第42話 繋がり(3)

無事に墓参りを済ませ、墓地の休憩所で暫く休んだ後、俺たちは帰路についた。


父さんは疲れが出たのだろう。

帰りの車内で暫く眠ったり、起きたりを繰り返していた。

相変わらず痩せていはいるが、前よりも顔色が良い感じがする。

静かな寝息を立てている父親を見ていると、ノブちゃんの事を思い出した。


そうだな。

ノブもちゃんや姉さん、それに明人さんにも会って欲しい。

そんな事を考えながら外の景色に目を向けていると、父さんはまた目を覚ましたらしい。

「うぅん」と言う声で身体をゆすりながら動きだした。


「…父さん、起きた?」

「…あぁ…すまん、また寝てたか…」

「水、飲むか?」

「頂こう…」


小さなクーラーボックスから水を取り出し、キャップを開けて父さんに渡した。

父さんは「ありがとう」と言って、ゆっくりと口に含ませるように飲んでいた。

暫くすると、ふぅと小さく息を吐いて話し出した。


「さっき、智子の夢を見ていた…」

「そうなんだ」

「…その、あれだ…」

「?」

「将司は…居ないのか?」


俺の方へ顔を向け、何かを期待するような、そんな顔を浮かべていた。

けれど、それは持ち合わせていない。

例えアンさんの寂しそうな顔が頭を過ったとしても。


「残念だけど…」

「そうか…」

「さっきのは…」

「うん?」

「さっき、姉さんが居たと言った時、『だからかもしれない…』って」

「あぁ、それか…」


そんな二人の会話を耳にしたのだろう、桜田さんが「コホン」と小さな咳ばらいをした。


「あ、ごめん…ここで聞く話じゃないか」

「…この後、時間はあるのか?」

「今日は休みだから大丈夫だけど」


そう答えた俺の返事を聞いた父さんは、少し何か考えているようだった。


「…そうだな…。智子との事…話した方が良いのかも知れない…」


そっか。俺はまだ、父さんから母さんの話を聞いていない。


「…体調は大丈夫なの?」


俺がそう尋ねると、父さんは少し笑いながら俺に水を返して来た。


「あぁ、今日は凄く体調が良いらしい…」


黙って水を受け取ると、父さんはゆっくりと座席に身を沈め再び目を閉じた。

それからすぐに静かな寝息が聞こえて来たので、俺は窓の方へと目を向けた。

窓の外には突き抜ける青い空が広がっていた。


今日も暑くなりそうだ。

そんな事を思いながら俺もゆっくりと目を閉じた。




*****




不意に目を覚ますと、病院の駐車場へ入った所だった。

車がゆっくりと動いて、ピーピーと言う音と共に駐車スペースへ収まる。

車から降りて車いすを押して父さんの病室へ向かうと、丁度、昼食の時間だったらしい。父さんの食事が運ばれて来た。


俺は桜田さんと一緒に父さんの食事の世話をした。

それも落ち着いて、少し眠ると言った父さんを病室の残し、俺と桜田さんは遅めのお昼を食べに出かける事にした。


陰のある道を選びながら、桜田さんの勧める蕎麦屋へ向かう途中、桜田さんは独り言のように話しかけて来た。


「今日の旦那様はとても楽しそうでした。食事もいつもより多く取られてましたしね」

「そうなんだ」

「この所、調子がよろしいようです。先日、杏子様がいらした時も、そうおっしゃって居られましたから」


不意に出たアンさんの名前に、俺は少し肩を揺らしてしまった。


「…元気…なんですか?」

「?…杏子様…ですか?」

「あ…まぁ」

「元気…では無いかも知れませんね」

「え?」

「いえ、お体は元気です。すみません…変な事を申し上げました」


桜田さんが焦りながら自分の言葉を否定した。

ずっと会っていないせいか、俺はアンさんの近況に敏感に反応してしまったようだ。


「元気がない…って、俺がそんな事を聞くのも変ですかね?」


少し様子を伺うように尋ねると、桜田さんは言いにくそうにしながら話を続けてくれた。


「杏子様の事で、『不幸になる女性を、母以外にも作るところだった…』と旦那様は申されておりましたから…」

「不幸になる女性?」

「旦那様のお母様の事と思われます」

