第39話 ドミノ(3)
馴染のイタリアンレストランの四人掛けの丸いテーブル。
赤ワインのグラスをクルクルと回しながら加賀は切り出した。
「それで…何て言われたのかしら?」
加賀の真向いに座る松山の横に、滑り込むように座った大川。
松山はそんな座席の並びに、妙な気まずさを感じていた。
これじゃあ、加賀の質問を自分が受けているようだ。
松山は少しだけ横へ椅子をずらすと、良い具合に加賀と大川の顔が見渡せる位置になった事に安堵した。
これでようやく話が聞ける。
松山は加賀の質問…いや、大川への尋問を聞き始めた。
そんな尋問に素直に答えるのは大川。
松山は気配を消して赤ワインをチビチビと飲みながら静かに聞く事にした。
それにこんな話、他人が首を突っ込めない。
だって大川の話は、つい最近に起きた婚約の解消話だったのだ。
(そう言えば、あの元婚約者の人って、池田の事を大川さんの好きな人だと勘違いしてたっぽい)
そう。松山はあの日マスターの店で見た、一気飲み逃げの女性が大川だった事に気が付いたのだ。
それに大川の方も、松山がその場にいた事に気付いたと言うのも、既に見抜いていた。
(そうねぇ…。あの時の元婚約者の人って、結構横柄な感じだったもんな。もしかしてあの探るような感じが嫌になったのかな?確かにあんな事されたら、誰だって冷めるか…)
松山はその時の事を思い出しながら、加賀と大川の話を聞いていた。
けれど大川が婚約者を解消した理由は、そう言った事では無く、他に好きな人が居るからだと言った。
しかもそのお相手は、彼女の従弟だと言う。
聞けば、それも小さな頃にプロポーズをしてもらった…ただ、それだけの話で一途に彼を思い続けているとか何とか…。
(いやいや。今どきそんな事で、一途に想う女なんて居ないでしょうに…。で、それで池田が疑われた?なんちゅーとばっちり。でもまぁ、無駄に顔が良いからなぁ)
松山は大川に呆れながらも、池田に同情の気持ちが湧いた。
大川の話を聞いていると、どうやら元婚約者も松山と同じように考えたらしい。
別に恋愛じゃなくても、結婚なら信頼関係の上で成り立つのではないか?…そう諭され、大川も一度はそれで初恋を諦め婚約を認めたそうだ。
けれど結婚が信頼関係であるなら、この思いを抱えて一緒にはなれない。
それで大川は結婚は出来ないと、改めて解消の旨を伝えたそうだ。
別のずっと好きな人が居るとか、忘れられないと言ったとか何とか。
それで婚約の解消に至ったと言うのが、つい先日の出来事らしい…。
そして加賀の質問である。
「前島さんから何て言われたか…ですか。そうですね、『仕方がないね』って…。そんな感じでした」
「あら?」
「えっ?それだけ?」
聞き専に徹していた松山だったが、ここに来て思わず突っ込みを入れてしまった。
「あ、いや。突然すみません」
「ふふふ、構わないわよ。どんどん突っ込んであげて」
「…もっとお叱りをうけるだろうなぁと、構えていましたが…」
加賀の了承が出た。
松山は自分の疑問を大川にぶつけた。
「えっと、その元婚約者の前島さん?は、キレたり怒ったり、しなかったって事ですか?」
「えぇ。凄く驚いてはいましたけれど。それに暫く考えるような素振りもありましたが…」
「そりゃ2回も連続で結婚をやめる話をされたら、誰だって驚くし、考えるでしょうに…」
松山が呆れながら再び突っ込みを入れると、大川は少し苦笑いを浮かべて、その時の事を思い出すかのように、ポツリポツリと語り出した。
「それで、結局その人と一緒になるのか?と聞かれましたけど…」
大川の話の続きを促すように、加賀がゆっくりと頷いた。
「だけど、それは無いですって…答えました」
「え?」
「……」
松山が驚きの声をあげ、加賀は黙って赤ワインを一口飲んだ。
「え?なんで?」
「なんで…。そうですね、私の好きな人は、『私の事を知らない人』だから…でしょうか」
「知らない人?だって従弟なんでしょ?」
そうだ。
忘れられているとは言え、従弟なら『私の事を知らない人』と言うのはおかしい。
「…小さな頃に別れたきりでしたので。それにその頃の記憶は忘れているようでした」
「忘れてるようでしたって…。って事は、大人になってから、小さい頃のプロポーズ話をしたって事?」
「はい。大人になってからの再開は偶然でした。でもやっぱり覚えていなくて、一方的に私の方が会えたと…そんな感じです」
大川の話に松山は混乱する。
さっきから話がぼんやりとして、よく分からない。
松山が分からないのも無理はない。今の大川の話は、池田が高校生の時に再会した居酒屋でのトラブルの時の話だ。
「えっと、偶然の再会からまた交流が始まったって事?」
「いえ。その時は再会どまりです。
その後…それは何年も後なのですが、偶然お会いして。その時も私の事は誰か分からないようでした」
「従弟でしょ?覚えていないとか、分からないとか…そんな事ある?」
そんな松山の疑問に大川は答えず、ただ苦い笑いをうっすらと浮かべるだけだった。
やっぱり意味が分からない。
松山が思考を放棄しようとした時、大川は再び話しだした。
「その後の再会からは、時々会う、会えるみたいな、そんな感じです。それからまた二年ほど経って、ようやく二人でお話をする機会が出来ました」
ここに来てやっと話の筋が見えだした。
この二年ほどで、それなりに距離が近くなったのか。
だとしたら同じ職場になったとか、友人として出会いなおした…のだろうか?
