第46話 構築(2)

父さんが家に戻った日から俺は休みの度に訪れた。

いや、休みの日だけではないか。

姉さんの家に行かない日は、殆ど父さんの家へ赴いた。


そして今日も台所に立って、父さんが食べれそうな荷物を作っていた。

そう言えば、ノブちゃんのクリスマスプレゼントはどうしよっか…?

そんな事を考えながらも、手は止めず、俺は夕飯用のカボチャの処理を進めていた。


「料理人の手は見ていても、危なっかしくは無いのですね」

「えぇ?」

「家内が南瓜を切る時は冷や冷やします。それで、それは何になりますか?」

「あ~、豆乳でグラタンですかね」

「それは美味しそうですね」

「桜田さんの家の分もありますから、持って帰って下さいね」

「それは家内も喜びます」


こんな風にこの家の台所で父さんの食事を作るのも、随分と慣れたものだ。


「今日は来客があったみたいですね」

「えぇ、現役を退いたとはいえ、相談には乗られているようですから」

「あぁ、仕事の…」

「部下だった方が春から海外へ転勤になりますので」

「海外ですか…。実は日本から出た事がないので、羨ましいです」

「まだお若いですから、機会はありますよ」


「ふふふ」と言って穏やかな顔で笑う桜田さん。

桜田さんも俺がこの家に居るのに慣れたような気がする。


俺が当たり前のようにこの家へやって来る。

父さんの部屋を訪ねる。

他愛のない話をする…。


そう言った些細な事が積み重なっても、俺がこの広い家の中で居心地が良いのは、相変わらず台所とあの冷えた土間だけだった。




*****




桜田さんと一緒に持ち帰る用の器を探していると、不意にカラカラと玄関の戸を引く音と、ほんの少しの間を開けて「こんにちは~」と言う女性の声が届いた。


「あ…」

「あぁ、杏子様でしょう」


そんな桜田さんの声の後、パタパタとスリッパで廊下を歩く音と共にアンさんが台所へとやって来た。


「桜田さん、こんにち…」


アンさんは俺がここに居るとは思わなかったようだ。

挨拶の途中で小さく「あっ」と驚きの声を漏らし、少し驚いた様子を見せた。


そして俺も突然の訪れた再開にただ驚くばかりで、気持ちが追いつかず、固まって黙ってアンさんの顔を見る事しか出来なかった。


「…こんにちは」

「…こんにちは…」


俺の顔を見て挨拶を続けたアンさん。

一方、俺の方と言えば、アンさんの顔を見る事が出来ず、少し目を伏せた形で小さな声で同じ言葉を返す事しか出来なかった。


たどたどしくも挨拶を終えると、アンさんは荷物をダイニングテーブルへ置き、脱いだコートを椅子へ掛けると、「叔父様へご挨拶してきます」と言って直ぐに台所から出て行った。


俺はそんなアンさんへの対応にどうしていいのか分からず、戸惑いを抱えたままだったが、やりかけの夕飯の支度へ戻る事にした。


「桜田さん、この器で良いですかね?」

「はい、お気遣いありがとうございます」


まるで何事も無かったかのようにしてグラタンを器に移していると、桜田さんはお茶の用意を済ませたのだろう、「お出ししてきますね」と俺に声をかけるとアンさんに続くように台所から出て行った。


急に独りになったからでは無いと思う。

古い家の台所は土間からひんやりとした空気が入って来る。

後は焼くだけになったグラタンに軽くラップをかけると、俺は石油ストーブへ近寄り、暖を取る事にした。


ヒーターとは違い石油ストーブの上にはやかんが置いてある。

少しだけ音が大きい秒針が響く台所の中、時折シュンシュンとお湯の沸く音がして、妙に心地がよい。


手持ち無沙汰になった俺は、戸棚からマグカップとココアを取り出した。

そう、俺はこの家に来てからココアを飲むようになった。


ほんの少しだけやかんのお湯をカップへと移し、ココアをクルクルと練るようにかき混ぜた。


練れば練るほど美味しいと言うのは本当だろうか?


ココアの美味しい飲み方をウエブサイトで知った俺は、サイトの文言を気にしながらも、さっさとお湯に溶かしてそのまま飲んでいた。

けれど今日はゆっくりとココアをかき混ぜて確認したい気分だった。


ほんの少し疑いながらココアを練り混ぜていると、不意に耳に入って来たのは「ココア?」と言うアンさんの声だった。


「あ…」


アンさんが台所へ入って来る。

俺はストーブの前でカップを持ちながら、ただアンさんの様子を目で追う事しか出来なかった。

そんな俺はきっと情けない顔をしていたのだろう。

アンさんは少し困った顔をして「お土産を取りに」と言った。


「そう…ですか」


俺が返事にならない返事をすると、アンさんは持って来た紙袋から包みを取り出し、再び台所から出て行った。


そんなアンさんを見送った俺は、やっぱり情けない男らしい。

どんな言葉をかけて良いのか分かず、再びクルクルとスプーンを回しながら、自分の伝えたい言葉を頭の中でグルグルと巡らせていた。

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