流れ方をしているように思えた。


(なんか良いな…)


そんな何とも言えない甘い空間の中に、ずっと母さんが居るのかと思うと、俺は少し可笑しくて口元が緩んでしまった。


母さんへの挨拶が無事に済んだので、リビングに戻ると、明人さんがダイニングテーブルの上に麦茶を出しているのが見えた。

今日はダイニングで話をするようだ。

そう思った俺はダイニングへ向かい、姉さんの正面の席に座った。

席に座ると明人さんが麦茶を進めながら話かけて来た。


「ショウくんも麦茶でいいかな?」

「あ、はい。ありがとうございます」

「暑い中、悪いねぇ」

「いえいえ、大丈夫です。いや、ほんと暑かったです」


冗談半分に言い返せば、明人さんは笑いながら麦茶を足してくれた。

一方の姉さんと言えば、そんな俺達のやり取りには目もくれず、黙って手紙を読み進めていた。

そんなに長い話では無かったのだろう。

暫くすると姉さんはスッキリとした顔で「悪い話じゃない」と言い切って、俺に手紙の中身を渡して来た。


白い便せんの冒頭には「頼子さん、将司へ…」と書いてあった。

突然の事で驚くかもしれないが…から始まった手紙の内容は、俺達の母さんのお墓の話だった。


「姉さん…これは?」

「兎に角、全部、読んでちょうだい」


困惑を伝える俺の戸惑いの声を、姉さんは止めて最期まで読むように告げた。

そしてそのまま、そう長くない手紙を読み終えると、「明人さんにも読んでもらいたい」と、再び俺に告げた。


「あ、そっか。うん、そうだね。明人さんも読んでもらった方が良いね…」


無言で頷く姉さんの隣で、静かに成り行きを見守っている明人さん。

俺はそんな明人さんへ手紙を渡すと、「うん」と一言呟いて受け取ってくれた。


明人さんが手紙を読んでいる間、姉さんは封筒をぼんやりと眺めながら、表と裏をひっくり返していた。

姉さんが封筒をひっくり返す度に「頼子さん、将司へ」と、「大川啓司」が交互に見える。


「なんだか寂しい感じがするわ…」

「…そうだね」


そんな姉さんの独り言のような言葉に、俺はそう呟いた。

そう。俺の父親の書いた手紙は、力強さの無い、少し震えたような字で綴られていた。


そんなやり取りとも言えないやり取りをしていると、明人さんも手紙を読み終えたらしい。

「全部読んだよ」と言いながら姉さんに手紙を返していた。


俺は姉さんに、母さんのお墓の話を切り出した。


「母さんの事だけど、お墓は無くて、お寺の永代供養って聞いてたけど?」

「ええ、そうね。私もそう聞いていたわ。母さんの事は、私もまだ子供のようなものだったし、桜田さんの言う通りにしたから…」

「うん、そこは気にしないで」

「…それで、用意してくれたお仏壇を家に置いたわね。明人さんと結婚してからは、こっちに置かせてもらってるけど…」

「でも、手紙には、母さんのお墓があるって書いてる」

「そう…みたいね…」


小さく息を吐く、姉の肯定の言葉を聞いた俺は、妙な感覚を味わっていた。

それはまるで張られた糸を指先でピンと弾いた後のような、小さな振動のような微かな騒めきだった。


そんな心の動きを確かめていた俺の耳に、姉さんと明人さんの会話が届いた。


「ヨリちゃん、お義母さんの命日も近いし行って来る?」

「えぇ?ノブがまだ小さいし、私達は無理じゃない?」

「でも、僕とノブが留守番なら大丈夫じゃないかな?」

「う~ん。それもちょっとは考えたけど…。□□市はちょっと遠いかなぁって…?」

「う~ん。確かに気軽に出かける距離ではないかなぁ…」


□□市か。

確かに物凄く遠いって訳じゃなけど、産後からそう経っていない姉さんが、炎天の中を出かけるには遠い気がする。


「私のお乳も張って来るし、今のタイミングで無理に行っても、母さんは喜ば無いと思うけどなぁ」

「あぁ、そっか、確かにそうかも…」

「行きたい気持ちはあるんだけどね」

「だとしたら、ショウ君、一人で行けるかな?」

「大人だし、大丈夫でしょう?それに、どんな場所にあるのか、マサシに見て来て欲しいわ」


二人の会話を黙って聞いていた俺に姉さんが話を振って来た。

母さんのお墓がどんな場所にあるのか…。

うん。確かにさっきからずっと気になっていた。


「うん。俺だけになるけど行って来るよ。これからは、いつでも行けるんだし、姉さん達は次の機会で良いんじゃない?」

「だよね。ま、そん時は、みんなで一緒に行こう」

「ノブちゃんも一緒だと、母さんも喜ぶんじゃない?」

「あはは、まぁ家で毎日一緒に居るけどね」

「そう言えばそうだった」

「そうよ」


ドヤ顔で得意げな姉の言葉に、俺は小さく吹き出した。

そんな俺を見た姉さんと明人さんは笑っていた。

そしてそんな二人を見て、俺も笑っていたと思う。


自分の顔は自分では見えないけれど、きっと俺の顔は、とても良い顔で笑っていたんじゃないのかな。


こうして俺は、母さんのお墓を訪れる事が決まった。











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