第49話 構築(5)
桜田さんが帰った後、父さんの薬の時間となった。
まだ来客中だけど仕方が無い。
俺はお茶のお代わりを持って応接間へと赴いた。
「すみません、お茶のお代わりをお持ちしました…」
「え?あぁ、すまん、入ってくれ」
俺の声に驚いたのだろう。
戸惑いつつも父さんは入室を促してくれた。
「失礼します…」
なるべく邪魔をしないように気を使いながらお茶を出す。
そして桜田さんの書いたメモを父さんへ渡した。
「あぁ薬…。それと…え、桜田さん?そうか、後で連絡を入れておく」
父さんは、俺が来た理由に納得したようで、メモを見ながら頷いた。
そんな父さんの返事にホッと胸を撫で下ろしていると、来客の視線が俺に向いている事に気がついた。
少しは挨拶をした方が良いのかな…?
そんな事を考えつつ、促されるように視線を来客へと向ける。
体格のしっかりとした雰囲気の男性…。
黒いスラックス。
チャコールグレーのニット…。
そして最後に来客の顔を見る。
「「あ…」」
驚いた声は、どうやら二人同時に出たらしい。
「二人は知り合いなのか?」
同じタイミングで重なった言葉に、興味が向いたらしい父さんは、少し嬉しそうな顔をしながら話を切り出した。
「…っ」
けれど俺はその質問に返事をする事が出来なかった。
そう。
父さんの向かいに座る体格の良い男は、アンさんと一緒に店に来た、彼女の婚約者だった。
何て言えば良いのか…。
俺が答える為の言葉を探していると、先に応えたのは婚約者の方だった。
「実は彼の勤めるお店にお邪魔した事があって…」
「へぇ、そんな偶然が…」
「まさかですよね」
アンさんの婚約者は、答えれずに黙ったままの俺をかわすように、父さんへ顔を向けた。
「…」
居心地の悪さに、俺はアンさんの婚約者から視線を外し俯いた。
そして出来るだけ二人の邪魔にならないように気配を消しつつ、静かに食器を下げ始めた。
けれどアンさんの婚約者は、そんな俺の対応が気になるらしい。
少し微笑んだ形の作った顔で、「でも、なぜ君が?」と質問をぶつけて来た。
それはごく自然な疑問だろう。
どうしてバーの店員の君がここに居るのか?
単に理由を尋ねる言葉だ。
けれど、俺はこの言葉を聞いて動揺してしまった。
『この子は何だ』
『何故ここに居るんだ』
それは不意に出て来たあの人の言葉。
あぁ、そうだ。
俺はここに居る理由を、あの人に、何度も問われたのだ。
まるで俺という存在そのものを疑われ、問われるように…。
ぐるぐると巡る記憶と動揺。
攻め立てるようなそれを俺に問うたのは、あの人で、父さんじゃ無かったはずだ。
だから大丈夫…。
けれどそれは俺が思うよりも、ずっと大きな出来事だったらしい。
きっと動揺したのだろう。答えたくても上手く声が出せなかった。
声の出ない事実に戸惑っていると、父さんの「あぁ」と言う声が聞こえた。
「彼、息子なんだ」
「え?」
「と言っても、戸籍上は他人なんだけどね…」
戸惑いの声は、俺の声だろうか。
そう思えるくらいに父さんの言葉は衝撃だった。
あぁ、そうだ、そうだった。
あの人の質問に「息子」だと言ったのは、父さんじゃないか。
埋もれた記憶に居るのは、父さんと父さんの兄であるあの人。
そして、間違えて重ねてしまった記憶。
あの時のあの人と父さんがここで分離をした。
絡まった糸が解けるような感覚。
けれど、まだ解けたままの、ごちゃごちゃとした糸は、俺の気分を落ち着かないものにした。
「そう言われると…。あぁ、そうか、今日は…」
まるで独り言のような言葉に目を向けると、アンさんの婚約者は何か合点が言ったと言う顔をした。
納得するアンさんの婚約者。
落ち着かない俺。
そんな空気を変えようとしたのか、父さんは「薬の時間らしい」と言って席から立ちあがった。
「すまん前島君、暫くここで待っていてくれないか?」
部屋の外に出ようとする父さんに慌てたのはアンさんの婚約者だ。
「あぁ、いえ。僕の方はお茶を頂いたらお暇させて頂きますので」
そう言って熱そうな湯吞茶碗をひょいと手に取ると、お茶を飲み始めた。
そんな勢いで飲んで、大丈夫なのか?
突然始まった奇行のようなそれに驚きつつも心配をしていると、父さんが笑い始めた。
「あはは、いくら何でも、それは熱いだろう」
「いえ、私の方からお話する事は済みましたので、これで…」
「う~ん…なら、今日はこれで良いか。でも、お茶くらい、ゆっくり飲んで欲しいな」
「はい、すみません、お気遣いありがとうございます」
「うん。また何かあったら連絡しておくれ」
きっと二人は気楽な間柄なのだろう。
軽く別れの挨拶を交わすと、父さんは「またな」と言って部屋へ向かった。
俺が尋ねたタイミングが悪かったのか、そもそも俺が来たのがまずかったのか?
そんな事を考えつつも、俺はこの場から早く出たかった。
だから手つきが少し雑になっていたのだろう、茶托を滑る茶碗がお盆の上の茶碗に当たり、カチャリと音を立てた。
気まずい…。
そんな事を考えているとアンさんの婚約者の声が耳に届いた。
「さっきから顔色が良くないようだ」
その言葉に目を向けると、眉間にしわを寄せた顔のアンさんの婚約者が居た。
「え?」
「少し落ち着いたらどうだ?そのお茶は君が飲んでも構わないだろう?」
「え?あぁ…父さんの…」
そして手を付けられていないお茶を指さして、アンさんの婚約者はこう言って来た。
「少し時間を貰っても?」
彼の言葉は俺の体調を気遣うものだけでは無いかも知れない…。
そんな複雑な思いのまま「はい」とだけ答え、静かに座り茶碗に手を伸ばした。
「頂きます…」
「うん」
諦めるように腰を沈める。
けれどお茶を飲めば、喉からその温かさが広がった。
「うん。前も思ったけど、そう言われるとかなり似てる。特に今日は髪型が前と違うから」
「え?」
「さっきから君は戸惑ってばかりだな」
そう言って笑うアンさんの婚約者の顔は、先ほど見た作った顔とは違う笑みを浮かべていた。
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