「あ…。母さんが世話をしてた人か…」

「左様で」

「母以外にも作るところ…。ってアンさ、キョウコさんがそうだって事ですか?」


苦笑いを浮かべて否定も肯定もしない桜田さんに、俺は「そうですか」と小さな声で答える事しか出来なかった。


アンさんとはずっと会えていない。

アンさんが不幸になるとは、どういう事だろうか…。


その時に浮かんだのは、婚約者と一緒に店に来た日の、「違うのに…」と言った悲しそうな顔。

そして、最後に会った日のぎこちない笑顔の「さようなら」と言う別れの言葉だった。


俺は無意識に拳を握りしめていた。

俺の好きなアンさんは、こんな顔をする人だっただろうか。


いや。

そうじゃ無かった。

俺の…

俺のせい?


いや。違う。

だってアンさんは結婚するって…。


「…将司様?」

「あ、すみません…少し別の事を思い出して…」


知らない間に俺は立ち止まっていたらしい。

気が付けば、数歩前を歩く桜田さんが俺を振り返って呼びかけていた。


「あの…桜田さん」

「はい?」

「俺…あの…」


アンさんが不幸になるのは俺のせいですか?


そう言いかけて俺は口を閉ざした。

何も思い浮かばない俺の頭の中で、何かがグルグルと巡る。

そして不意に浮かんだその言葉は、自分から抜け落ちたモノを思い出すアンさんの言葉だった。


『…初めては好きな人が良かった…それだけなんです』


「あ…」


アンさんの…

好きな人って…


抜け落ちたそれを確かめると、俺は自分の気持ちばかりで、アンさんの言葉を否定する事しか出来なかった事を思い出した。


「俺…杏子さんの事が好きだったみたいなんです」


自然に零れたそんな言葉は、まるで懺悔のようだった。


「って、今更ですよね」


続けて零れた言葉は、俺の後悔を嘲笑う自虐の言葉だった。


そう。

今更だ。

あの時、最後にアンさんと話をした時に、もっとちゃんと向き合えば良かった。

大人になったつもりでも、俺はまだ自分の事しか見えていない子供だったんだ。


「…それは小さな頃のお話でしょうか?」


少し考える様な仕草で桜田さんは空を見たまま言葉を零した。


「え?」

「あの頃の将司様は、杏子様をお嫁さんにすると、いつも言っておられましたよ?」

「あ…」

「お二人を見ていた旦那様の顔も、良いお顔で笑ってらしたので、私もよく覚えておりますよ」


そう言った桜田さんは、どこか懐かしそうな顔を浮かべていた。

だから俺は何も言えず、俺は黙って俯いてしまった。


「…将司様」

「…すみません…今更こんな話…」


桜田さんの今更と、俺の今更の大きなズレを知って俺はいたたまれない思いを抱いてしまった。

それを知ってか知らずか、桜田さんはゆっくりと近づいて来て、そっと背中をさすってくれた。


「将司様は旦那様と似てませんね」

「え?」

「旦那様は…智子様が家を出られてからも会いに行かれましたので」


その言葉に顔を上げると、桜田さんは優しい笑みを浮かべていた。


「今更でも宜しいのでは?」

「え?」

「私くらいの年になると、昨日の事も昔の事もそんなに変わらない気がします」

「…でも」

「将司様が旦那様と過ごされた事は、遠い記憶の出来事ですが、まるで昨日の事のように思い出しますよ」


少し意地悪そうに笑う桜田さんの顔は、俺の今更がまだ間に合うような言葉だった。


「将司様が今どんな思いをされているか、私にはわかりかねますが…生きていれば何とでもなります」


生きていれば…

何とでもなる


「そうですね…」

「…そうですよ。その為には、食べないといけません」

「…桜田さんのお勧めの蕎麦屋でしたっけ?」

「伸びるとイケませんので、急ぎましょうか?」


そんな桜田さんの冗談に思わず笑みが零れてしまった。


「あはは、そうですね、急ぎましょう」


笑って答えた俺の言葉は正解だったらしい。

桜田さんは大きく頷いて、良い顔で笑っていた。

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