大川はそんな風に適当に話をまとめた。
「それで、二人になれた時に思いを告げたつもりなのですが…やっぱり覚えてない…と」
「えっと、偶然が重なって何度か会っている上に、距離もそれなりに近くなったのに、思い出してもらえないって事?
しかも大川さんの告白に、覚えていないってどういう事ですか?」
矢継ぎ早に続く松山の質問に、大川は少し苦痛に歪ませながら、作った笑みを見せて、軽く頷いた。
先ほどから苦い顔を続ける大川の顔を認めた松山は、素直に謝罪の言葉を口にした。
「っ、ごめんなさい…私ったら…」
「いえ…。『偶然はあり得ない』…だそうです」
「え?」
「大人になって再び会えた事を、『そんな偶然はあり得ない』と言われました」
「っ、何それ?だって大人になってからでも、何でも会えたのは、偶然なんでしょ?」
黙って頷く大川を見て、松山は「なんつ~奴!」と言って切れた。
けれど、どこかでこの怒りに似た出来事を自分も経験した事を思い出した。
そう言えば…と松山は自分の失恋相手の男の顔を思い出す。
そして無意識にチッと舌打ちをして、その男の話を口にした。
「そう言えば、あいつも、『ちょっと分かんないや』って、女の恋心を無碍にしたわ」
「え?」
「あ~いや…。実は偶然、高校時代に好きだった人と再会した事があったんです。それでやっぱりカッコいいなと思って、アタックしたんですけどね」
松山はそう言って、少し怒りをにじませながら、別れを切り出した男の事を思い出していた。
「まぁ、ずっと、好きだったって訳じゃなないですけど。久しぶりに会ったんですけど、やっぱりその彼の事を良いなって思っちゃって。
それで再び会って、また好きだなって思うのは、『必然』じゃないか?って口説いたんですけどね」
「必然…」
「なのに、言われたのが、『ちょっと分かんないや…ごめん』ですよ?ちょっと酷くないですか?」
そう言った松山の言葉に、大川も自分の思い人の言葉を思い出した。
『…すみません…教えて頂いたのに少し混乱しています。だから何を言っていいのか俺にはわかりません…』
大川はそんな松山の思い人と似たようなセリフを吐く、自分の従弟との会話を思い出した。
そんな二人の回想をどこかに追いやるように、今まで黙って話を聞いていた加賀が口を挟んで来た。
「松山ちゃんのお相手、随分と酷い男の様に聞こえるけど?」
「そうでしょ?酷い男だから振ってやったんです」
「ふふふ、貴女やっぱり、なかなか見どころがあるわ」
そんな松山の話に加賀は面白そうに加わり、酷い男の話を続けていた。
大川は松山の話を黙って聞いていたが、松山が振ったという酷い男とは違う、現在付き合っているはずの自分の従弟の事が気になり、二人の会話に割って入った。
「それで松山さんは、その人を振って、今は新しい彼氏さんとお付き合いを?」
「え?」
「え?あの、今は、あのお店の店員さんとお付き合いをされて…?」
「あら?店員さんの話は、さっきの穏やかじゃない話の男で、今の酷い男の事じゃないのかしら?」
加賀と松山の話が見えてこない大川は、自分の質問の答えを松山に求めた。
「…えっと?松山さんの彼氏さんは、あのお店の店員さんですよね?」
「あぁ、もしかして店員さんって池田の事を言ってます?
えっと池田は彼氏って言うか、そもそも付き合っても無いですよ。見込みが無いので逆に振ってやったと言いますか、諦めたと言いますか…。まぁ男ってしょうも無い事言いますよね」
「あら、やっぱり最初に聞いた穏やかじゃない話の男の話じゃない」
松山の答えに加賀は頷く。
そして加賀に松山は説明する。
「ええ、そうです。なんて言えば良いのか分からなかったので、言わなかったんですが、大川さんとはそのお店でお会いした事があるんです…。その例の元婚約者さんとも…」
「なら、最初に教えてくれた居心地のいい店って、もしかして〇〇町の…?」
「あ、そうです。あれ?加賀さんご存知だったんですか?」
「ふふふ、あの店をアンちゃんに紹介したのは私なのよ」
まさかあのマスターのお店繋がりの縁が三人にあったとは…。
松山は加賀との出会いの偶然さに驚いた。
「そうなんですか?まさかのあの店の常連さんだったなんて…。
お店の事たいして知りもしないくせに、加賀さんに得意になって話すだなんて、何て恥ずかしい事を…」
と、ここまでを口にして、改めて加賀の言葉に気が付いた松山は、大川の顔を疑うような面持ちで見た。
「…って『アンちゃん』?今、加賀さんが大川さんの事を『アンちゃん』って言いました?オオカワキョウコさんじゃないのですか?」
急に雰囲気の変わった松山の真剣な眼差しに、大川は少し身構えて、自分の名前を告げた。
「あぁ…ニックネームみたいなものです。私の名前も
気まずそうに作った笑みで説明する大川の顔で、松山は気が付いてしまった。
そうか。池田の気になる『アンさん』とは、大川さんの事なのか…と。
それと同時に思い出したのは、池田への仕打ちの話だ。
酷い男である池田の事はザマアみろと思うけれど、大川の仕打ちについて話す彼の顔を思い出せば、彼女にその怒りをぶつけない訳にはいかなかった。
「えっと、大川さん?」
冷ややかな声で自分の名を呼ぶ松山に、大川は身構えた。
「はい…」
「あなた結構、酷い事した思いますけど?」
「え?」
まるで言いがかりのような言葉に大川は混乱する。
「そもそも、その小さい頃のプロポーズの相手?でしたっけ?その人に振られたからって、他の気も無い男に慰めてもらおうって魂胆はあんまりです」
「えっ?」
「最終的に婚約者との関係性を解消するなら、慰めてもらうとか、そんなのもっと後じゃないですか?大人しそうな顔して、都合のいいように男を利用するとか、あなた嫌な女ですね」
松山は努めて怒りを抑えて、大川に自分の犯した罪の話をした。
そんな松山の話に、加賀は面白い話をするなと言う面持ちを見せた。
「あら?そうなの?それがアンちゃんだったら、聞き捨てならない話だわね」
「でしょ?確かに見込みがないのは、それはそれでザマア見ろって感じですけど。
だからって、そんな風に池田を扱うのは、ちょっと我慢ならないんですが?」
一気にまくし立てて大川を睨む松山。
そんな松山の急変した態度に困惑する大川。
加賀はそんな二人を面白そうな顔で見ていたが、ふいに何か思いついたかのように切り出した。
何だか面白そうな話だけど、アンさんちゃんの性格を思えば齟齬がありそうね。
加賀は一つずつ、絡まった糸を解く事にした。
「え~っと、松山ちゃんの振った男と言うのは、その『池田』なのね?」
「えっ?あぁ…。そうですが池田が何か?」
松山は怒りの矛先がそらされた事に若干苛立ちつつも、年上の加賀には矛先を向けれず質問を受け付けた。
「その池田さんは、松山ちゃんの高校の同級生で、卒業後に偶然再会した上で、再び松山ちゃんが恋に落ちたで良いのね?」
「そうですが?」
「よね。そしてそんな偶然から始まった貴女の『必然』な恋心を分からないと言って、うやむやにするような、穏やかじゃない話の酷い男…で合ってるかしら?」
改めて言葉にされると、そんな酷い男でも無い気がするのは、気のせいだろうか。
松山は大川への怒りから生まれた同情の方が大きくなっていた。
「…まぁ、そうですね、酷い男ですけど。今は気の毒な事も思い出しましたから、『酷いけど、気の毒な男の池田』ですね」
何か思う事があるのだろう。
松山はお水に口をつけた。
「それでね、私の記憶違いじゃなければの話なんだけど」
「はい」
「アンちゃんの初恋の、小さなプロポーズの相手は、その〇〇町のお店の店員さんなのだけれど、これは『酷いけど、気の毒な男の池田』の事じゃないのかしら?」
「へっ?」
松山が驚いて思わず声を上げると、大川は困った顔でゆっくりと頷いた。
「え?どういう事?まさか?」
「…私の好きな人は…池田将司と言います…」
再び松山が驚いて「はぁ?」と声を荒げると、大川は益々困った顔をした。
「松山ちゃんの話って…誤解っぽいわね?」
「…ちょっと、あの、頭が追いつかないですが?」
「はぁ…。何だかややこしい話になっているわねぇ…」
慌てる松山を加賀が宥める。
「えっと?大川さんの小さい頃のプロポーズの相手が池田って事?それで久しぶりに再会したけれど、って、あのバーで再会ですか?
プロポーズの事も…てか、従姉の顔も忘れてるって、どういう事ですか?」
「小さな頃の出来事…私の事自体を覚えてない…そんな感じです」
「えっと?大川さんのずっと好きな人と言うのは池田…と言うのはとりあえず良いわ。でも、覚えてないとか、知らない人と言うのは何なの?」
そう。先ほども思ったけど、覚えていないは良いとして、知らない人の意味が分からない。
「彼にとっての私は、ただのお客さんの一人で、素性の知らない人…なんです」
「えっと…言いたい事はわかりますが、その言い方は、ややこしいです」
「すみません…」
恐縮そうに肩を落とす大川。
ややこしい表現だとは言え、大川の言い分も分かる気がした。
「でもそうか。ちびっ子の池田がプロポーズする位の関係性だった。
なのに、いくら忘れていたとは言え、貴女はただのお客さんですって態度で来たら、貴女は私の知らない人ですと、言われたようなものですね…」
松山の適切な指摘に大川の肩が揺れる。
「松山ちゃん合ってるけど、それを言葉にするのは、アンちゃんが可哀そうよ」
「っ、すみません…」
「まぁ、忘れられた女より、知らない女の方がまだマシかもねぇ…」
「ちょ、加賀さん…」
そんな鋭い加賀の言葉を止める松山の話を大川は黙って聞いていたが、ふいにグラスをクィっとあげてワインを一口飲むと、ふぅと静かに息を吐いた。
そして何かを収めるに言葉を続けた。
「良いんです。もう、良いんです…」
まるで自分を納得させるかのように吐いた大川の声を、加賀は黙って聞いていた。
けれどそんな大川の言葉に松山が嚙みついた。
「って、何で?何が良いって?」
「…見込みが無いので…」
「っ!でも…」
見込みがない…。
自分と同じ言葉を吐く大川に、そうではないと、池田の思いを言いそうになった松山は急に口を閉じた。
そう。自分が池田のアンさんに対する思いを勝手に口にするのは筋が通らない。
それにそれを自分が告げた所で、何かが変わるとも思えない。
「…すみません…やっぱり何でもないです」
「…いえ」
「貴女は、諦める…って事なのね?」
加賀は大川へ問いかける。
「はい…」
「残念な初恋ね…」
「そうですね…」
諦めから寂しそうに笑う大川を、同じく、寂しそうに笑う加賀が肩をさすりながら宥めていた。そんな大川と加賀の様子を松山は黙って見ていた。
これは多分誤解なのだ…。
池田は大川さんの事を誤解している。
大川さんの好きな人は、初めから池田だったじゃないか!
池田の言う大川さんが振られて慰めてもらおうとした話も、きっとそう言う底の浅い事じゃない。
大きな何か行き違いがあって、最初からズレているかも知れない…。
だとしたら。
池田が感じた大川さんへの怒りも悲しさも誤解なのだ。
そして婚約を解消する位に、大川さんの池田への思いは大きいのだ。
だって池田への思いを、婚約者にも誰にも告げず、そのまま隠して結婚するも出来たはずだ。
そう。純粋なのだ。
大川さんは自分の気持ちに純粋なのだ。
だから「抱いてもいいか?」と言った彼女は、本当にそのままの意味で、もしかしたらそれを思い出にして結婚するつもりだったかも知れない。
けれど本心は池田と一緒になりたかった。
だから、それを隠して結婚は違うと踏んで、解消に至ったのではないか?
全部松山の勝手な推測だけど、たった数時間で大川の人となりが分かってしまった。
なのに池田はそれに気が付かない…いや、そもそも忘れている鈍感野郎なのだ。
「はぁ…」
松山はため息を吐いた。
まさかあの池田が、見た目のクールさに反して、鈍感な分からずやで、勘違いなクソ野郎なのだ。
そしてそんな池田に対して、自分に出来る事は何も無いと思った。
そう。
大川さんとの事は誤解だと気づかせ、彼の背中を押すのは私じゃ無い…。
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